第11話 旅立ち
文字数 3,524文字
「おいおい……」
パンをちぎろうとしていた手を止め、ローディは呆れたように言った。ちょうど彼の正面に座っていたルカが、伏せた顔をさらに下げる。
「魔術師の村を探す旅に出るだって? 勝手に一人で決めないでくれよ」
「だめなのか」
「急に言われてもね」
ローディはわざとらしくため息をついた。ランツは少しむっとしながら、向かいの席で麦粥 をがっつく少女に視線を移した。
「ニアはどうだ」
期待を込めて友人を見る。ようやく気付いたように顔を上げると、きょとんとした顔で言った。
「いいよ」
「ほら見ろ」
「ほら見ろ、じゃないよ」
ローディはひらひらと手を振りながら言った。
「ニアが断らないのを分かって言ってるだろ」
「二対一だぞ」
ふんぞり返って言うと、渋い顔を返された。再びため息をついていたが、今度はしっかり感情がこもっていた。
「まず、どこに行くつもりなのさ? お金は足りるの?」
「……南の山岳地帯よ」
ルカがぽつりと言った。ローディは驚いたように目を見開くと、やがて小さく頷いた。
「なるほどね。資金さえあれば、損はしない、と」
「そのつもりで計画してる」
二人の会話に、ランツは首を傾げて割り込んだ。
「そこに行くと何かあるのか」
「知ってて付いて行こうと思ったんじゃないの?」
「いや。場所は今初めて聞いた」
素直に答えると、ローディはまたため息をついて言った。
「南にある山岳地帯にはね。未探索の遺跡がそれこそ山ほどあるんだよ」
「じゃあなんでみんな行かないんだ」
「大きな街から離れてるのよ」
と、ルカが補足する。
「一番近いこの街から、十日ぐらいかかるの。小さな村ならいくつかあるけど、聖導具を手に入れてもほとんど買ってくれないから……」
「手持ちが減っていくばっかりってわけ。往復二十日分の旅費を回収しようと思ったら、遺跡を渡り歩いて一月はこもらなきゃいけない。村も食料に余裕があるわけじゃないから、買うのも高いんだよね」
「ふむ」
そこまでの長旅になるとは思っていなかったが、金銭的には何とかなりそうだ。遺跡探索はある意味ギャンブルだから、しばらく暮らせるだけのお金は常に持っている――とは言え、もし昨日の金貨四十枚が無ければ、たぶん足りなかっただろう。
「分かったよ。そういうことなら僕も乗らせてもらおう」
「いいの? あたしは……」
「魔術師だってことかい?」
声を落としてローディが言った。
「ま、最初はびっくりしたけどね。でもよくよく考えてみれば、君みたいにかわいい子が悪人なわけはない」
「見え透いたお世辞は結構よ」
そう言うルカの顔には、満更でもなさそうな笑みが浮かんでいた――などということもなく、半眼で冷たい視線を送っている。ローディは肩をすくめた。
「よし、決まりだな!」
「おー?」
嬉しそうに言うランツに、ニアが気の抜けた掛け声で応えた。
朝靄 煙 るまだ薄暗い街の中、たくさんの人々が大通りを行きかっていた。中継所 の名の通り、街で一夜を明かした旅人の多くが次の朝には出発する。通りを歩く人の数は、昼間よりも早朝の方が多いぐらいだった。
だが中央広場から南へと足を運ぶと、その数は一気に減る。道の広さは変わらないから、余計に閑散として見える。
南の端にあるのは、高い壁だけだ。門は無い。ランツは右に曲がると、壁沿いを歩いた。
やがて、小さな通用口のような扉が見えてきた。欠伸 を漏らす衛兵にリレイでのみ通用する身分証を渡すと、あっさりと通してくれた。南側から街を出るには、ここを通るしかない――にもかかわらず、特に混んでいる様子もない。そのぐらい、南側に用がある人は少ないのだ。
どの方角から街を出ても森には違いないのだが、受ける印象は全く異なる。西は王都へと続く大街道と川が並走しており、森の中という感じは全くしない。他国へと通じる東の街道には多種多様な服装の人々が行きかい、異国情緒さえ漂う。遺跡の多い北側は、冒険者の――つまりは荒くれ者の巣窟 となっている。
