第15話 mon Pataud

文字数 986文字


先生方の控室……


[家庭教師のコリン先生]


いやはや、全く、出版社というものは、なってませんな!
[同じく家庭教師のフォレスチ先生]


どうされましたか、コリン先生。

私の原稿に、無用なアカ(修正)を入れてきたのですよ!

へえ。

コリン先生の原稿に?

それはまた、大した自信ですな!

誤字を修正したつもりなんでしょうが、アカの方が間違いなんです。

そんなのに手間取って、なかなか本ができなくて……、


なんといいますか、やつら、"pataud” ですな。

(足元から)

それは、パパが僕を呼んでいた言葉だ!

えっ!
(フォレスチ先生と顔を見合わせつつ)


フランツ君、君は、この言葉を知っているのかい?

(懐かし気に……)


うん!


mon Pataud……。


パパは僕をそう呼んで、それから、アームチェアーの中で眠り込んでしまうんだ……。

(フランツに聞こえないように)


コリン先生、”pataud" って、アレでしょ?

(ひそひそ)


ええ、アレです。

(ひそひそ)


"mon" は "my" だから……。

それにしても、"pataud"って……。

(ひそひそ)


ばか、まぬけ、うすのろ……。

(ひそひそ)


ナポレオンは、我々のプリンスのことを、そのように呼んでいたんですね……。

(ひそひそ)


そういえば、以前、マリー・ルイーゼ様から聞いたんですけど、ナポレオンは、我々のプリンスに、こう言っていたそうですよ……。
[ナポレオン:回想]


「この、のろまめが! お前の年齢の時には、俺はもう、ジョゼフを負かしていたぞ!」



※ボナパルト家の長兄、ナポレオンの兄。

 ブログ「ジョゼフ・ボナパルト」

ばか、まぬけ、うすのろ、のろま……。


(ショックを受けている)

(ひそひそ)


一種の愛情表現ですよ、きっと。

(ひそひそ)


それにしても、プリンスが、最後にナポレオン(父親)に会ったのは、2歳の時でしょ?


▼回想▼


1814年1月25日早朝

既にライプチヒで敗れた後、

ナポレオン、出陣の朝。


[軍服に身を固めたナポレオン]


子ども用ベッドを覗く。

(2歳のローマ王(フランソワ)、ぐっすりと眠っている)


そっと布団をめくる。

現れた足の、小さな指をくすぐる。

枕元に回り、頬にキスをする。

(皇妃マリー・ルイーゼ)


いつお帰りになるの?

神のみぞ知る。

画像は、連合軍に敗れ、フォンテーヌ・ブローで退位するナポレオン。

妻と息子はオーストリアへ連れて行かれ、最早、会うことは叶わない……。

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登場人物紹介

フランツ(フランソワ)


ナポレオンとオーストリア皇女、マリー・ルイーゼの息子。父の没落に伴い、ウィーンのハプスブルク宮廷で育てられる。


無位無官のただの「フランツ君」だったのだが、7歳の時、祖父の皇帝より、「ライヒシュタット公」の称号を授けられる。

ディートリヒシュタイン伯爵


フランツにつけられた、コワモテ家庭教師。家庭教師は他に、フォレスチコリンがいる。

オーストリア皇帝フランツ


フランツの祖父。なお、「フランツ」の名前は、ナポレオンが、この祖父から貰った。

マリー・ルイーゼ


フランツの母。ナポレオンと結婚したご褒美に、ウィーン会議の時、パルマに領土を貰う。

片目の将軍(後パルマ執政官)ナイペルクと、絶賛恋愛中。

ナイペルク


皇帝がマリー・ルイーゼにつけた護衛官。後、パルマ執政官。家庭教師のディートリヒシュタインとは古い友人。

ナポレオン


エルバ島に封じられてから、百日天下を経て、セント・ヘレナ島で亡くなるまでの時代設定です。

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