五十六 不意打ち

文字数 2,479文字

 長く高く空に向かって伸びた草で形作られた迷路の壁は、暖かく明るかった日差しを遮っていて、キャスリーカやクロモと別れて、孤独になった門大には、ここが、単なる迷路などではなく、何かしらの、罠や、モンスターなどが出て来るような、迷宮のような物に、思えて来ていた。



「クラちゃん。クラちゃーん」



 門大は、ともすれば、湧き上がって来て、心や体を動かせないようにしようとする、喪失感や恐怖心を、かき消す為に、わざと声を大きくしながら、子猫になったクラリスタの姿を探す。時折、腕時計を見るが、なんの表示もない文字盤からは、時間の感覚的な動きのような物は、まったく伝わっては来ず、短針が、動いているのか、動いていないのかさえ、時計が動き出したばかりの今は、まだ、分からなかった。



「ミャーン」



 どこからか、不意に子猫の鳴き声が聞こえて来る。



「クラちゃん? クラちゃんなのか? どこにいるんだ?」



 門大は、すぐに、その鳴き声に答えるように声を張り上げた。



「ミャミャウ」



 門大の声に応じるように子猫が鳴く。



「そこで待ってて。動かないで」



「ミャン」



 門大は、子猫の鳴き声がした方向に向かって走り出す。



「ごめん。クラちゃん。もう一度声を」



 しばらく行った所で、鳴き声が聞こえ来ていた方向を見失い、門大は慌てて声を上げる。



「ミュウ」



「声を出し続けて」



 門大の言葉に答えるように、子猫が鳴き続け始める。門大はその鳴き声を頼りに、子猫を必死に探した。



「ミャウ」



 子猫の鳴き声が近くなる。



「クラちゃん。すぐに行く」



 目の前の角を右に曲がれば、子猫が、クラちゃんが、いるはずだ。門大は、そう思い、期待と喜びに胸を膨らませて、角を曲がった。



 門大は、足を止め、自分の目に映っている何かを、自分に認識させるように、震える声で、なんだよ、これ。と、呟いた。角を曲がった門大の目の前に現れたのは、刃部分から鈍い銀色の光を放っている、長さが三十センチくらいある、諸刃の剣が、体中に生えている、門大と同じくらいの大きさをした、何か、だった。



「クラ、ちゃん?」



  門大の目に、無数に生える剣の隙間から、二つだけ生える、異質な形状をしている物が映る。それは、人の手の形のような物で、その手のような形をしている物の、一つの方には、血塗れになった、子猫が握られていた。門大は子猫の姿を見て、一瞬にして正気を失った。



「ミャウウゥ」



 子猫が門大の方を見て、弱々しく鳴いた。



「なんだよこれは!! なんなんだよ!!!」



 門大は、声を上げながら、何かに真っ直ぐに向かって行く。門大の頭の中には、子猫を一刻も早く助けたいという強い思いだけがあって、他には、何も考える事ができなくなっていた。



 何かの体中から生えている剣が、途中からぐにゃりと曲がると、その切っ先のすべてを門大の方に向け、一斉に門大に向かって勢いよく伸びて、向かって行き始める。



 門大には、その剣の向かって来る速度は、あまりにも速過ぎた。門大は、避ける動作すらまったくとれずに、向かって来ていたすべての剣を体で受け止めていた。



 門大の体中を何かの体から生えている無数の剣が貫き、頭から流れ出た血が、目の中に入って来て、門大は視界を失う。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」



 門大は、己の肉体という軛くびきから、悶え苦しみながらも、逃れ出ようとするかのように、吠えた。己の肉体が破壊されていっている事に、まったく頓着とんちゃくせずに、ただ、ただ、子猫だけを求める。子猫に手が届くと、門大は、決して壊してしまわないようにと、そっと優しく、子猫を包むようにして両手で掴む。



「クラちゃん。大丈夫か? 頼むから、死んだりしないでくれ」



「フシャアアアアアアアア」



 どこからか、手の中にいる子猫とは、別の子猫が、威嚇しているかのような唸り声が聞こえて来る。



「他にも、子猫が、いるのか?」



 門大の体中に刺さっていた剣が引き抜かれ、門大の手の中にいた子猫も、剣の動きに合わせるようにして、門大の手から、抜けて行く。



「クラちゃん。クラちゃん」



 剣が体から抜けた事で、支えがなくなった体を、自分の力だけでは、立たせている事ができなくなった門大は、声を上げながら、草の生えた迷路の地面の上に倒れ込んだ。



「フー。ミャミャウゥ。ウゥゥゥゥゥゥ。シャアアアアアアアアア」



 子猫が、また、唸り、小さな何者かの気配と、大きな何者かの気配が、踊おどり、暴れる音がした。



「なんだ? 何が、起こってる?」



 門大は、自分でも驚くくらいにかすれた声で言ってから、自分の意識が急激に遠退いて行っている事に気が付いた。



「あれ? 急に、なんだ、これ? なんか、周りの、音も、聞こえたり、聞こえなくなったり、しはじめてる。これは、やばいのか? ひょっとして、俺、死ぬのか? ここは、流刑地じゃ、ないんだ、もんな」



 門大は、心の中に広がり出した不安を、少しでも和らげようと、言葉を出したが、その言葉は不自然に途切れ途切れになっていた。草の上に、大きな物が落ちたような、倒れたような、音がし、門大の周囲が静かになる。



「ミャーン」



 子猫が鳴いた



「クラちゃん? 無事、なのか? なんか、変な、物音、とか、してた、けど」



 喉の奥から、生温かい、鉄の味のする、液体が込み上げて来た。門大は、咄嗟に、言葉を切って、それを吐き出さないようにと、口を閉じて、ぐっと堪える。



「ミャウ」



 子猫が、自分の鼻を門大の鼻に当てたのか、門大は自分の鼻の辺りに、そんな感触を感じた。



「……」



 大丈夫だよ。大丈夫だから。門大は、そう言ったつもりだったが、それは、意識の中だけの事であって、門大の体は、もう、門大の意思では動かせない状態になっていた。



「ミャン。ミャン。ミャアーアン」



 子猫が悲痛な鳴き声を上げる。その鳴き声が、遠くなって行く。門大は、必死になって、クラリスタの名を叫ぶが、門大の言葉はやはり声にはならず、門大の、意識は、唐突に、まるで、電球が切れた時のように、失われた。
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