第26話 侵入

文字数 3,374文字

 深夜。街が寝静まる時刻。
 ランツたちは、明かりも持たずに夜の街を進んでいた。幸い、今夜は満月だ。この程度の闇、冒険者なら十分見通せる。
 四人が向かっているのは、教会の一番右奥、神官たちの住居と接している部分だ。ちょうど、ドーナツ状の建物の切れ目にあたる。
 もちろん、切れ目だからと言って、(あいだ)から内部に侵入できるなどということはない。隙間は細く、通り抜けるのは不可能だ。建物には足掛かりが全く無く、登るのも難しいだろう。普通なら。
「あれあれ」
 ニアが指さしながら言った。隙間を貫くように、太い木の枝が伸びてきている。建物の屋根あたり、三階より少し高いところから外に飛び出て、そこから下に垂れている。ロープを掛けて登れば、屋根まで上がれそうだ。
「よし、行こう」
 ランツは意気揚々と準備を始めた。だが、
「待った」
 制止の声をあげたのはローディだった。振り向くランツに、険しい顔を向ける。
「さすがに都合よすぎない? 普通こんなの放っておく?」
「見逃してただけだろう。それ以外に理由あるか?」
「うーん……」
 腕を組んで考え込んだあと、彼は自信なさげにこう言った。
「……罠、とか」
「考えすぎだろ。どうして罠を張る必要があるんだ」
「だよねえ。分かったよ、変なこと言って悪かった」
 素直に引き下がるローディ。ランツは小さく頷くと、荷物の中からロープを取り出す。
 首尾よく枝に引っかけると、引っ張って強度を確かめる。太いとは言え、せいぜいランツの腕ぐらいだ。少しはしなるかと思ったが、ぴくりとも動かなかった。
 最初にニアがするすると登り、次にローディ、ルカの順で進んだ。ルカの足を持ち上げ、上から引っ張ってもらったあと、最後にランツが登る。
 屋根の上からは、専用のスペースに収められた世界樹の姿がよく見えた。ここまではっきりと見たのは初めてだ。いかに規格外のサイズかよく分かる。
 ニアが言っていた通り、世界樹の周囲には多くの見張りが立っていた。明かりが惜しげも無く使われている。厳重な警備だ。ランツたちは、見つからないよう身を伏せていた。
「やっぱり変じゃない?」
 出し抜けに、ルカが言った。彼女の視線は、ロープを掛けていた枝に向いていた。
「ほら、見て」
 枝は、少し離れた場所にある世界樹から、触手のように伸びてきていた。一本だけ飛び出ているので、強烈な違和感がある。
「いいから行こうよ」
 と、促したのはニアだった。首を捻りながら枝を観察していたローディも、小さく頷いて言った。
「そうだね。ここまで来たら考えても仕方ない」
 ロープを回収し、反対側に下りる。草むらの中に身を隠す。
 建物を乗り越えてくるなんて不可能だと思っているのか、それとも世界樹の周りだけ守れば十分だと考えているのか、この辺りは見張りもなにもいないようだ。頭を出さないように気をつけながら、教会の壁沿いに慎重に進む。
 やがて、目的の場所に着いた。ここから内部に侵入できれば、地下への階段はすぐ近くのはずだ。だが、
「くっそ……」
 ローディが悪態をつく。窓には鉄格子がはまっていて、とても入れそうにない。ここまで来て、とランツは歯噛みした。
「よく考えたら、教会の人でも世界樹のそばまで行けるのはごく一部なんだ。内部からでも容易に近づけないようにしてるのは当たり前か」
 だから見張りがいないのか、とローディはぶつぶつと呟いていた。恐らく、他の場所も同じだろう。
「……あたしの魔術なら、壊せると思う」
 ルカがぽつりと言った。ローディがはっとしたように顔を向ける。
「それなら……いや、でも確実に見つかるな……」
「でしょうね」
 二人は苦々しい表情で顔を見合わせた。窓だけなら何とかしてこっそり開けられそうだが、鉄格子はそうはいかない。
「暴れてこよっか?」
 小さく手を上げながら、おもむろにニアが言った。全員の視線が集まる。
 しばしの沈黙のあと、ローディが言った。
(おとり)になるってこと?」
「うん」
「危険すぎるって!」
「そう?」
「そうだよ! アリエルを助けたって、ニアが捕まっちゃ意味がない!」
 声を荒らげてしまったのに気づいたのか、ローディは慌てて口を閉じた。
 再びの沈黙。次に口を開いたのは、ランツだった。
「信じていいんだな」
「うん」
「絶対無事に帰ってくるんだな」
「大丈夫」
 ニアの返事には、気負いも躊躇(ためら)いも全く無かった。深く頷いたあと、ランツは言った。
「よし。ニアに頼もう。その隙に侵入する」
「正気か?」
 腕を掴み、睨み付けるようにしながらローディが言った。だがランツは平然と答えた。
「ニアならできる」
「……」
 苦々しい表情で、ランツとニアの二人を見比べるローディ。しばしそうしていたあと、諦めたように言った。
「わかった。信じるよ」
「ありがと」
 ニアは短くそう言うと、世界樹に向けて歩き出した。ふと振り返ると、ローディをじっと見つめながら言った。
「ごめんね。詳しく話せなくて」
「いや」
 わずかに口元を緩めながら、ローディはゆるく首を振った。
「気をつけて」
 ルカが言うか言わないかのうちに、小さな体は草の奥に消えていった。

