六十五 二人の食卓

文字数 3,864文字

 電子レンジが、温め終わった事を告げる為の、チーンという音を鳴らす。どこか、レトロな雰囲気を感じさせるその音を聞いた子猫が、かわいい仕草で小首を傾げた。



「今のは、料理を温め終わった事を告げる音。このレンジは大きくて、結局、二つとも入ったから、手間が省はぶけてよかった」



 門大は、電子レンジの中から、トレイを二つ取り出しながら、あつ、あつつ、と言いつつ、二つのトレイをテーブルまで持って行き、その上に置く。



「ミャミャム」



 子猫が鳴いて、トレイに近付いて来た。



「ちょっと、温め過ぎたかも。クラちゃん、きっと、猫舌だよね?」



「本来のわたくしは、猫舌ではありませんけれど、今は、猫ですので、そうかも知れませんわ。けれど、温かいうちに食べた方がおいしそうですわ。このまま食べてみますわ」



「分かった。じゃあ、クラちゃんが、食べる事ができなそうだったら、その時に、また、どうするか考えよう」



 門大は、子猫の書いた文字を読んで、そう答えてから、パッケージを一つずつ開けて、料理の入ったトレイを出していく。



「ホークとスプーンと箸が、トレイの横に付いてる。俺は箸を使うとして。クラちゃんは、どうする? トレイから直に食べる? それとも、何か使う?」



 門大は、子猫の方に目を向ける。子猫が、ミャミュ。と鳴いてからホワイトボードに文字を書く。



「わたくしは、ホークを使いますわ。門大の、その、箸、という物は、なんですの? 見た事がないですわ」



「これは、俺のいた、国、っていうのかな。でも、他の国でも使ってたな。ええっと、まあ、俺のいた世界では、こういう物を、食べる時に使う国がいくつかあって、俺のいた国もそうだったんだ。それで、これは、使い方としては、こんなふうに、こうやって持って、この先の所で、物を挟んで、持ち上げたり、こうやって先で突ついて、柔らかい物を割ったりするんだ」



「器用ですのね。わたくしも、人に戻ったら、それを使ってみたいですわ」



「うん。分かった。その時は、使い方教えるね」



「はい。その時はよろしくお願いしますわ」



「了解。じゃあ、話はこのくらいにして、とりあえず、冷めないうちに食べよっか」



「はい」



「それじゃ、いただきます」



「いただきます」



 子猫がホワイトボードから離れ、鯖の味噌煮定食のトレイと、その横に置いてあるホークに近付く。門大は、クラちゃん。自分でできるかな? と思いながら、子猫の姿を見守る。



 後足で立ち上がり、両方の前足でホークを持つと、子猫が、鯖の味噌煮に挑みかかる。大きな鯖の身を、ホークを使って、小さく分けようとするが、途中でホークが鯖の身に深く刺さってしまい、抜けなくなった。子猫がホークを抜こうとして、少しずつ力を込めていきながら、ホークを引っ張る。ホークが不意に、鯖の身から、すぽんと抜け、その反動で、子猫の前足からホークが離れて飛び、子猫やトレイや、テーブルの上に転がったホークの周囲に、鯖の身の破片と、鯖の味噌煮の汁が、飛び散った。



「クラちゃん。大丈夫? 自分にかかってない? 火傷とかしてない?」



 門大は、手を伸ばすと、子猫を両手で掬すくうようにして持ち上げ、子猫の全身を確認するように見ながら言った。



「ミャウン」



 呆然としていて、門大のなすがままになっていた子猫が、門大の声を聞き、門大の方を見ると、元気のない小さな声で鳴いてから頷く。



「よかった」



 門大は、テーブルの上に子猫を下ろすと、ホークを拾い、テーブルの上に置いてあった、ティッシュペーパーで、飛び散った汁と、鯖の身の破片とを、拭き取った。



「ミュミュウーウン」



 門大の様子を見つめていた子猫が、しょんぼりとした様子で鳴きながら、お座りをし、顔を俯けた。



 門大は、子猫が顔を俯けている間に、鯖の身の一部を箸で取る。



「はい。クラちゃん。あーんして」



 門大は、箸で取った鯖の身を、子猫の顔に近付けて、言った。



「ミャ? ミャーン?」



 子猫が顔を上げ、顔の前にある鯖の身を見て鳴き、当惑した様子をみせる。



「ほら。早く食べないと冷めちゃうよ」



「ミュウン。ミャーミャン」



 子猫が鯖の身と門大の顔を交互に見つつ、観念したかのように、寂しそうに、鳴いてから、口を開いて、鯖の身を食べた。



「おいしい?」



 門大は、懸命に鯖の身を咀嚼している、子猫を見つめながら言った。



「ミャミャミャ」



 子猫が鯖の身を飲み下すと、鳴いて、ホワイトボードとペンに近付き、ホワイトボードに文字を書く。



「もう。わたくしは、情けなくって、恥ずかしくって死にそうですわ。こんな事なら猫になんてなりたいなんて思わなければよかったですわ。わたくし、何も、考えてはいませんでしたわ。猫になって生きる事がこんなにも大変だったなんて。門大。本当に、ごめんなさい。門大には、本当に、本当に、迷惑ばかりかけていますわ」



