六十六 芝生と夕暮れ
文字数 4,339文字
お互いの気持ちを曝さらけ出した子猫と門大は、食事をしていた事も忘れ、その気持ちを、確かめ合うように、じゃれ合い続けていた。
「ミャンミャミャミュミュミャン」
子猫が、不意に、何かに気が付いたような顔をすると、鳴いて、門大の手を、ぽんぽんと優しく、片方の前足で叩く。
「どうしたの?」
「ミャウミュ」
子猫がテーブルの方を見て鳴いた。
「ちょっと待って」
門大はホワイトボードとペンを手元に引き寄せ、子猫をテーブルの上に下ろす。
「門大。このボードとペンを取ってもらってありがとうございます。それで、先ほど鳴いたのは、食事中だった事を、すっかり忘れていましたわ。と言っていたのですわ」
「ああ。そうだった」
門大は、料理の入っているトレイに目を向けた。
「駄目だこりゃ。温めな直そっか」
「門大。このままの方が、わたくしはいいですわ」
「クラちゃん。ひょっとして、さっき、食べた時、熱かった?」
「はい。実は、少し」
「クラちゃん。そういう事はすぐに言って。口の中とか火傷してない?」
「はい。大丈夫ですわ」
「それならよかった」
門大は箸を手に取ると、ハンバーグのかけらを箸で取る。
「じゃあ、もう一度、いただきます」
「はい。いただきます」
子猫がホワイトボードから離れ、鯖の味噌煮定食のトレイに近付いた。
「クラちゃん。とりあえず、今回は、全部、俺がやる」
「ミャッフ?」
子猫が鳴いて、門大の目を見つめる。
「はい。あーん」
門大は、箸で持っていたハンバーグのかけらを、子猫に向かって近付けた。
「ミャ、ミャアン」
子猫が鳴き、束の間、もじもじと、逡巡しゅんじゅんするような動きを見せてから、ミャーム。と鳴きつつ、口を開いた。
「もう。小さな牙までかわいいな。クラちゃんは」
口を開けた子猫を見て、そう呟きながら、門大はハンバーグのかけらを、子猫の口にそっと入れる。
「もう。変な事は言わないで欲しいですわ」
ハンバーグのかけらを嚥下えんかし終えた子猫が、ホワイトボードに、そう書き込んだ。
「だって、かわいいんだからしょうがないじゃないか」
「また、そんな事を言って。あんまり言うと、ミャフスしますわよ」
「ええ! そ、そんな。それは、ちょっと。分かった。もう、言わない。いや、ついつい言っちゃうかも知れないから、できるだけ言わないようにする」
「ついつい言っても、ミャフスですわ」
子猫がペンを置き、門大の方を向いて、お座りをする。
「む、むーん。き、気を付けます。凄く反省してます」
門大は言ってから、深く頭を下げた。
「よし。ごちそうさま。クラちゃんも、今は、体が小さいのに、たくさん食べてくれてよかった。これで、二つともトレイが空になった」
食事の途中で用意した、ペットボトルに入っている水を飲み終えた門大は、言いながら、空になったトレイを重ねた。
「わたくしも驚いていますわ。この体の大きさなのに、結構食べられますのね」
「お腹がぽこってなってて、そこがまた、はわわっ」
子猫の表情の変化を見た門大は、慌てて言葉を切る。
「門大。門大は、どうしても、ミャフスされたいようですわね」
「そ、そうだ。そうだった。あれだ。クラちゃん。この後はどうする? 何かやりたい事とかってある?」
門大は、無理矢理に、話題を別の話題にしようとする。
「もう。しょうがないですわね。今回は許してあげますわ」
子猫が書いてから、何やら眠そうに目を細めつつ、再びペンを動かした。
「門大。申し訳ないのですけれども、実は、わたくし、子猫になっているせいなのか、お腹がいっぱいになったら、なんだか、急に、酷く、眠たくなって来ていますの」
「ああ~。そうだね。猫ってしょっちゅう寝てるもんな。きっと、今のクラちゃんだと、それが正常なんじゃないかな」
門大は、ミャフスの回避に成功してよかった。と思いつつ、言ってから、テーブルの上にあったティッシュペーパーの箱からティッシュペーパーを一枚取り、重ねたトレイとティッシュペーパーを持って、システムキッチンの流し台の所に行くと、流し台の中にトレイを置き、ティッシュペーパーを軽く水で濡らした。
