第4話 百日天下の陰で
文字数 1,114文字
1815年3月。パリ陥落から、約1年後。
ナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに返り咲いた。
百日天下の始まりである。
ウィーン会議に集っていた諸王たちは、戦いの準備の為に、各国に散っていった。
どうせ、フランス人従者は、いつまでもウィーンにはいられないのよ。モンテスキュー伯爵夫人だって、いずれ、フランツのそばから追い払われるわ。それが少しばかり早くなったからといって、責められるいわれはないはず!
(声)
ママ・キューーーーーッ!!3日3晩、呼び続けて、フランツは、とうとう、諦めた。
それ以降、身の回りの誰がいなくなっても、彼が泣くことはなかった。
◆
ママ・キューの解雇から6週間後。
かつてナポレオンの書記官だったメヌヴァル※が、解雇された。
部屋の隅に隠れていたフランツは、メヌヴァルがお別れの挨拶をしに近づいていくと、小声で尋ねた。
メヌヴァルは、頷いた。
メヌヴァルは、無事、パリへ帰還し、ナポレオンへこの言付けを伝えることができた。ナポレオンは、何度もメヌヴァルを呼び出して、ウィーンの母子の様子を尋ねたという。
なお、マリー・ルイーゼとナイペルクとの関係は、密偵が探り出していた。だがこの件に関して、帝王は、何も尋ねてこなかった。
やがてナポレオンは、ワーテルローで連合軍に敗れた。
6月22日、ナポレオンは、2度目の退位を宣言した。この日から、ルイ18世のパリ帰還の前日、7月7日までの2週間余りが、ナポレオン2世の在位期間とされる。
もちろん、ウィーンにいるフランツには、何も知らされなかった。
自分が、フランスの帝王であったことも。
父親が連合軍に惨敗して、南大西洋に浮かぶ絶海の孤島、セント・ヘレナへ流されたことも。