六十二 爪と湯気

文字数 2,523文字

 攻撃を終えた子猫が、ぷいっと、横を向く。門大は、子猫に攻撃された部分に、目を向ける。



 あれ? 痛いけど傷とかにはなってない。そういえば、さっき、これをやられる前に、ミャフスされた所もなんともなってないな。さすがは、クラちゃんだ。ちゃんと気を使ってくれてる。それに比べて俺は。クラちゃんに変な事言って怒らせないようにしないとな。と門大は思う。



「ミャッミャッミュッミャ」



 子猫が、鳴いた。門大は子猫の方を見た。



 そうだ。今がチャンスだ。こうして、ゆっくりしてる間に、早く試練の話やこの状況についての話をしてしまった方がいい。という考えが、門大の頭の中に浮かんで来る。



 ねえ、クラちゃん。と声をかけようとして、口を開こうとした、門大だったが、クラちゃん、ちょっと前に落ち込んでた時よりも、随分と、元気になったよな。なんか、表情も明るくなってる気がするし。それに、凄くリラックスしてるみたいだ。なんか、やっぱり、今は、話さない方がいい気がして来た。ここで、話をして、また、クラちゃんを落ち込ませてしまってもな。と、思うと、言葉を出す事ができなくなった。   



「ミャ。ミャミュミュ。ミャーミャーミャーミュミュ」



 子猫がもう一度鳴いた。



「ああ。ごめん。さっきも鳴いてよね。ちょっと、考え事しちゃってた」



 門大は、言ってから、クラちゃんの事見てなかったから、なんで鳴いてたのか、全然分からない。なんだろう? なんで鳴いてたんだろ? と思い、子猫の言わんとしている事を、あれこれと考えたが、結局分からず、えっと、えっと、なんだろう。ごめん。分からない。と言った。



「ミャーミュミュウ」



 子猫が寂しそうな顔をする。



「ごめんね。クラちゃん。ええっと、そうだな。何か、何か、クラちゃんの言ってる事が、分かるようになる方法があればいいんだけど」



 門大は、子猫の寂しそうな顔を見つめながら、言葉を出した。



「ミャミャミャ。ミュンミャ」



 子猫が、鳴いてから、何かを考えているかのような、難しそうな、顔をする。



「表情の変化は、随分と、分かるようには、なって来てると思うんだけど、それだけじゃ、伝わって来ない事が、多過ぎる」



 門大は言い、なんでもいいから、何か、いいアイディアが浮かんで来ないかな。と思いながら、周囲を見回した。



「ミャミャミャミュ」



 子猫が、門大の手を、ぽんぽんと優しく、片方の前足で叩いた。



「うん? どうしたの?」



 門大は、子猫の方に顔を向ける。



「ミュー」



 子猫が門大の手から出ようとしはじめる。



「手の中から、お湯から、出たいの?」



「ミュ」



 子猫が頷く。



「ちょっと待って」



 門大は言うと、子猫だけを浴槽の中から出し、お風呂場のタイルの床の上にそっと下ろす。



 子猫が、きょろきょろと周囲を見るように顔を動かしながら、タイルの床の上を歩き回り始める。



「もうお風呂あがる?」



「ミュミュン」



 子猫が顔を左右に振る。



「何か、探してる?」



「ミュ」



 子猫が頷く。



「俺も一緒に探すよ。何を探してるか、伝えてみて」



 門大は、言ってから、子猫の一挙一動を見逃さないようにと、子猫の姿をじっと見つめた。



 子猫が、思案顔をしつつ、少し歩いてから、お座りをする。



「クラちゃん、ちょっと、話変わるけど、寒くはない? 大丈夫? タイルの上に、クラちゃんの濡れてる足の毛から、垂れた水のせいで、クラちゃんの通った所に、足跡が残ってる。それだけ、毛が濡れてると、すぐに冷えちゃうんじゃない? さっきみたいに、洗面器にお湯入れて一度入る? それとも、こっちに一回戻って来る?」



 門大は、タイルの上に残る子猫の小さな足跡を見て、そう言った。



「ミャッフ」



 子猫がぴょんっと飛び上がる。



「急にどうしたの?」



 子猫が、濡れているタイルの上に、片方の前足を当てると、爪を出し、タイルの上を爪で擦る。



「うん? え? クラちゃん? 何を、やってるの?」



 タイルを見つめていた子猫が、顔を上げると、周囲をきょろきょろと見回した。



「ミャン。ミャン」



 お風呂場の壁に据え付けられていた、鏡の真下まで子猫が走って行き、鏡を見上げて、興奮したような様子で鳴き始める。



「どうしたの? 鏡に、何かあるの?」



「ミャフ。ミャフ」



 子猫が後足で立ち上がり、鏡の下の壁を、かりかりと両前足の爪で擦った。



「なんだろう? とりあえず、鏡を、見たいのかな?」



 門大は、言ってから、浴槽から出ると、子猫を抱き上げ、子猫を鏡の前まで持って行く。



「ミャーミャーミャー」



 子猫が鳴いて、鏡に片方の前足をぺたりと付けた。



「お。肉球スタンプ」



 湯気で曇っている鏡に、子猫の足跡が付いたのを見て、門大は言った。



「ミャフーン」



 子猫が唸るように鳴き、今度は、前足から爪を出す。



「門大。これが読めますでしょうか?」



 門大は、湯気で曇っている鏡に、子猫が爪で書いた文字を見て、驚きと感動のあまりに、思考が停止してしまって呆然としてしまい、すぐには言葉を返す事ができなかった。



「門大? 見えてはいませんの?」



「クラちゃん」



 子猫が再度書いた文字を見て、我に返った門大は、震える声で言い、子猫をぎゅっと抱き締める。



「ミャ? ミャアー?」



 子猫が、戸惑いながら鳴く。



「凄い。凄いよ。クラちゃん。そうだよ。どうして、こんな、簡単な事、気が付かなかったんだろ。ちょっと待ってて」



 門大は、子猫を、タイルの上に下ろすと、お風呂場から外に出た。



「紙とペン。紙とペン。とと、その前に、クラちゃんとお湯を洗面器に入れて、俺の体も、拭いて」



 門大は言いながら、お風呂場に戻り、子猫を洗面器に入れて、洗面器にお湯を注ぐと、お風呂場から出て、バスタオルを手に取り、自身の体を拭きつつ、紙とペンを求めて、家の中を探し回り始める。



「な、な、な、なんってこった。最初から、ここに、あったのか」



 寝室の中に入った門大は、二つ並んで置いてあるベッドの、頭側の間の横にあった、サイドテーブルの上に、手に持って使うのに、ちょうどいい大きさのホワイトボードと、それに書き込む用の、ペン尻にホワイボードに書いた文字を消す為の、ホワイトボードイレーザーの付いている、ペンが載っているのを見て、声を上げた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み