では南側はどうかと言うと、まさに森そのものといった雰囲気が漂っていた。それも、人の手の入らない深い森だ。街のすぐそばにこんな場所があると知ったら、驚く住民は多いかもしれない。それから、恐ろしく思う人も。
もちろん、冒険者 は森を恐れたりしない。旅人にとっては馴染み深い場所だ。大部分が森で覆われたこの世界では、森を避けていてはどこにも行けない。例外は、海の上ぐらいだろう。
「おはよう」
森を眺めていたランツの背中に、控えめな挨拶 が投げられた。振り返った先には、少し硬い表情をしたルカが佇 んでいた。
小さく首を傾げて、ランツは尋ねた。
「体調でも悪いのか」
「違うわよ。……緊張してるみたい」
「旅に出るのが?」
「いえ」
ルカは緩く首を振ったが、質問には答えなかった。答えようとしたのかもしれないが、結局どちらなのかは分からなった。
ふと、ランツは街の高い壁に目をやった。教会の鐘の音が、こんな場所にまで響いてくる。日の出の鐘だろう。この音ともしばらくはお別れだと思うと、ランツでも多少は感傷的な気分になる。
視線を戻すと、ルカが複雑な表情で街を眺めていた。その理由に思い至るまで、少し時間がかかった。
彼女にとっては、世界樹教は天敵のようなものだろう。この音色を、どんな気持ちで聞いているのだろうか。
不意に、目の前の扉がばたんと勢いよく開いた。開けた当人と目が合う。ランツの姿を認めると、大きく手を振ってきた。
「おはよー」
「おう」
元気いっぱいのニアが飛び出してくる。後ろにはローディの姿もあった。
「よし、揃ったな」
ランツが大きく頷くと、ローディは若干気まずそうにしながら言った。
「あー、それなんだけどさ……」
「ん」
「……やっぱり、来るのやめるの?」
ルカが少し残念そうに言った。しかし、彼は困ったように首を振った。
「いや、そうじゃなくてね」
その直後だった。開きっぱなしの扉の奥から現れたもう一人の人物に、ランツは意表を突かれた。
「おはようございます!」
緑のローブを身にまとった少女――アリエルが、高揚した様子で声を張り上げた。ルカが表情を硬くした。
「何しに来たのよ」
吐き捨てるように言う。アリエルは少したじろいだようだったが、気を取り直したように言った。
「そんな言い方ないじゃないですか! 私はルカさんを……」
「退治しに来た?」
皮肉気に口元を歪めるルカ。相手の方は、今度こそ黙り込んでしまった。
「まあまあ、仲良くしようよ」
「あたしたちを魔物扱いするやつらとどう仲良くしろって言うの?」
取り成そうとするローディに、鼻を鳴らして言い返す。すると、
「違いますっ!」
アリエルが声を張り上げる。彼女は握った拳を振りながらこう言った。
「確かに魔術は邪悪なものですが……魔術師の方は違います! 邪悪に侵された、被害者なんです! 治療できるんですっ!」
ルカは胡散臭いものを見るような表情で、力説する少女に目をやっていた。そんな二人を、ローディは困ったように見比べている。
「昨日はそんなこと言ってなかったじゃない」
その問いに、アリエルは即座に答えた。
「私も昨日聞いたんです! 教会で治療できるって……」
「それで、あたしに教会まで来いって?」
「いいえ」
力強く首を振ると、少女は得意げに言葉を続けた。
「私も魔術師の村について行きます! 本当に魔術師の方がたくさんいるなら、教会に連れていかなければなりませんから」
「信じてくれるのか、そんな話」
ランツは何気なく言った。ルカと同じく、世界樹教を嫌っている魔術師は多いだろう。
「もちろん私が説得します! 布教みたいなものですから!」
どん、と胸元を叩くアリエル。
そういうものなのか。と、教会の鐘の音には愛着があっても、世界樹教には特に興味がないランツは首を傾げた。
