第32話 エピローグ

文字数 1,928文字

 ランツが目を覚ますと、ちょうど日が沈むところだった。西日が窓からまっすぐに射してきて、思わず目を細める。
(時間感覚を戻さないとな)
 ランツは苦笑いした。首をぐるりと回す。アリエルを救った日からもう三日も経っているのに、相変わらず昼夜は逆転していた。
 あの後、ランツたちに手出ししてくる者はいなかった。ギルと、それから教会は約束を守ったようだ。世界樹の中枢に入れるぐらいだから、彼は教会の中でも高い地位にいるのだろう。
 アリエルは、世界樹教を破門になったらしい。もっとも、本人も教会を出るつもりだったようだ。彼らの悪事を暴いてやる、と暗い表情で言っていたが、なんとか説得してやめさせた。結局、誰にも行き先を告げずに姿を消してしまった。
 ローディは、ニアと今まで以上に仲良くしている。大きなことをやろうとしているようだが、教えてはくれなかった。
 ニアが何を思って、何をしようとしているのかは分からない。たぶん、これからもずっと。
 まとめた荷物を見て、ランツは満足げに頷いた。部屋に散らかっていた全てが、きちんと背負い袋に収まっている。元々、さほど物を持つ性質(たち)ではない。最後に宿の主人に挨拶して、街に出た。
(せっかく王都に行ったのに、観光も何もしなかったな)
 見慣れたリレイの街並みを眺めながら、ランツは思った。帰りも世界樹で転移したので、時間はあまりかからなかった。王都に行った、という意識すらほとんど無い。
 ちょうど旅人たちが到着する時間なのもあって、大通りはたくさんの人でごった返していた。街の西門に近いので、この国の商人や旅人が多い。この光景を見るのもこれで最後か、とランツは珍しく感傷に浸った。
 指定された酒場は、中央広場のすぐそばにあった。清潔感のある小洒落た店だ。大荷物を持った冒険者が入っていいものなのか一瞬だけ迷ったが、すぐに歩き出した。まあ追い出されることは無いだろう。
 店内をぐるりと見渡し、すぐに目的の人物――ルカの姿を見つけた。物憂げな表情で窓の外を眺めている。
 ランツが近づくと、すぐに気づいたようだった。ぱっと表情を明るくし、直後にきょとんとした顔をする。彼女の視線は、ランツの荷物に向いていた。
「出発は明日よ?」
「それぐらい分かってる」
 心外そうな口ぶりでランツは言った。
「宿を引き払ってきたんだよ。契約がちょうど今日までだったから」
「今夜はどうするの?」
「街の近くで野宿する」
 あっさりと言った。実は、今までに何度かそういうことはあった。例えば、高い宿しか空いていなかった時とか。
 やってきた店員に、酒と適当な料理を注文する。ランツが普段行くような店と違って種類がたくさんあるようだったが、お勧めを頼んでおいた。
「……ねえ」
 さっきから妙にそわそわしていたルカが、不意に口を開いた。彼女の視線は、テーブルの上にじっと固定されている。ランツは続く言葉を待ったが、なかなか来ない。
 すると、
「なんでもない」
「なんだよ」
「なんでもないってば!」
 ルカは怒ったように言った。ランツは首を傾げた。
「どこに行くか決めてるのか」
 思い出したように言った。ルカについて行くと決めたランツだったが、そう言えば具体的な行き先は聞いていなかった。
 ルカは、世界樹教の力がなるべく弱い土地へ行くつもりだそうだ。教会の勢力範囲は世界中に及んでいるが、とは言えどの国でも強い影響力を持っているというわけではない。この国はかなり強い方だろう。
「とりあえず、ずっと東に向かうつもり。東に行くほど聖導具は使われていないそうだから」
 そこまで言ったあと、ルカは小さな声で付け足した。
「本当は、シグルドたちの後を追おうかとも思ったんだけどね」
 ランツは何も言えなかった。たぶん、受け入れられないだろう。
「ほんとにいいの?」
「ん」
「ニアたちと別れて」
 ルカは不安そうな視線を向けた。実は、ニアも誘ったのだ。だが彼女は、この街からあまり遠くには行けないらしい。当然、ローディにも断られてしまった。
「いいさ。いつでも会いに来れる。それに……」
 ランツは珍しく言いよどんだあと、思い切って告げた。
「俺はルカと一緒にいたい」
「……ありがとう」
 消え入りそうな声で、ルカが言った。顔は伏せられ、表情は(うかが)えなかった。
 先ほどの店員が、ワインの入ったグラスを二つ、テーブルに置いていった。料理はもう少々お待ちください、と丁寧に言って帰っていく。
 ふと思いついて、ランツは言った。
「俺たちの新しい門出に」
 グラスを掲げる。控えめに打ち合わされる音が、小さく響いた。
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