第9話 死闘

文字数 2,972文字

 銅像は、普通の人間が動くのと同じような速さで――つまり、相対的には恐るべき速度で足を踏み出すと、手に持った剣を振り下ろした。
「ぐっ!」
 破壊された床の破片が飛び散り、脇腹を打った。痛みに顔をしかめる。
 銅像の方に向き直ったランツの視界に、地面に倒れる赤い髪の少女――ルカの姿が映った。すぐそばの石柱には、大きな石の塊が突き刺さっている。最悪の出来事が頭に浮かんで、背中に冷や汗が流れる。
「大丈夫か!」
 慌てて駆け寄る前に、ルカは頭を振りながら体を起こした。大きな怪我は無いようだ。
 銅像は、ランツたちとは逆側に狙いを定めたようだった。ローディとアリエルが、柱の間を逃げ回っている。
 その柱と同じぐらいの太さがある銅像の足を、ニアは果敢に攻めようとしていた――が、明らかに無茶だ。相手の動きが速すぎる。
「ルカ!」
 名前を呼んだだけなのに、彼女は怯えたように身を(すく)ませた。焦りによって鬼気迫る形相になっていることに、ランツは気づかなかった。
「聖導具であいつの足を破壊できないか!?」
「む、無理よ! 動きを止めてくれないと……集中に時間がかかるの!」
 ルカは必死な様子で言った。聖導具に集中なんて必要あったか、と疑問に思ったものの、聞いている時間は無い。
「動きを止めればいいのか」
 ランツは必死に考えを巡らせる。敵はとんでもなく速いが、よくよく見れば単に人間の動きをそのまま巨大化しただけだ。ならどんな時に足を止めるのか、想像が付くはず。
「……よし」
 小さく呟くと、ランツは銅像に向かって駆け出した。ルカが慌てたように声をあげる。
「ちょ、ちょっと!」
「頼んだ!」
 返事を聞かずに走る。あとは信じるしかない。
 回り込むように移動し、銅像の正面に出る。敵は即座に剣を振り下ろしてきた。
 その攻撃を予想していたランツは、地面に飛び込むようにして右に跳んだ。伏せたランツの真横の床に、刃がめり込む。
 即座に立ち上がると、敵は剣を引き、様子を見るかのように動きを止めていた。ランツも剣を大上段に構えて向かい合う。このまま睨み合いを続けさせてくれと、祈らずにはいられない。
 だが圧倒的に有利な相手の方は、当然長く待ってはくれなかった。再び振り下ろされる剣を、先ほどと同様にして避ける。
 いくら人間と同等の速度で動くとは言っても、さすがにあの巨大な剣を振る速さまで同じというわけではない。自分を真っ直ぐに狙うと分かっていれば、避け続けることは不可能ではないだろう。が、
(いつまで通じる?)
 ランツは冷や汗をかきながら立ち上がった。フェイントをかけられでもしたら、果たして回避できるのか。
 三度目の攻撃。手の動きを見て横に跳んだランツは、目を限界まで見開いた。
 剣が途中で止まっている。騙された!
 慌てて立ち上がろうとした時には、軌道を修正した剣の先が迫っていた。間に合わない。そう思った瞬間、
「やああっ!」
 気合の声と共に、ランツの頭上をハンマーが通り過ぎた。爆発のような音が、二度続けて響く。
 ニアの一撃によって、巨大な剣はわずかに横に逸らされていた。破片に打たれ、ランツは再び地面に倒れる。
「力よっ!」
 ルカが叫ぶ。不可視の衝撃波は、銅像の膝の部分に激突した。上下が完全にずれ、敵の体がぐらりと横に傾いた。
 音と振動。石柱をなぎ倒しながら、巨体が地面に倒れ伏す。
「逃げよう!」
 ローディが声をあげた。五人は入口へ向けて駆け出した。
 立ち上がろうともがく銅像が、バランスを崩して再び倒れた。地震のような振動に、ルカが足をもつれさせる。ランツは手を伸ばし、腕を掴んだ。
「急いで!」
 最初に部屋から出たローディが手招きする。次いでニアが、それからアリエルが外に出ようとしたその時、
「アリエル!」
 ランツは思わず叫んだ。体を起こした銅像が、近くにあった床の破片を投げつけたのだ。
 だがアリエルは気づかない。人の胴体ほどもある石がぶつかる。悲鳴を上げる間もなく、彼女の体が部屋の外に吹き飛ばされる。
 ランツは歯軋りしながらも逃げ続けた。最後に手を引かれたルカが入口を通り過ぎると、銅像はぴたりと動きを止めた。
 怪我の具合は。そう聞こうとして、ランツは開きかけた口を閉じた。うつ伏せに寝かされたアリエルの背中には、見るも無残な傷が刻まれていた。頭からも血を流している。ローディが、必死に手当てをしていた。
「アリエルの聖導具で治せないのか?」
「無理だ。そんな力は無いよ」
 問いかけはあっさりと否定された。事前に聞いて分かっていたことだ。
 何もできないのか。ランツは唇を強く噛む。
「どいて」
 唐突に、ルカが前に出た。押しのけられたローディが驚いた表情で言った。
「何を……」
「いいから!」
 その剣幕に気圧(けお)され、彼は身を引いた。ルカは膝立ちになると、アリエルの頭と背中に手を当て、囁くように言葉を紡ぐ。
「生命の樹、癒しの水、万物の根源たる……よ」
 声は小さく、全てを聞き取ることはできなかった。だが少なくとも、何か話しかけているという様子ではない。
 一瞬、ルカも治癒の聖導具を持っているのかと思った。しかしそれにしてはおかしい。聖導具を使うのに、言葉は必要ない――多くの冒険者が特定の単語を発するのは、単に仲間たちに伝えるためだ――それに、彼女は聖導具らしきものを何も手にしていない。
「あっ」
 ローディが声をあげた。背中の傷が、徐々に塞がっていく。アリエルに治癒の聖導具を使ってもらった時と同じだが、あの時より傷ははるかに深い。
「まさか……」
 彼ははっとした様子で言った。さすがのランツにもその意味は分かった。こんな現象を起こせるのは、聖導具でなければ一つしかない。
 不意に、ルカの体がぐらりと傾いた。支えようとしたランツの手を、彼女は振り払った。
「……離して」
 ルカは息を切らしながら言った。その表情には憔悴の色が濃い。聖導具を使ったって、こんな風にはならない。
「その子は助かるわ。体力を消費しているから、十分休ませてあげて」
 ルカはふらつきながらも立ち上がると、消え入りそうな声で言った。ローディが、緊張の面持ちで尋ねた。
「魔術師……なのか?」
 彼の反応も当然だろう。魔術師を、魔物と同じようなものだと思っている人は少なくない。世界樹教の教えをそれなりに信じている者なら、特にそうだろう。
 ルカは悲しそうな表情で言った。
「そうよ。あなたたちを傷つけるつもりはないわ。だから、逃がして欲しい……」
「魔術師なのか!」
 突然ランツが大声をあげた。内容はさっきのローディとほぼ同じだったが、口調は全く異なっていた。何より、その顔に浮かんでいたのは、満面の笑みだ。
 ぽかんとするルカの肩に、ランツは両手を乗せた。そのまま抱きしめそうな勢いだった。
「もっと遠くに逃げた方がよくない? 今は動いてないけど」
 いつの間にかさっきの部屋を覗き込んでいたニアが言った。ローディが気を取り直したように言う。
「そうした方がいいね。ランツ、アリエルちゃんを運ぼう」
「ああ」
 ランツはようやくルカから手を離すと、力強く頷いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み