「……なんで連れてきたりしたの?」
怒りと呆れの中間のような表情で、ルカはローディに目をやった。彼は曖昧 な笑みを浮かべて言った。
「いやー、うっかり喋っちゃって」
「ほんとかしらね」
「駄目だって言われてもついて行きますからっ!」
アリエルが大きく一歩踏み出しながら言った。ルカはため息をついた。
「好きにすれば」
「ありがとうございます!」
こうして五人は街を出た。
パンをちぎろうとしていた手を止め、ローディは呆れたように言った。ちょうど彼の正面に座っていたルカが、伏せた顔をさらに下げる。
「魔術師の村を探す旅に出るだって? 勝手に一人で決めないでくれよ」
「だめなのか」
「急に言われてもね」
ローディはわざとらしくため息をついた。ランツは少しむっとしながら、向かいの席で
「ニアはどうだ」
期待を込めて友人を見る。ようやく気付いたように顔を上げると、きょとんとした顔で言った。
「いいよ」
「ほら見ろ」
「ほら見ろ、じゃないよ」
ローディはひらひらと手を振りながら言った。
「ニアが断らないのを分かって言ってるだろ」
「二対一だぞ」
ふんぞり返って言うと、渋い顔を返された。再びため息をついていたが、今度はしっかり感情がこもっていた。
「まず、どこに行くつもりなのさ? お金は足りるの?」
「……南の山岳地帯よ」
ルカがぽつりと言った。ローディは驚いたように目を見開くと、やがて小さく頷いた。
「なるほどね。資金さえあれば、損はしない、と」
「そのつもりで計画してる」
二人の会話に、ランツは首を傾げて割り込んだ。
「そこに行くと何かあるのか」
「知ってて付いて行こうと思ったんじゃないの?」
「いや。場所は今初めて聞いた」
素直に答えると、ローディはまたため息をついて言った。
「南にある山岳地帯にはね。未探索の遺跡がそれこそ山ほどあるんだよ」
「じゃあなんでみんな行かないんだ」
「大きな街から離れてるのよ」
と、ルカが補足する。
「一番近いこの街から、十日ぐらいかかるの。小さな村ならいくつかあるけど、聖導具を手に入れてもほとんど買ってくれないから……」
「手持ちが減っていくばっかりってわけ。往復二十日分の旅費を回収しようと思ったら、遺跡を渡り歩いて一月はこもらなきゃいけない。村も食料に余裕があるわけじゃないから、買うのも高いんだよね」
「ふむ」
そこまでの長旅になるとは思っていなかったが、金銭的には何とかなりそうだ。遺跡探索はある意味ギャンブルだから、しばらく暮らせるだけのお金は常に持っている――とは言え、もし昨日の金貨四十枚が無ければ、たぶん足りなかっただろう。
「分かったよ。そういうことなら僕も乗らせてもらおう」
「いいの? あたしは……」
「魔術師だってことかい?」
声を落としてローディが言った。
「ま、最初はびっくりしたけどね。でもよくよく考えてみれば、君みたいにかわいい子が悪人なわけはない」
「見え透いたお世辞は結構よ」
そう言うルカの顔には、満更でもなさそうな笑みが浮かんでいた――などということもなく、半眼で冷たい視線を送っている。ローディは肩をすくめた。
「よし、決まりだな!」
「おー?」
嬉しそうに言うランツに、ニアが気の抜けた掛け声で応えた。
だが中央広場から南へと足を運ぶと、その数は一気に減る。道の広さは変わらないから、余計に閑散として見える。
南の端にあるのは、高い壁だけだ。門は無い。ランツは右に曲がると、壁沿いを歩いた。
やがて、小さな通用口のような扉が見えてきた。
どの方角から街を出ても森には違いないのだが、受ける印象は全く異なる。西は王都へと続く大街道と川が並走しており、森の中という感じは全くしない。他国へと通じる東の街道には多種多様な服装の人々が行きかい、異国情緒さえ漂う。遺跡の多い北側は、冒険者の――つまりは荒くれ者の