「ちょっとじっとしてて。喉の所が少し汚れちゃってるから、拭くね」
「自分で、いえ、お願いしますわ」
子猫が書いた文字を見てから、門大は子猫の喉の辺りを拭いた。
「それじゃ、クラちゃんは、先に、寝室に行こう」
「わたくしも、何かお手伝いしますわ。門大。ごめんなさい。先ほどは、眠いなんて書いてしまって」
「クラちゃん。何がしたいって聞いたのは俺なんだから。気にし過ぎ。でも、それじゃあ、ちょっと待って。何かクラちゃんに頼める事ってあるかな」
門大は、部屋の中を見回した。
「クラちゃん。今は、何もなそうだから、また何かあった時にお願いするよ」
「門大……。分かりましたわ。その時は、頑張りますわ」
門大と同じように、顔を、動かしていた子猫が、顔の動きを止め、門大の方を見て、ホワイトボードに文字を書く。
「うん。その時はよろしく」
門大は、そう言ってから、子猫を、落とさないようにと気を付けながら、片手で抱き上げ、もう片方の手で、ホワイトボードとペンを持つと、寝室に向かって歩き出す。
寝室に着いた門大は、二つあるベッドを子猫に見せるように、子猫を抱いている方の手をゆっくりと動かした。
「クラちゃん。どっちのベッドがいい?」
「ミャミャミュス」
少しの間、迷ってから、子猫が片方の前足で、向かって右側のベッドを指し示して鳴いた。
「こっちだね」
門大は、子猫が片方の前足で指し示したベッドの上に子猫を下ろすと、ホワイトボードとペンを、子猫の傍かたわらに置いた。
「門大。後片付けのお手伝いができなくてごめんなさい」
子猫が後足で立って、ペンを持ち、ホワイトボードに書き込む。
「またそんな事言って。いいのいいの。じゃあ、すぐに戻って来るから」
「寝ないで待っていますわ」
「寝てていいよ」
「それでは悪いですわ。わたくしは何もしていませんもの」
「クラちゃん。反対の立場だったら、クラちゃんなら、きっと、俺と同じように思うと思う」
「門大。そう、ですわね。では、先に寝ていますわ」
「うん。子猫クラちゃんの寝顔か。見るのが楽しみだ」
門大は、言ってから、しまった。また、やってしまった。と思う。
「ミャー? ミャフス?」
子猫が、ペンを置いて両前足を上げ、爪を出しつつ、首を傾げながら、鳴いた。門大は、ごめんなさい。でも、その仕草は、こわかわいい。げげっ。また、やってしまった。と言い、逃げるように、その場を後にした。
食事をしていたテーブルの所に戻ると、少しでも早く、寝室に戻りたいという思いを、抑えつつ、門大は食事の後片付けを始める。テーブルを拭き、子猫用の飲み水を入れたお皿を洗い、トレイを軽く水で流してから、ゴミ箱に捨てて、こんなもんかな? と、思いながら、テーブルと、システムキッチンを見回す。
「そうだ。洗濯物」
洗濯機を回したままにしていた事を思い出した門大は、脱衣所に向かった。
「終わってる終わってる」
洗濯物をかごに入れ、さて。洗濯物を干さないとな。外に出て、庭かどこかに。あれ? 外っていえば、この家の玄関ってどこなんだろう? 気が付いた時には家の中にいたからな。と思った門大は、洗濯物の入ったかごを手に持ち、玄関を探す為に脱衣所を出た。
家の中を、時間にして一、二分ほど歩き回ったところで、門大は、下駄箱と三和土たたきと、その先にあるドアを見付けた。
「玄関発見」
門大は言いつつ、三和土たたきにあった、ビーチサンダルを見て、なぜにビーチサンダル? と思いながら、他には、下履きが見当たらなかったので、そのビーチサンダルを履くと、ドアを開けた。
「芝生? と、柵? と、空?」
玄関を出てすぐの所から、数メートル先にある白色の木製の柵までの間の部分には、青々とした芝生が生えていて、柵の向こう側には、夕暮れに染まる空だけが広がっていて、それ以外の物は、何も、門大の視界の中には入って来てはいなかった。
これって、柵の向こう側ってどうなってんだ? まさか、何もないなんて事はないよな? 門大は、そんな事を考えながら、柵に向かって歩いて行く。
「お、おお」
柵のすぐ前に立ち、柵の外を見た門大は、唸るように言った。な、なんだこれ。何もない。空しかない。落ちたらどうなるんだ? この家の下の部分ってどうなってる? と思うと、門大の背筋に悪寒が走る。
