第12話 野営

文字数 3,268文字

 焚火(たきび)の音と川の流れる音、それからお喋りの声が、夜の森に小さく響く。魔力溜まりが近いからか、獣の声も鳥の鳴き声もしない。ランツたちがいなければ、そこにあるのは水の音だけだったのだろう。
 火にかけられた鍋の中では、たくさんの豆と少しの干し肉が入ったスープが煮込まれている。折り曲げた膝を両腕で抱え込むように座ったニアが、ぎりぎりまで近づいて目を輝かせていた。
 南の森を抜けて山岳地帯へ行く十日間の旅程は、そのほとんどが野宿となる。途中で一か所補給できる場所があるが、五日生きられるだけの荷物を持ち歩くだけでも大変だ。川が多く、水をほとんど運ばなくていいのでなければ、聖導具の――もしくは魔術の助けを借りる必要があっただろう。
 荷物を小さくして収納する、水を出す、魔物が近づいたら警告を発するなど、旅に役立つ聖導具は多い。だがそういう聖導具は、冒険者がなかなか買えないような値段になっている。旅人なら誰でも欲しいものだし、特に商人によって高値で買われてしまうからだ。
 魔術にも、似たような効果を発揮するものはあるようだ。だがうちの赤髪の魔術師は、残念ながら使えないらしい。
 少し離れた場所にいるルカを、ランツは横目で見た。ぺたりと座り込み、太い木の幹に背中を預けている。旅の疲れが出たのか、先ほどからうつらうつらと微睡(まどろ)んでいた。
「ずいぶん熱心に見つめてるねえ?」
 その言葉に、慌てて顔を逆に向けた。アリエルと話していたはずのローディが、いつの間にか隣に座っていた。そのアリエルは、スープを混ぜながらニアとお喋りしている。
「見つめてはない」
「いや、かなーり長いこと見つめてたデショ」
「……」
 そんなつもりは全く無かったのだが、本当だろうか。だがそれを聞いたら余計にからかわれそうな気がして、黙っていた。
 ローディはわざとらしくため息をついた。
「アリエルちゃんが好みだって言ってたのにね。乗り換えちゃうのか」
「そんなこと言ってないだろ」
「じゃあどっちが好みなのさ?」
「どっちがって」
 ランツは言葉に詰まった。そういう話には疎い。もちろん、興味が全くないと言うと嘘になるが……。
 黙り込んだ友人に対して、ローディが眉を寄せて言った。
「……もしかして、ニア?」
「それはない」
 二人は話題の当人に目を向けた。今にも(よだれ)を垂らしそうな表情で――いや、たぶん実際にちょっと垂らしながら、アリエルがスープを入れるのを眺めている。まるっきり小さな子供だ。
「そう言うローディはどうなんだ」
「……まあ、答えてもいいけどさ。ランツも教えてくれるんだよな?」
「いや、やっぱりいい」
 ランツは即座に首を振った。教えたくないというより、そもそも自分でも分からないのだ。考えるのも気恥ずかしい。
「そういう話は、せめて聞こえないようにしてくれない?」
 不意に耳に入った責めるような声に、ランツは思わず背筋を伸ばして顔を向けた。ルカが、自分たちのことを睨みつけている。だが口調にも目つきにも若干力がなく、どうやら少し照れているようだ。そのことに気づいて、何故かランツはひどく動揺してしまった。
 と、ちょうどその時、
「ごはんできましたよ!」
「ありがとー、アリエルちゃん」
 タイミングよくかかった声に、ローディは何食わぬ顔で返事した。いつの間に移動したのか、ちゃっかり距離を取っている。
 ルカはそれ以上問い詰める気はなかったようで、おもむろにぷいと顔を背けた。ランツはほっとした。
「どうやって魔術師の村を探すのか、そろそろ考えておこうか?」
 全員の顔をぐるりと見回しながら、ローディが言った。
「ルカちゃんは何か考えてる?」
「……歩いて探すつもりだったけれど。一応、大体の場所は掴んでるわ」
「なるほど。ま、それが基本だよね」
 うんうんと頷く。不意に、アリエルが手を上げた。
「はい!」
「ん?」
 ローディが視線を送り、先を促す。
「近くに普通の村もあるんですよね? そこの人たちに聞いてみればいいんじゃないでしょうか!」
「それもありだけどね」
「正気?」
 ルカが鼻を鳴らして言った。
「魔術師を探してるなんて言ったら、すぐに追い出されるわよ。あんたたちの布教活動のおかげでね」
「う……」
 アリエルがしょんぼりと手を下ろす。山奥の村にまでも、世界樹教の力は及んでいる。街なら世界樹教に反対するという立場を取っている人たちもそれなりにいるが、小さな村だと全員が信者ということも珍しくない。彼らにとって、魔術とは邪悪の象徴なのだ。
 すると、ローディが腕を組みながら言った。
「んー? でも教会は、魔術師は治療できるって言ってるんだよね? それを素直に話せばいいだけなんじゃないかな?」
「あっ、それは……」
 言い淀むアリエル。少しもじもじしていたあと、こう言った。
「治療できることは、あまり話してはいけないと言われてるんです」
「どうしてかな?」
「えと、それは、分かりませんけど……」
「胡散臭い話ね」
 ルカの言葉に、アリエルはさらに小さくなった。ローディが、気を取り直すようにぱんと手を叩く。
「とにかく、その方法は使えないってことね。他には……」
「魔術師を退治しに来たって言うのはどうだ」
 ランツはふと思いついたように意見を出した。ローディは頬を掻きながら言った。
「あー、まあ、ありだね……」
 彼はルカの方にちらりと目を向けた。ランツもつられて視線を送る。彼女は不機嫌そうな顔をしていたが、小さく頷いて言った。
「それで見つけやすくなるなら構わないわ」
「ルカちゃんがいいなら、やってみるかな?」
 と、話がまとまりそうになったところで、アリエルが口を挟んだ。
「でも、嘘をつくなんて……」
「嫌ならついてこなくていいわよ」
 ルカが切って捨てるように言った。言い返す言葉は何も出てこなかった。
「おかわり!」
 と、空気を読まないニアが突然声をあげた。アリエルは彼女のお椀を受け取ると、ルカの視線から逃げるようにスープを入れてあげていた。
「じゃ、そんなところかな?」
 ローディの言葉で、この話し合いは終わったようだった。