では南側はどうかと言うと、まさに森そのものといった雰囲気が漂っていた。それも、人の手の入らない深い森だ。街のすぐそばにこんな場所があると知ったら、驚く住民は多いかもしれない。それから、恐ろしく思う人も。
もちろん、
「おはよう」
森を眺めていたランツの背中に、控えめな
小さく首を傾げて、ランツは尋ねた。
「体調でも悪いのか」
「違うわよ。……緊張してるみたい」
「旅に出るのが?」
「いえ」
ルカは緩く首を振ったが、質問には答えなかった。答えようとしたのかもしれないが、結局どちらなのかは分からなった。
ふと、ランツは街の高い壁に目をやった。教会の鐘の音が、こんな場所にまで響いてくる。日の出の鐘だろう。この音ともしばらくはお別れだと思うと、ランツでも多少は感傷的な気分になる。
視線を戻すと、ルカが複雑な表情で街を眺めていた。その理由に思い至るまで、少し時間がかかった。
彼女にとっては、世界樹教は天敵のようなものだろう。この音色を、どんな気持ちで聞いているのだろうか。
不意に、目の前の扉がばたんと勢いよく開いた。開けた当人と目が合う。ランツの姿を認めると、大きく手を振ってきた。
「おはよー」
「おう」
元気いっぱいのニアが飛び出してくる。後ろにはローディの姿もあった。
「よし、揃ったな」
ランツが大きく頷くと、ローディは若干気まずそうにしながら言った。
「あー、それなんだけどさ……」
「ん」
「……やっぱり、来るのやめるの?」
ルカが少し残念そうに言った。しかし、彼は困ったように首を振った。
「いや、そうじゃなくてね」
その直後だった。開きっぱなしの扉の奥から現れたもう一人の人物に、ランツは意表を突かれた。
「おはようございます!」
緑のローブを身にまとった少女――アリエルが、高揚した様子で声を張り上げた。ルカが表情を硬くした。
「何しに来たのよ」
吐き捨てるように言う。アリエルは少したじろいだようだったが、気を取り直したように言った。
「そんな言い方ないじゃないですか! 私はルカさんを……」
「退治しに来た?」
皮肉気に口元を歪めるルカ。相手の方は、今度こそ黙り込んでしまった。
「まあまあ、仲良くしようよ」
「あたしたちを魔物扱いするやつらとどう仲良くしろって言うの?」
取り成そうとするローディに、鼻を鳴らして言い返す。すると、
「違いますっ!」
アリエルが声を張り上げる。彼女は握った拳を振りながらこう言った。
「確かに魔術は邪悪なものですが……魔術師の方は違います! 邪悪に侵された、被害者なんです! 治療できるんですっ!」
ルカは胡散臭いものを見るような表情で、力説する少女に目をやっていた。そんな二人を、ローディは困ったように見比べている。
「昨日はそんなこと言ってなかったじゃない」
その問いに、アリエルは即座に答えた。
「私も昨日聞いたんです! 教会で治療できるって……」
「それで、あたしに教会まで来いって?」
「いいえ」
力強く首を振ると、少女は得意げに言葉を続けた。
「私も魔術師の村について行きます! 本当に魔術師の方がたくさんいるなら、教会に連れていかなければなりませんから」
「信じてくれるのか、そんな話」
ランツは何気なく言った。ルカと同じく、世界樹教を嫌っている魔術師は多いだろう。
「もちろん私が説得します! 布教みたいなものですから!」
どん、と胸元を叩くアリエル。
そういうものなのか。と、教会の鐘の音には愛着があっても、世界樹教には特に興味がないランツは首を傾げた。
「……なんで連れてきたりしたの?」
怒りと呆れの中間のような表情で、ルカはローディに目をやった。彼は
「いやー、うっかり喋っちゃって」
「ほんとかしらね」
「駄目だって言われてもついて行きますからっ!」
アリエルが大きく一歩踏み出しながら言った。ルカはため息をついた。
「好きにすれば」
「ありがとうございます!」
こうして五人は街を出た。