四十九 紅蓮の幼女

文字数 4,702文字

 門大は、ここで何かを言っても、余計にクラちゃんを恥ずかしがらせるだけだ。と思うと、何も言わずに、黙っていた。クロモが右前足を動かし、門大の右手を、撫でろ。と要求するかのように、かり、かり、と優しくひっかく。門大は、右手でクロモの頭や背中、喉の辺りなどを優しく撫でた。すると、ゆっくりとクロモの目が閉じていき、静かな寝息を立て始める。クラリスタが、再びそっと門大に寄りかかって来ると、クラリスタも、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。門大は、そんなクロモとクラリスタの姿を見ていて、自分の顔が、自然に綻ほころぶのを感じた。



「皆、疲れているようじゃの。できるだけ早く、終わりしないといけないの」



 ゼゴットが小さな、門大だけに聞こえるような声で言った。



「終わりにはしない。お前がどうしても考えを変えないって言うなら、俺がさっき話せないって言った考えを、お前に話して実行してもらう。この話を聞けば、お前だって賛成してくれると思う。ただ、その考えがどういう物かをお前に話す前に、クラちゃんに話をしないと」



「門大。わしは、門大を転生させる気はないのじゃ。門大だけにすべてを背負わせるような事はしたくないのじゃ」



 門大は、ゼゴットの顔をじっと見つめる。



「どうして、俺の考えてる事が分かったんだ?」



「ここは天界じゃからな。わしは、今、神の力を百パーセント使えるのじゃ。そうなれば、門大の考えを読む事など、造作もないのじゃ」



 門大は、考えを読まれまいとして、頭の中を空っぽにしようとしはじめる。



「門大。今更、そんな事を考えても無駄じゃぞ。門大がわしを抱いている時、不埒ふらちな事を考えていた事も知っているのじゃ。あー。わし、もう、お嫁には行けないのじゃー」



「いやいやいや、それはない。それは今作ったろ?」



「バレたのじゃ。さすがにちょっとやり過ぎたかの」



 ゼゴットが言ってほんわかと微笑む。



「安心するのじゃ。人の考えを読む事ができると言ったのは嘘じゃ。さっきのは当てっずぽうに言っただけじゃ。長く生きていれば大抵の事は予測できるように、いや、わしがこんな事を偉そうに言っては駄目じゃな。キャスリーカ達をあそこまで追い詰めたのは、わしなのじゃから」



「誰にだって、分からない事くらいある。それに、どんなに凄い奴だって、失敗する事くらいあるんじゃないか?」 



「門大」



「俺が、他の世界に転生する。それが一番いい。誰も傷付かないし、お前だって、約束を破らなくてすむ」



 言いながら門大は、完全に寝入ってしまった、クラリスタの寝顔を見た。



「門大。ありがとうなのじゃ。じゃが、それには及ばないのじゃ。わしにも考えがあるのじゃ。最初からこうすればよかったのじゃ」



「何をする気だ?」



「秘密じゃ。そんな事より、わしも眠くなって来たのじゃ。少し眠るのじゃ。門大も眠った方がいいのじゃ」



「あのな。寝てる場合じゃないだろ。クラちゃんには悪いけど、クラちゃんを起こして、すぐに話をしよう。お前の考えは却下だ。何かは分からないけど、嫌な予感しかしないからな」



 門大はクラリスタを起こそうと、声をかけようとする。



「門大。やめるのじゃ。クラリスタはわしと戦って、相当疲れているはずなのじゃ。クラリスタの顔をよく見るのじゃ。こんなに無防備な、安心しきった顔をして。門大と一緒にこうしている事で本当に安らいでいるのじゃろうな。ここは天上界じゃ。わしの庭みたいな物じゃ。何があっても大丈夫じゃ。じゃから寝ても平気なのじゃ」



「クラちゃんの寝顔、か。クラちゃんのこんな顔を見るのって、初めてかも知れないな。こんなにかわいかったんだな。こんな子が、俺の事を好きって言ってくれるなんて。クラちゃんと出会わせてくれた、お前には感謝しないとな」