「こんな事言うと、クラちゃんは気にしちゃうかも知れないけど、例え話として聞いて。俺と一緒にいて人と同じような生活をしようとしてるから、大変なんだと思う。もしも、俺とこんなふうに一緒にいないで、クラちゃんが一人で、猫として生きてたとしたら、猫としての生活を楽しめてたんじゃないかな。だから、ほら。俺のせいでもあるから。そんなに気にしないで」



「そんな事を言うなんて、門大は意地悪ですわ。門大と一緒にいないで、一人でいる時点で生活は楽しめませんわ。……。けれど、確かに、猫として、生きていれば、今までして来た事は、やらなくて済んだ事ばかりかも知れませんわね。でも、そうだとしても、今までやって来た事を、猫として、やってみるなんて事も、わたくしにはできませんわ。だから、やっぱり、門大は意地悪ですわ」



「とほー。二度も意地悪と言われてしまった。ごめん。もっと、言う内容を考えればよかった。けどさ、話を戻すけど、そうかな。ええっと、クラちゃん、何をやったっけ。ツルギアラシ、いや、あの変な奴を倒して、トイレに入って、お風呂に入って。今は、御飯を食べてって。それくらいじゃない?」



 子猫がじとーっとした目で門大を見る。



「え? え? 何?」



 門大は、何かやっちゃったか? ミャフスが来るのか? と思い、いつでも逃げられるようにと、椅子から少し腰を浮かせる。



「門大は分かっていませんわ。あの生き物の事はともかく、お風呂の事や、おトイレの事や、さっきのホークの事が、どれくらい、わたくしにとって、大変な事なのか」



「大丈夫だよ。大変だったら、俺が手伝う。クラちゃんは、なんの遠慮も、心配もしなくたっていいんだ」



「そんなふうに言われるのは、とても嬉しいのですけれども、そうではないのですわ。わたくし自身の、気持ちの、問題なのですわ。うーん。そう、そうですわね。門大は、わたくしが、門大の、えっと、あの、なんていうか、そういう、お世話をしたとしたら」



 子猫のペンが、そこで止まった。



「クラちゃん? ああっと、ええっと、ほら。あれだよ。食事中だし。俺から言っちゃったけど、ト、トイレの話とかは、や、やめよう。それで、食事の続きを、ね。料理、冷めちゃうし」



 んん? これは? どっちだ? 来るのか、来ないのか? どっちか分からないけど、とにかく、ここでこの不穏な流れを、断っておいた方がいいよな。門大は、子猫がペンを止めた瞬間に、そう思うと、慌てて言った。



「わたくし、今、想像していましたの。もしも、立場が逆になって、自分が、門大のお世話を、今の、門大のように、する事になったら、どうするのかと。門大は、前に言っていましたわね。わたくしの、クラちゃんの、世話をするのが嬉しくって楽しいって。わたくしも、門大のお世話ができたら、嬉しくって、楽しいって思いましたわ。門大。わたくし、今までも、門大には、たくさん甘えて来ましたけれども、もちろん、門大が、どうしてもやりたいって言っても、お世話してもらいたくない事もたくさんあって、自業自得ですけれども、今の、この、猫になってしまっている事を、とても、後悔していて、とても、落胆していますけれども、これからも、門大に、甘えてしまって、いいのでしょうか?」



 子猫がそこまで書いて、ペンを置くと、お座りをし、門大の目をじっと見つめる。



「クラちゃん。もちろんだよ。クラちゃんがそう思ってくれて、俺は、凄く嬉しい。こんな事言ったら、怒られるかも知れないけど、クラちゃんが子猫になった事って、俺にとって、凄く、いい体験になってるって思う。生きてると、いろんな事があるから。俺、今回の事で、クラちゃんと、どうやって一緒に生きて行けばいいのかって事を、学べてるって思う。もちろん、全部学べてるなんて思ってないよ。けど、どんな時でも、二人で一緒に生きて行くって、こういう事なのかなって、思う事ができてる……。ああ。ごめん。自分で言ってて、なんか、ぐっと来ちゃった」



 門大は、ミャフスに怯えていた事など、すっかりと忘れて立ち上がり、手を伸ばし、子猫を持ち上げて、自分の傍に持って来ると、子猫の体を、子猫に、クラリスタに、対する、溢れ出る思いを、子猫に、クラリスタに、伝えるように、そっと、ぎゅっと、抱き締める。



 子猫が、門大の思いに答えるように、門大の顔をぺろぺろと舐めた。



「おわっ。クラちゃん。くすぐったい。もっともっと舐めて」



「ミャ!?」



 子猫が驚いたように鳴き、動きを止める。



「ミュス。ミャミャミュス」



 子猫が鳴いて、門大の顔に、自分の顔をぎゅっと押し付けると、何度も、何度も、頬擦りをした。
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