「早く戻ろう」
既に腰が引けていた門大は、そう呟き、恐る恐る、柵から離れた。
玄関の前まで戻った門大は、洗濯物の事をすっかり忘れてた。えっと、庭はどっちだ? と思い、左右を見てから、一周しちゃえば、どっちに行っても同じだろうけど、とりあえず、右側から行ってみるか。と思う。家の壁に沿って右側に向かった門大は、家の壁の角まで行き、そこを左に曲がった。
門大の視界の中に、家の壁と、柵との間に置かれている、物干し台や、物干し竿が入って来る。門大は、物干し台の近くに行き、物干し竿に付いていた洗濯ばさみを使って、洗濯物を干し始めた。
数分の後、かごの中にあったすべての洗濯物を干し終えた門大は、なんとはなしに、夕暮れに染まる空に目を向ける。
そういえば、試練の事とか、この状況の事とか、話そうと思ってたのに、クラちゃんに話すのすっかり忘れてた。それに、早く人に戻って欲しいはずなのに、子猫クラちゃんとの生活を、本気で、楽しんじゃってる。まったく、俺は何をやってんだろ。夕暮れの空を見つめたまま、そう思った門大は、小さな溜息を一つ吐つくと、かごを手に取ってから、玄関に向かって歩き出す。
数歩歩いた所で、門大は、足を止めた。
でも。あれか。試練の事と、この状況の事は、無理に話さなくってもいいか。クラちゃんが気にしてるようだったら、話す事にしよう。クラちゃんが人に戻る事の方は、そうだな。今は、心の中で早く人に戻れるようにって、祈っておくだけにしておこう。俺が、何か言ったり、やったりしたら、きっと、クラちゃんは、俺に悪いと思って、気を使っちゃうもんな。よし。切り替えて行こう。こんな時だ。俺がしっかりしないとな。と、門大は思うと、再び歩き出した。
玄関に戻り、家の中に入って、サンダルを脱ぐ。家の中に上がったところで、門大の口から、はっくしょいっ。と一つ、大きなくしゃみが出た。
「あれ? あれれ? 今更、また、なんだ? ちょっと、寒気までして来た」
門大は、言って、かごを置く為に、脱衣所に向かいながら、これは早く寝た方がいいな。そうだ。寝るといえば、クラちゃん。どんなかわいい顔して寝てるかな? と思った。
「ミャンミャミャミュミュミャン」
子猫が、不意に、何かに気が付いたような顔をすると、鳴いて、門大の手を、ぽんぽんと優しく、片方の前足で叩く。
「どうしたの?」
「ミャウミュ」
子猫がテーブルの方を見て鳴いた。
「ちょっと待って」
門大はホワイトボードとペンを手元に引き寄せ、子猫をテーブルの上に下ろす。
「門大。このボードとペンを取ってもらってありがとうございます。それで、先ほど鳴いたのは、食事中だった事を、すっかり忘れていましたわ。と言っていたのですわ」
「ああ。そうだった」
門大は、料理の入っているトレイに目を向けた。
「駄目だこりゃ。温めな直そっか」
「門大。このままの方が、わたくしはいいですわ」
「クラちゃん。ひょっとして、さっき、食べた時、熱かった?」
「はい。実は、少し」
「クラちゃん。そういう事はすぐに言って。口の中とか火傷してない?」
「はい。大丈夫ですわ」
「それならよかった」
門大は箸を手に取ると、ハンバーグのかけらを箸で取る。
「じゃあ、もう一度、いただきます」
「はい。いただきます」
子猫がホワイトボードから離れ、鯖の味噌煮定食のトレイに近付いた。
「クラちゃん。とりあえず、今回は、全部、俺がやる」
「ミャッフ?」
子猫が鳴いて、門大の目を見つめる。
「はい。あーん」
門大は、箸で持っていたハンバーグのかけらを、子猫に向かって近付けた。
「ミャ、ミャアン」
子猫が鳴き、束の間、もじもじと、逡巡しゅんじゅんするような動きを見せてから、ミャーム。と鳴きつつ、口を開いた。
「もう。小さな牙までかわいいな。クラちゃんは」
口を開けた子猫を見て、そう呟きながら、門大はハンバーグのかけらを、子猫の口にそっと入れる。
「もう。変な事は言わないで欲しいですわ」
ハンバーグのかけらを嚥下えんかし終えた子猫が、ホワイトボードに、そう書き込んだ。
「だって、かわいいんだからしょうがないじゃないか」
「また、そんな事を言って。あんまり言うと、ミャフスしますわよ」