 ゼゴットが体を動かすと、門大の顔の前に自分の顔を持って来る。



「門大。わしの目を見つめるのじゃ」



「な、なんだよ、急に。変な事すると、クラちゃんがまた怒る」



「ちょっと悔しかったのじゃ。クラリスタばかり、門大が褒めるからじゃ」



「あのな、お前、またそんな、こ、と、を」



 凄まじい勢いで襲って来た眠気に、門大の意識は遠退き始める。



「不意打ちをしてすまんの。眠るように仕向けたのじゃ。わしぐらいになると、魔法などを使わなくとも、神の力を用いて、こんなふうにできてしまうのじゃ。まったく分からんかったじゃろ。門大。本当に、ありがとうなのじゃ。最後に、とても、素敵な思い出ができたのじゃ。次に目が覚め時には、すべてが終わっているのじゃ。わしはの、人の記憶を変える事もできるのじゃ。じゃから、わしの事は、すっかりと忘れているはずなのじゃ。じゃから、もう、何も心配はいらないのじゃ」



「何をする気ぽにゅ。ニッケとハガネは起きてるぽにゅ。おかしな事はさせないぽにゅ」



「そうだったの。クロモは簡単に寝かせる事ができたのだが、ニッケとハガネは、頑張っているみたいじゃの。ニッケ。ハガネ。悪魔に対してじゃから、おかしな言い方になるが、ニッケもハガネも本当にいい悪魔じゃ。これからも、皆をよろしく頼むのじゃ。さあ、ニッケもハガネも眠るのじゃ」



「ニッケは絶対に、眠らな、い、ぽ、にゅ」



「抗え、ない、イ、ヌ」



 ハガネの声を聞いたのを最後に、門大の意識は、完全に眠りの中に落ちて行った。



「ほほう。余の復活を望むか。己の血肉ちにくを対価にするとは。神の血肉ならば、余を完全な姿で復活させる事も可能かも知れんのう。だが、何をさせるつもりかは知らんが、余は神の思う通りには動かんぞ。余は、抗う小さき者が好きでのう。この者達と寄り添って生きると決めて、自ら望んで、体を捨て、このようになったのだからな」



 不意に聞いた事のない声が、聞こえて来て、門大の意識が覚醒する。



「うん? そこにいるのは、石元門大、といったか? 抗う小さき者の雄だな。余の意識が神によって、強く覚醒しているからか? 余はあらゆる意味で規格外だからのう。汝なれ達におかしな影響を与えたくなくて、汝達とは、できうる限り、直接は接触しないようにしているだがな」



「お前は、誰だ? 抗う小さき者って俺の事か?」



 門大は、言って、閉じている目を開けて、周囲を見ようとしたが、閉じている目は開かなかった。



「余に向かって、お前は誰だ? と、問うか?」



「目が開かない。何が起きてるんだ?」



「余の言葉を無視するか。まあ、よい。汝だから、特別に許そう。大丈夫だ。大した事は起きてはいない。安心せい。余はのう。汝達、抗う小さき者達を愛しておる。それはもう、目の中に入れても痛くないくらいにな。汝達の為ならば、いつでも、この命を差し出す覚悟もできておる。それゆえ、もし、何か汝によくない事が起きていたとしても、余が必ず守る」



「それは、なんか、凄いな。けど、お前の事、全然知らないから、急にそんなふうに言われても、ちょっと、怖いな」



「余は、汝がこの世界に来てから、ここに至るまで、汝とずっと一緒だったからのう。汝の事を見ていたが、汝は思っている事が、すぐに言葉となって、口から出る者よのう」



 門大の意識の中に、突然、赤茶けた岩や、草一つ生えていない、乾いた土に覆われた地面などの風景が、浮かび上がり始める。



「なんだ、これ? 目は、開いてないのに。ここは、どこ、なんだ?」



「何か見えているのか?」



「岩とか、他には、何もないな。荒野、みたいな感じか?」



「ふむ。夢、ではないであろうな。余とこうして話をしている時点で、汝の意識は覚醒して余の意識と繋がっているようだからのう」



「夢? ひょっとして、俺はまだ眠ってるのか?」



「意識は覚醒しているが、体は眠っておるのう」



「そうだ。こんな事してる場合じゃなかった。早く起きないと。あいつ、何かやろうとしてた」



「まあ、そう焦るでない。彼奴あやつのやろうとしている事は分かっておる。余がこうしている限り、彼奴は何もできん。おお。汝の見ている物が何か分かったぞ。汝が今見ているのは、余の意識の中にある景色のようだのう。その景色は、余に、まだ体があった頃、いつも見ていた景色だ。どれ。汝の前に姿を現してやろうかのう」



