第6話 そして誰もいなくなった

文字数 1,805文字


大きな犠牲を払って、ナポレオンの妻となったマリー・ルイーゼ。彼女には、イタリアのパルマが、所領として与えられることになった。


ただし、これは、彼女一代限りだった。ナポレオンとの間の息子、フランツを始め、今後彼女が産む(かもしれない)子どもたちに、相続権はない。


フランツが、母と共に、パルマへ行くことは認められなかった。ナポレオンの息子は、ウィーンから出ることが、許されない……


[マリー・ルイーゼ]


(出発の日、早朝:眠っているフランツのベッドの傍ら)


とうとう、この子には、何も言うことができなかった。

お別れよ、フランツ。あなたが目覚めた時、私はもう、いない。


でも、大丈夫。あなたには、オーストリア皇帝(お祖父さま)がついていわ。私といっしょにいるより、いいと思うの。もちろん、あなたのお父様(ナポレオン)と運命を共にするよりも、ずっとずっと、ね!


お祖父様がいらして、あなたは幸せよ、フランツ。お祖父様にお任せすれば、なんでもうまくいくわ。あなたがうらやましいくらいよ、フランツ。

[護衛官ナイペルク]


マリー・ルイーゼ様。
わかってる。私にはあなたがいるものね、ナイペルク。
ご出立のお時間です。

(玩具を、ベッドの中に押し込む)


さようなら、フランツ。立派なドイツのプリンスになってね。

さようなら……。

はっ!(目が覚める)


(枕もとの玩具に気が付く。全てを悟る)

…………。
いなくなったのは、母だけではなかった。

エミール……彼の幼い遊び友達もまた、マリー・ルイーゼの付き人である両親とともに、パルマへ去っていったのだ。

[祖父のオーストリア皇帝]


フランツの様子はどうだ? 泣いているか?

[家庭教師のディートリヒシュタイン]


泣いてはおられません。泣いてはおられませんが……。

が?
それが、かえって、気がかりなのです。プリンスは、5歳におなりになったばかりです。あの年齢で母と引き離されたら、普通は泣くのではないでしょうか?
うむ……。
(夜)


……。(眠れない)

(寝返りを打つ)


……。(眠れない)

(起き上がり、ベッドから出る)


!(母の置き忘れたスカーフに気がつく)


…、…。(ベッドに引きずり込む)

……。

(スカーフに顔を埋め、とろとろと眠りにつく)


一人。また、一人。

フランス人の付き人は、解雇されていった。


新たにまた、ドイツ人教師が、雇われた。

ヨハン・バプティスト・フォレスチ、39歳。彼もまた、イタリア戦線で、ナポレオンと戦った。囚われて、フランス軍の捕虜になったこともある。


皇帝と家庭教師たちは、フランツの教育方針について話し合った。


もちろん、孫は、ドイツ人として、ドイツの教育で育てる。

だが、……そうか。(マリー・ルイーゼ)が、そんなことを言ったのか。

はい。

プリンスの前で、ナポレオンの名は出さないように、との仰せでした。

[新しい家庭教師、フォレスチ]


マリー・ルイーゼ様におかれては、フランスから持ち帰られましたナポレオンの肖像画も、ウィーンに置いていかれました。

それでも、あれ(・・)は、孫の父親だ。
(はっとする)


(傍白)

そういえば、ナポレオンが捕えられたとき、死刑を強硬に反対されたのは、われらが皇帝だった。ロシアとプロイセンに手柄を譲り、パリへの進軍も見送られたと聞く。


全ては、娘婿(ナポレオン)への気遣いだったのだ。


なんと懐深き、偉大な方だろう……。



(皇帝に向かい)

ナポレオンについては、いずれ、歴史の一環として、プリンスにはお話ししていくつもりです。

度を越した野望を。あくことなき戦争への傾倒と、挫折を。ディートリヒシュタイン先生とも話し合いましたが、プリンスがふさわしい年齢になられましたら、現代史の一環としてお教えして参ります。
うむ。それがよかろう。


家庭教師たちの他も、フランツの付き人は、ドイツ人男性で固められていった。


最後のフランス人の付き人……マダム・マーチャント、「ちゃんちゃん」と彼が呼んでいた、生まれた時からいた子守り女性(ナニー)だった……が去った朝。


むくっ(起き上がる)


きょろきょろ(辺りを見回す)

[フォレスチ先生]


(続きの部屋から出てくる)

おはよう、フランツ君。お目覚めかね?

(ゆっくり頷く)


フォレスチ先生。

僕、着替えたいんです。

ああ……。


[傍白]

着替えは今まで、フランス人女性が手伝っていたのだったな。


(フランツへ)

いいよ。今朝は、私が手伝おう。だが、明日からは、自分で着替えるんだぞ。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

フランツ(フランソワ)


ナポレオンとオーストリア皇女、マリー・ルイーゼの息子。父の没落に伴い、ウィーンのハプスブルク宮廷で育てられる。


無位無官のただの「フランツ君」だったのだが、7歳の時、祖父の皇帝より、「ライヒシュタット公」の称号を授けられる。

ディートリヒシュタイン伯爵


フランツにつけられた、コワモテ家庭教師。家庭教師は他に、フォレスチコリンがいる。

オーストリア皇帝フランツ


フランツの祖父。なお、「フランツ」の名前は、ナポレオンが、この祖父から貰った。

マリー・ルイーゼ


フランツの母。ナポレオンと結婚したご褒美に、ウィーン会議の時、パルマに領土を貰う。

片目の将軍(後パルマ執政官)ナイペルクと、絶賛恋愛中。

ナイペルク


皇帝がマリー・ルイーゼにつけた護衛官。後、パルマ執政官。家庭教師のディートリヒシュタインとは古い友人。

ナポレオン


エルバ島に封じられてから、百日天下を経て、セント・ヘレナ島で亡くなるまでの時代設定です。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色