 世界樹の周囲が、にわかに騒がしくなる。人の声と、それから武器がぶつかり合う音が聞こえる。
 その中に聖導具の音と光が混じり始めた頃、切羽詰まった声でローディが言った。
「行こう!」
 ルカが頷く。癖になっているのか、ダミーの杖を窓に向けて短く叫んだ。
「力よ!」
 もう何度も目にした不可視の衝撃波が、鉄格子ごと窓を破壊する。ガラスは割れ、下半分がぐにゃりと曲がった鉄格子が、内部に向けてめくれ上がっている。
 幸いにも、世界樹付近の見張りはこっちに気づかなかったようだ。近づいてくる様子は無い。だが、教会の中にも誰かいるかもしれない。急いで中に入ると、耳を澄まして辺りを見回した。
 今いるのは、左右に伸びる長い廊下の途中だった。掃除が行き届いていないのを見ると、あまり使われていない場所のようだ。聞こえてくるのは外の戦闘音だけで、周囲に人の気配は感じられない。
 地図に従って進む。問題の階段は、廊下を何度か曲がった突き当たりにあった。その前には、緊張した面持ちの見張りが立っている。外の騒ぎが気になるのだろう。
 相手の気がそれた隙に、ローディが奥の壁に向けてクロスボウを放った。見張りは慌てて振り返ると、剣を構えて威嚇(いかく)した。
 それが罠だと気づいた頃には、ランツの接近を許していた。手刀を受け、あっさりと昏倒する。念のため、手足を縛って猿ぐつわを噛ませておく。
「鍵とか持ってない?」
 先に地下を覗きに行っていたローディが言う。探ってみたが、それらしきものはない。ランツが首を振ると、困ったような顔になった。
「とりあえず来て」
 彼のあとについて階段を下りる。ルカも怖々とついてくる。
 先ほどの言葉の意味は、すぐに分かった。階段の下にあったのは、細い通路と、それからたくさんの牢屋だったのだ。見える範囲では誰もいないが、まだまだ奥に続いている。
「なんでこんな場所に……」
 ルカが呆然と言った。ランツも同じことを考えていた。城に牢屋があるのは分かる。だが教会に、犯罪者を裁く権利など無いはずだ。
 ローディが苦い表情で言った。
「もちろん、必要があるから作ったんだろうね。きっと、今までにも……待った、静かに」
 鋭く告げる。奥の方から、足音が聞こえてくる。それから、話し声も。
「っ!」
 ランツは危うく走り出しかけた。今聞こえたのは、確かにアリエルの声だ。口論と、それからどさりと地面に倒れる音。
 歯ぎしりしながらローディの方を見る。
「行かないのか!」
「無理だ! 向こうは何人いるか……」
 彼も、苦痛に耐えるかのように顔を歪めている。助けに向かうのは簡単だ。だが、勝算がどれほどあるのか。
「ねえ、あっちも」
 ルカがランツの袖を引っ張った。一階の方からも話し声が聞こえてくる。もう迷っている暇はない。
「逃げるぞ!」
 ローディが言った。ランツも従わざるを得なかった。
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