 聞いた事のない声がそう言うと、門大の意識の中にあった、荒野のような風景の中に、禍々しい形状の骨格と皮膜とで形作られている、翼竜の翼のような物を背中から生やしている、翼を含めて、頭の天辺から足の先までが、紅蓮の炎のような色をしている、幼女が一人現れた。



「どうかのう? 年の頃は、六、七歳というところかのう。汝の好みに合わせてやったのだぞ。さあ、喜べ」



「喜べって言われてもな」



 門大は言って、顔を横に向ける。



「ぬ、ぬう。なんたる態度。あれか? 神よりも年齢が上に見えるからか? もっと幼いのが好みなのか?」



「とりあえずなんでもいいから服を着てくれ。こんなとこをクラちゃんに見られたら、何を言われるか分からない」



「汝の細君さいくんの事か。気にするな。ここでの事は分かりはせん」



「あのな。そういう問題じゃないから。それと、お前が誰か分かった。お前、炎龍だろ?」



 門大は言いながら、俺の好みってどういう事だ。俺のどこをどう見てたらそうなるんだよ。まったく。と思った。



「ほほう。余が炎龍だと分かったか。では、これはどうだ?」



 炎龍が言うと、今度は、真っ白な羽毛が生えている、大きな鳥の翼のような物を背中から生やしている、黄金色の板金鎧に全身を覆われた、炎龍と同じような背格好の者が、炎龍の隣に一人現れる。



「雷神」



「ぬ、ぬぬ。正解」



 炎龍が悔しそうな顔をしながら言う。



 雷神も幼女になってるだろこれ。と思うと、門大は頭を抱えたくなった。



「ま、まあ、あれだ。姿を見せてくれてありがとうな。さっき、こうしてても、ゼゴットの方は平気だみたいな事を言ってくれてたけど、やっぱり落ち着かない。悪いけど、俺、もう、起きるから」



「そう急せくでない。この姿になったのには訳があってのう。汝に折り入って、頼みたい事があるのだ」



「無理。絶対無理。やらない。できない」



「まだ何も言ってないではないか」



 雷神が歩き出すと、炎龍の体の前に立つ。



「ん? 雷神は何をしてるんだ?」



 門大は小首を傾げる。



「雷神。何をしておる?」



 雷神が炎龍の耳元に、板金鎧のヘルメットに包まれている顔を近付けた。



「ふむふむ。分かった。余の体を隠してくれているとの事だ」



「そうか。それはよかった。雷神は、炎龍よりはまともそうだな。雷神。ありがとう」



 門大の言葉を聞いた雷神が、ふるふると、頭を左右に振る。



「お礼なんていらないと言っておる」



「なんか、雷神って、優しくていい子みたいだな」



 雷神が、急に取り乱したようにばたばたと手足を動かすと、炎龍の陰に隠れてしまう。



「褒められて照れておるのか。雷神は相変わらずかわいいのう。おお。これはいかん。話がそれてしまっておるな。石元門大よ。余の頼みの件の話の続きなのだがのう。余は汝と子作りがしたいのだ」



「子作り? ああ、子作りなら、ええっと、……。はあ? お前、いきなり、何言ってんの?」



「まあ、突然の事だからのう。驚くのも無理はない。だが、余にも思うところがあってのう。余は、龍の子の父親になった事はあるのだが、母親になった事はなくてのう。今度は、母親となって、龍の子ではなく、抗う小さき者、人と、余の間で作った子を、自らの腹を痛めて産うんで、育ててみたくてのう」



 門大は、なんだこれ? なんで急にこんな事になったんだ? 何がなんだか意味が分からない。クラちゃん。大変だ。なんかおかしな事になって来てる。と思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み