十八 クラ×クラ

文字数 5,308文字

 近所で飼われている、樺太犬のタロが、クラリスタの叫び声に反応して、吠え始める。その鳴き声に反応して、タロを飼っているのとは別の家の住人が、うるさい。静かにさせろ。と声を荒げた。



「と、とりあえず、家の中に入ろうか」



 門大は、クラリスタが、少女、クラリッサと、あれやこれやのやり取りをしている最中に、手を放してしまった事で、アパートのコンクリートで固められている土台の上に、落下してしまっていたノートパソコンを見つめながら言った。



「なあなあ、石元門大。うむむカミン。門大? ふにゃんカミン。お兄ちゃん? うんと、何がいいカミン?」



 クラリッサが甘ったるい声で言う。



「何を言っていますの?」



「呼び方カミンよ。石元門大が、どう呼ばれたいか聞いてるカミン」



 門大は、真っ二つなどにはなってはいないものの、ディスプレイと本体部分の繋がっている部分が割れていて、何やら中身の配線がはみ出していて、外装部分も傷だらけになっているノートパソコンを拾い上げる。



「話は中でしよう。騒ぐと近所迷惑になる」



「むふふふふふ。ちょいやーカミン」



 クラリッサが門大に抱き付く。



「またですの」



 クラリスタが声を上げ、ノートパソコンを手から放し、クラリッサを引き剥がそうとするが、今度は、クラリッサも負けじと、巧みに体をくねくねと動かし、クラリスタの動かす門大の手から逃れようとし始める。



「クラリスタ。そんなふうに僕の体を触るのはいいけど、そうすると、石元門大が、僕の体の色々な場所を触る事になるカミン。石元門大を喜ばせるだけカミン」



「門大。喜んでいますの?」



「喜んでない。クラちゃん。とにかく落ち着いて。こんなの触っても俺は何も感じてないから。まともに相手にしちゃ駄目だ。冷静にならないと。何がしたいのか知らないけど、こいつは、きっと俺達をからかってるんだ。こっちが冷静でいないと、こいつが何をしに来たのかとか、どうして、こんな事になってるのかとか、そういう事が分からない」



 門大はノートパソコンのさらなる落下によって、心に受けていたダメージが倍化した所為で、感情が完全に死んでしまい、それはそれは冷徹に、至極事務的に応対する。



 クラリスタが門大の腕の動きを止める。



「門大は、随分と落ち着いていますのね」



 不満そうな声でクラリスタが言う。



「こんなのとは、酷いカミン。僕は、なんだか、悲しくなって来たカミン」



 クラリッサが泣きそうな顔をして言う。



「そんな事言っても」



 クラリッサの目から涙が溢れ出したのを見て、門大はそれ以上言葉を続けられなくなった。



「うわーん。酷いカミン。酷いカミン。うわーん」



 クラリッサが泣き出し始める。門大は、涙をぼろぼろと流しながら声を上げるクラリッサの顔を見ていて、なんだか、クラちゃんが泣いてるみたいだ。と思うと、酷く、自分の心が痛むの感じた。



「悪かった。言い過ぎた。もうあんな言い方はしないから」



 門大は、言って、クラリッサの頭に優しく手をのせた。



「分かったカミン。許してあげるカミン。もう、泣かないカミン。すぐに謝ってくれた石元門大は優しいカミン」



 クラリッサが両目を手で擦ってから門大に抱き付く。



「また抱き付いて。門大。これはやり過ぎではなくって」



 クラリスタが声を荒げるが、門大は、まあまあ、クラちゃん。今は、許してやろう。俺の所為で、泣いたばかりなんだ。と言って、クラリスタを宥めた。



【この子は門大の事を裸になってベッドに入って待っているなどと言っていたのですのよ? そんな子がこれくらいの事でこんなに泣くなんて、どうも釈然としませんわ】



 クラリスタがクラリッサに聞かれないようにと、そう頭の中で言ってから、こうやって門大と話ができる事を今の今まですっかり忘れていましたわ。と付け足すようにしてまた頭の中で言った。