「ええ! そ、そんな。それは、ちょっと。分かった。もう、言わない。いや、ついつい言っちゃうかも知れないから、できるだけ言わないようにする」
「ついつい言っても、ミャフスですわ」
子猫がペンを置き、門大の方を向いて、お座りをする。
「む、むーん。き、気を付けます。凄く反省してます」
門大は言ってから、深く頭を下げた。
「よし。ごちそうさま。クラちゃんも、今は、体が小さいのに、たくさん食べてくれてよかった。これで、二つともトレイが空になった」
食事の途中で用意した、ペットボトルに入っている水を飲み終えた門大は、言いながら、空になったトレイを重ねた。
「わたくしも驚いていますわ。この体の大きさなのに、結構食べられますのね」
「お腹がぽこってなってて、そこがまた、はわわっ」
子猫の表情の変化を見た門大は、慌てて言葉を切る。
「門大。門大は、どうしても、ミャフスされたいようですわね」
「そ、そうだ。そうだった。あれだ。クラちゃん。この後はどうする? 何かやりたい事とかってある?」
門大は、無理矢理に、話題を別の話題にしようとする。
「もう。しょうがないですわね。今回は許してあげますわ」
子猫が書いてから、何やら眠そうに目を細めつつ、再びペンを動かした。
「門大。申し訳ないのですけれども、実は、わたくし、子猫になっているせいなのか、お腹がいっぱいになったら、なんだか、急に、酷く、眠たくなって来ていますの」
「ああ~。そうだね。猫ってしょっちゅう寝てるもんな。きっと、今のクラちゃんだと、それが正常なんじゃないかな」
門大は、ミャフスの回避に成功してよかった。と思いつつ、言ってから、テーブルの上にあったティッシュペーパーの箱からティッシュペーパーを一枚取り、重ねたトレイとティッシュペーパーを持って、システムキッチンの流し台の所に行くと、流し台の中にトレイを置き、ティッシュペーパーを軽く水で濡らした。
「ちょっとじっとしてて。喉の所が少し汚れちゃってるから、拭くね」
「自分で、いえ、お願いしますわ」
子猫が書いた文字を見てから、門大は子猫の喉の辺りを拭いた。
「それじゃ、クラちゃんは、先に、寝室に行こう」
「わたくしも、何かお手伝いしますわ。門大。ごめんなさい。先ほどは、眠いなんて書いてしまって」
「クラちゃん。何がしたいって聞いたのは俺なんだから。気にし過ぎ。でも、それじゃあ、ちょっと待って。何かクラちゃんに頼める事ってあるかな」
門大は、部屋の中を見回した。
「クラちゃん。今は、何もなそうだから、また何かあった時にお願いするよ」
「門大……。分かりましたわ。その時は、頑張りますわ」
門大と同じように、顔を、動かしていた子猫が、顔の動きを止め、門大の方を見て、ホワイトボードに文字を書く。
「うん。その時はよろしく」
門大は、そう言ってから、子猫を、落とさないようにと気を付けながら、片手で抱き上げ、もう片方の手で、ホワイトボードとペンを持つと、寝室に向かって歩き出す。
寝室に着いた門大は、二つあるベッドを子猫に見せるように、子猫を抱いている方の手をゆっくりと動かした。
「クラちゃん。どっちのベッドがいい?」
「ミャミャミュス」
少しの間、迷ってから、子猫が片方の前足で、向かって右側のベッドを指し示して鳴いた。
「こっちだね」
門大は、子猫が片方の前足で指し示したベッドの上に子猫を下ろすと、ホワイトボードとペンを、子猫の傍かたわらに置いた。
「門大。後片付けのお手伝いができなくてごめんなさい」
子猫が後足で立って、ペンを持ち、ホワイトボードに書き込む。
「またそんな事言って。いいのいいの。じゃあ、すぐに戻って来るから」
「寝ないで待っていますわ」
「寝てていいよ」
「それでは悪いですわ。わたくしは何もしていませんもの」
「クラちゃん。反対の立場だったら、クラちゃんなら、きっと、俺と同じように思うと思う」
「門大。そう、ですわね。では、先に寝ていますわ」
「うん。子猫クラちゃんの寝顔か。見るのが楽しみだ」
門大は、言ってから、しまった。また、やってしまった。と思う。
「ミャー? ミャフス?」