 消えかけた焚火に薪を追加しながら、ランツは視線を横に向けた。大口を開けて眠るニアが、盛大に毛布を蹴とばしている。身を乗り出すようにして手を伸ばすと、毛布をかけ直してやる。
 逆側に目を向けると、くじ引きによって同じ見張り番になったルカが、立てた両膝を抱きかかえるように座って焚火を見つめていた。半分腕の中に埋まった顔は、いかにも眠そうだ。
 とろんとした目に妙に引き付けられてしまって、ランツはルカの顔をじっと見つめていた。普段の、言ってしまえばきつい表情からは、想像もつかないぐらいに……。
 不意に、二人の目が合った。ルカが恥ずかしそうに顔を伏せるのを見て、ランツは慌てて視線を外した。
「……どうして魔術師の村を探したいのかって、聞いたわよね」
「ああ、聞いた」
 誤魔化(ごまか)すようなルカの言葉に、ランツも乗る。彼女はぼそぼそと話し出した。
「不安だったの」
「魔術師の知り合いがいないからか」
「ううん」
 少女はゆっくりと首を振った。その視線は、どこか遠くに向いていた。
「あたしもいつか、魔物になっちゃうんじゃないかと思って」
「そんなの嘘だろう」
「あなただってそう言ってたでしょう?」
 皮肉げに言われ、反論できなかった。いつだか、魔術師のことをどう思っているか聞かれた時のことだ。ルカが魔術師だなんて、夢にも思っていなかった頃の話。
「いえ、分かってるわよ。魔術師に憧れてるだなんて、他人には話せないわよね」
 ルカは寂しそうに笑った。
 何か言わなければならない気がして、だが何も思い浮かばなかった。ローディなら気の利いた言葉を返せるんだろうか、などと、似合わないことを考えてしまった。
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