 クラリッサが何も言わずにすっと門大から離れ、ノートパソコンを拾い上げる。



「ごめんなさいカミン。僕の所為カミン。これを戻せば直ったりしないカミンか?」



 クラリッサが一生懸命に、中から出てしまっている配線などを、戻そうとし始める。



「危ないからいい。尖ってる所とかあるから、怪我でもしたら大変だ。もういいから、こっちに貸して」



 門大はクラリッサが持っているノートパソコンを両手でそっと掴んだ。



「ごめんなさいカミン」



 クラリッサが顔を俯けて、ノートパソコンから手を放す。



「しょうがない。こんな事もある。また買えばいいんだし。そんなに気にしなくていいから。家の中に入ろう」



「ごめんなさいカミン」



 門大は、クラリッサを先に玄関の中に入れ、家の中に上げてから、自身も玄関の中に入ってドアを閉めた。家の中に上がった門大は、ノートパソコンをテーブルの上に置くと、クラリッサが散らかした部屋の中を片付け始める。



「僕も手伝うカミン。散らかしてごめんなさいカミン」



「そんなに何度も謝らなくていいって。ベッドに上にでも座ってな。物の配置とか分からないだろ? 俺が一人でやった方が早い」



「石元門大は、どうしてそんなに優しいカミン?」



 クラリッサが、甘える猫のように門大に体を擦り付けた。



「もう。なんですの、さっきから。そんなふうにくっ付く必要なんてありませんわ。いい加減にしないと本気で怒りますわよ」



 クラリスタが声を荒げ、クラリッサを遠ざける。門大は、とにかく今は部屋を片付けてしまおう。と思うと、二人の行動を見て見ぬ振りをする。



「もう。なんで邪魔するカミン。僕は、優しい石元門大が気に入ったカミン。だからくっ付いていたいカミン。ほっといて欲しいカミン」



 クラリッサが再び門大に近寄って来る。



「気に入った? 気に入ったとはどういう事ですの? 聞き捨てなりませんわね。これ以上門大に近付かないで下さいまし」



 門大が部屋の中を片付けている最中に、そんなようなやり取りが、クラリッサとクラリスタの間でその後も幾度となく行われた。二人に邪魔されながらも、クラリッサが散らかした部屋の中を片付け終わった門大は、ノートパソコンを置いてある、テーブルの前に行くとそこに座った。



「それをどうするカミン?」



 クラリッサが狙いすましたかのように、門大の背中に抱き付く。



「門大。そろそろ我慢の限界ですわ」



「うん。確かに、これは問題だ。クラちゃんも、疲れるだろうし。俺もこんなふうにくっ付かれても困るし。なあ、クラリッサ。そこに座って。それでちょっと大人しくして待ってなさい。パソコンがどうなってるか見たら、聞きたい事もあるし、相手をしてあげるから」



 門大は、自分の座っている場所の隣を目顔で指し示す。



「そこじゃ分からないカミン。しょうがないから、僕は、ここに座るカミン」



 クラリッサがテーブルと門大の間に割り込み、胡坐をかいている門大の足の上に座る。



「いい加減にして欲しいですわ」



 クラリスタが言い、門大の体が勢いよく立ち上がる。



「おわっカミン」



 門大の体が勢いよく立ち上がった事で、足の上から弾き飛ばされたクラリッサがテーブルの方に向かって倒れそうになった。



「危ない」



 門大は咄嗟にクラリッサが倒れないようにと、クラリッサの体を抱き止める。



「うわーん。石元門大。怖かったカミ~ン」



 クラリッサがくるりと門大の腕の中で体を回し、門大の方を向くと、門大に抱き付く。



「門大。ごめんなさい。今のはわたくしが悪かったですわ。けれど、あなたは早く離れて下さいまし」



「嫌だカミン」



「クラちゃんは悪くない。今のは、ちゃんと、場所を示さなかった俺と、クラリッサが悪い。クラリッサ。そこに座ってて」



 門大は、さっきは、指し示し方が悪かった。と思うと、今度はちゃんと分かるようにと、手を伸ばし、座る場所を指で差す。クラリッサがすぐに門大から離れる。



「ごめんなさいカミン。けど、しょうがないカミン。僕にはこれくらいしかできる事がないカミン」



「何を言ってるんだ? 別に何もしなくっていい。大人しくしてくれてればいいから」



 門大は、言ってから、そういえば、俺を誘惑するみたいな事を言ってよな? その事か? それとも、それとは違って、あれか? ノートパソコンが壊れた事を気にして、俺にくっ付いて来てるのか? それで、機嫌を取ってるつもりとかか? 俺は、そんなにエロ親父だと思われてるのか? と、そんな事を思った。