子猫が、ペンを置いて両前足を上げ、爪を出しつつ、首を傾げながら、鳴いた。門大は、ごめんなさい。でも、その仕草は、こわかわいい。げげっ。また、やってしまった。と言い、逃げるように、その場を後にした。
食事をしていたテーブルの所に戻ると、少しでも早く、寝室に戻りたいという思いを、抑えつつ、門大は食事の後片付けを始める。テーブルを拭き、子猫用の飲み水を入れたお皿を洗い、トレイを軽く水で流してから、ゴミ箱に捨てて、こんなもんかな? と、思いながら、テーブルと、システムキッチンを見回す。
「そうだ。洗濯物」
洗濯機を回したままにしていた事を思い出した門大は、脱衣所に向かった。
「終わってる終わってる」
洗濯物をかごに入れ、さて。洗濯物を干さないとな。外に出て、庭かどこかに。あれ? 外っていえば、この家の玄関ってどこなんだろう? 気が付いた時には家の中にいたからな。と思った門大は、洗濯物の入ったかごを手に持ち、玄関を探す為に脱衣所を出た。
家の中を、時間にして一、二分ほど歩き回ったところで、門大は、下駄箱と三和土たたきと、その先にあるドアを見付けた。
「玄関発見」
門大は言いつつ、三和土たたきにあった、ビーチサンダルを見て、なぜにビーチサンダル? と思いながら、他には、下履きが見当たらなかったので、そのビーチサンダルを履くと、ドアを開けた。
「芝生? と、柵? と、空?」
玄関を出てすぐの所から、数メートル先にある白色の木製の柵までの間の部分には、青々とした芝生が生えていて、柵の向こう側には、夕暮れに染まる空だけが広がっていて、それ以外の物は、何も、門大の視界の中には入って来てはいなかった。
これって、柵の向こう側ってどうなってんだ? まさか、何もないなんて事はないよな? 門大は、そんな事を考えながら、柵に向かって歩いて行く。
「お、おお」
柵のすぐ前に立ち、柵の外を見た門大は、唸るように言った。な、なんだこれ。何もない。空しかない。落ちたらどうなるんだ? この家の下の部分ってどうなってる? と思うと、門大の背筋に悪寒が走る。
「早く戻ろう」
既に腰が引けていた門大は、そう呟き、恐る恐る、柵から離れた。
玄関の前まで戻った門大は、洗濯物の事をすっかり忘れてた。えっと、庭はどっちだ? と思い、左右を見てから、一周しちゃえば、どっちに行っても同じだろうけど、とりあえず、右側から行ってみるか。と思う。家の壁に沿って右側に向かった門大は、家の壁の角まで行き、そこを左に曲がった。
門大の視界の中に、家の壁と、柵との間に置かれている、物干し台や、物干し竿が入って来る。門大は、物干し台の近くに行き、物干し竿に付いていた洗濯ばさみを使って、洗濯物を干し始めた。
数分の後、かごの中にあったすべての洗濯物を干し終えた門大は、なんとはなしに、夕暮れに染まる空に目を向ける。
そういえば、試練の事とか、この状況の事とか、話そうと思ってたのに、クラちゃんに話すのすっかり忘れてた。それに、早く人に戻って欲しいはずなのに、子猫クラちゃんとの生活を、本気で、楽しんじゃってる。まったく、俺は何をやってんだろ。夕暮れの空を見つめたまま、そう思った門大は、小さな溜息を一つ吐つくと、かごを手に取ってから、玄関に向かって歩き出す。
数歩歩いた所で、門大は、足を止めた。
でも。あれか。試練の事と、この状況の事は、無理に話さなくってもいいか。クラちゃんが気にしてるようだったら、話す事にしよう。クラちゃんが人に戻る事の方は、そうだな。今は、心の中で早く人に戻れるようにって、祈っておくだけにしておこう。俺が、何か言ったり、やったりしたら、きっと、クラちゃんは、俺に悪いと思って、気を使っちゃうもんな。よし。切り替えて行こう。こんな時だ。俺がしっかりしないとな。と、門大は思うと、再び歩き出した。
玄関に戻り、家の中に入って、サンダルを脱ぐ。家の中に上がったところで、門大の口から、はっくしょいっ。と一つ、大きなくしゃみが出た。
「あれ? あれれ? 今更、また、なんだ? ちょっと、寒気までして来た」
門大は、言って、かごを置く為に、脱衣所に向かいながら、これは早く寝た方がいいな。そうだ。寝るといえば、クラちゃん。どんなかわいい顔して寝てるかな? と思った。