「分かったカミン。じゃあ、ここに座るカミン」



 クラリッサが立っている門大の隣に座る。



「くっ付いて来たりしないで、大人しくしてるんだぞ」



 門大は座ると、ノートパソコンに向かって手を伸ばした。



「門大。これは、何をする物ですの?」



 クラリッサが門大に叱られた事で留飲が下がったのか、クラリスタが嬉しそうに、無邪気な様子で言う。



「これは、ノートパソコンっていって、なんていうのかな。色々できる物っていえばいいのかな」



 ノートパソコンの電源を入れると、本体部分に内蔵されている冷却用のファンが、苦しそうな音をたてながら回り出し、ディスプレイに起動画面が映り始める。



「おお。使えるみたいだ」



 門大は喜びながら、画面に見入りつつ、とりあえず何ができるか簡単にクラちゃんに見せてあげよう。と思う。OSの起動が終わると、勝手にウィンドウが開き、門大秘蔵のムフフなファイルの中にある動画、ぼかさないでいうならば、エッチな動画が自動で再生され始めた。



「門大?」



 クラリスタが言う。



「違うんだ。クラちゃん。これは、えっと、あの、なんていうか。その、あの」



 門大は言っている途中で、自分の目が、エッチな動画をじいーっと見つめている事に気が付き、あれ? これは、俺の意思じゃない。あれ? という事は、ひょっとして? でも、これはどうすればいいんだ? こういう時はどんなふうに対応すればいい? と思うと、具体的な事は何も言わないままに、言葉を切った。



「門大。なんですのこれは? これは、門大が何かをしているのですの?」



 門大の目は、相変わらず食い入るようにエッチな動画を見つめている。



「クラちゃん。こんなもの見ちゃいけません」



 門大は、急に何かに弾かれたように、どうしていいか分からなくて、思考が停止してた。これはいけない。とにかくこのままじゃ、クラちゃんの教育上よくない。と思うと、慌ててノートパソコンを閉じた。だが、破損している所為で、しっかりと閉じられず、ノートパソコンはスリープ状態にはならずに、画面が伏せられてはいるものの、動画自体は再生され続ける。



「わ、わ、わたくしは、見てなどいませんわ」



 クラリスタが狼狽しつつ、門大の両手を動かし、門大の顔を両手で覆うが、指と指の間隔が大きく開いていて、門大の両目は未だにしっかりと、ノートパソコンを見つめていた。



「しょうがないとは、思う。クラちゃんも年頃だし? けど、まあ、今は、やめておこう。ね?」



「もう。なんですの? そんなふうに、変な気の使い方をするのはやめて下さいましな。物凄く恥ずかしくって、物凄く傷付きますわ」



 クラリスタが身悶えするように、門大の体を動かしつつ言った。



「僕が悪いカミン。ごめんなさいカミン。僕が、再生したまま忘れてたんだと思うカミン。だから、勝手に再生が始まったカミン」



 そう言ったクラリッサの目は涙で潤んでいて、今にも涙の雫がこぼれ落ちそうになっていた。



「まあ、まあ、しょうがない。そういう事もある。だから、泣かなくていいから」



「門大? 門大は、この子に甘過ぎると思いますわ。この子は怪しいですわ。さっきから、何度か泣いているのだって、泣いている振りをしているだけのような気がしますわ」



 クラリスタが大きな声を出す。



「いや、なんかさ。もし、そうだったとしても、泣いてる振りだったとしてもさ、変な事言ってるかも知れないけど、この子、クラちゃんに似てるだろ? この子が泣き出したり、悲しそうな顔とかしてると、クラちゃんが泣いてたり、悲しそうにしてるみたいで、なんだか、ほっとけないっていうか、見てて辛いっていうか、俺まで悲しくなるっていうか」



 門大は言いながら、ノートパソコンに向かって手を伸ばすと、少しだけディスプレイ部分を起こし、作った隙間に片手を入れて、電源ボタンを押して電源を落とした。



「そんな、そんなふうに言われたら、何も言えなくなりますわ。ずるいですわ」



 クラリスタが、門大の唇を尖らせて言った。



「言いたい事は、言って欲しいかな。こんなふうに言ったら、クラちゃんを怒らせるだけかも知れないけど、やきもち妬かれるの嬉しいし。それに、なんていうか、俺はクラちゃんが一番だから。何があってもそれは変わらないから」



「門大」



「これは、まいったカミン。二人は本当に仲がいいカミンね。それにカミン。石元門大は本当にいい奴カミン。なんだか、僕は、石元門大の事が別の意味で欲しくなって来たカミン。これは、少し考え直した方がいいかも知れないカミン」



 クラリッサがそこまで言って一度言葉を切ってから、微かに目を伏せ、二人とも、今から、僕がここに来た理由と、どうして石元門大がここに戻って来たのかを話すカミン。と言った。
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