一 中身&中身

文字数 4,483文字

 空は一面、鉛色の雲に覆われ、湖の周りに生えている木々は、皆、苦しみを体現しているかのように捻じれ、絡み合っていた。



「どこだ、ここ?」



 目を覚ましたクラリスタ(石元門大)は、そう言葉を漏らしながら、周囲を見回していた。何が起きてどうしてこうなっているのか。頭の中が鮮明になるにつれて、事の次第が思い出されて来る。



【ここは、流刑地にあるという深く黒き森のようですわ。わたくし達は本当に流刑地に流されたようですわ】



「クラリスタ、だったっけ?」



 クラリスタ(石元門大)は自分の中から聞こえる声にそう応じる。



【はい。あなたの名は?】



「まだ言ってなかったっけ? 俺は石元門大。今更だけど、よろしく」



【こちらこそ、どうぞよろしくですわ。】



 クラリスタ(石元門大)は、独り言ばかり言ってて、傍から見たら確実に危ない奴だな俺。と思う。



「相手の姿が見えないのに話をするなんて、なんか変な感じだ。とりあえず、すぐそこに湖もあるし、水でも飲んで落ち着きたいな。喉が渇いてる気もするからさ。でも、ここの水って飲めるのかな?」



【こんな場所の水なんて飲めないですわ、と言いたい所ですけれど、そうも言っていられない状況だと思いますわ。どんな感じなのか、近くまで行って見てみましょう】



 クラリスタ(石元門大)の意に反して体が勝手に動き出す。上半身を起こした状態で座っていた体が、両手を使ってゆっくり立ち上がろうとしはじめる。



「お? おおー?」



クラリスタ(石元門大)は思わず声を上げてしまう。



【驚かせってしまったかしら?】



「いや。ちょっとだけだから大丈夫。それにしても、君も、自由自在にこの体を使えるんだな」



【そうみたいですわね。不思議ですわ。何が切欠でこうなったのか。前はまったく何もできなかったのに】



 クラリスタが歩き始める。



「あの時、君が必死だったからじゃないか?」



【あの時?】



「俺が王子様の前で剣を出そうとした時。君が止めただろう?」



 石元門大は、あの時の自分の行為が今のこの流刑という状況を招いたんだと思うと、激しい後悔の念に苛まれ始めた。



【あの時は本当に驚きましたわ。王族に剣を向けようとするなんて。無茶をするにもほどがありますわ】



「やっぱり、好きな男の為にっていう思いがあったからかな」



【誰が誰の事を好きなのです?】



「君は王子様の事を好きなんだろう?」



【面白い事を言いますわ。それは、誰かが言っていたのですの? それともあなたがご自分の判断でそうお思いになっていますの?】



「俺の判断だ。俺は、君、ちょっと前までは、俺自身でもあったクラリスタは王子様の事が好きだと思ってた。だから、俺は百三回も王子様に結婚を迫ってフラれたんだ」



 クラリスタの足が止まる。



【あのバカのあの言葉には傷付きましたわ。そう感じるという事は、少なからず、わたくしはあのバカの事を男の人として好きだったのかも知れませんわ。けれど。わたくしとあのバカには、男女という以前に王の一族とそれを守る一族という立場がありますわ。そっちの方が男女としての気持ちよりも重要ですわ】



「俺は、そんなの全然気にしてなかった。けど、あの王子のあの時の君に対する言葉はないよな。あれは酷い。まあ、でも、あれは、俺の所為かも知れないけど」



 石元門大は、いたたまれない気持ちになって来ていた。



「なんか、凄くごめん。俺が自棄になって暴れようとしたばっかりに。前の時、百二回目までは、普通にループしてた。今回が初めてだ。こんな良く分からない場所で目覚めたのは」



 クラリスタの顔が動き、周囲を見回す。



【時折、あなたの言っている事が分かりませんわ。確か、前にも、ゲームだとかなんとかって言っていましたわよね? ゲームという物の事も良く分かりませんけれど】



「ゲームっていうのは、なんていうか、ここでいうゲームってのは、なんていえばいいのかな。架空の世界の中の登場人物を操って遊ぶ物って言えばいいのかな。まあ、そんな感じだと思ってくれてばいいと思う。それで、俺が、君の前でゲームだのなんだのって言った理由は、本当の所は確かめた訳じゃないから分からないけど、王子様とか、他の貴族の男達とか、たぶん、攻略対象になる相手だと思うんだけど、そういう相手の頭上になんて言えば良いのか、なんか、こう、棒みたいな物が見えてたんだ。それが、俺の態度とか、相手の態度の変化とかで棒の長さも変化して。それが、好感度っていうか、恋愛の展開の良し悪しを分かるようにしていたというか。ごめん。何を言ってるか分からないかな? 説明が難しい」



 石元門大は、そこまで言って言葉を切った。



【わたくしには見えませんでしたわ】



「それは、たぶん、君がこの世界の住人だからじゃないかな」



【あなたは、別の所から来ましたのよね? 確か、転生とかって、おっしゃっていましたわね】



「うん。俺は別の世界に住んでた。ちょっとした事が原因で、気を失って、でも、たぶん、こうなってる所から判断するとその時に死んだんじゃないかと思う。向こうでは、そういうジャンルの物語が流行っててさ。それで、ここに転生して来たんじゃないかって思ってるんだけど」



【ジャンル? ですの?】



「うん。なんて言い換えればいいのかな? 種類って言えばいいのかな」



【難しいですわね。言葉は通じているのに、意味が分からない言葉がたくさんありますわ】



「うん。色々、お互いに話をしないと、理解し合うのも大変そうだ。水もまだだし、とりあえず、向こうに行って座らないか?」



 話が長くなりそうだ。と思った石元門大はそう言った。



【そうですわね】



 体が歩き出し、静かに波打つ湖の水辺に到着する。



「姿格好に変化はないみたいだ」



 クラリスタ(石元門大)は水面に映る自分の姿を見て言う。



【そのようですわ。そういえば、胸に受けた傷は】



 両手が動き、来ている服の胸元を開こうとして、急に言葉と手が止まる。



「どうした?」



【見ていますわよね?】



「うん? ああ。見てるけど?」



 何が問題なんだ? と石元門大は思う。



【今更ですけれど。わたくしの体の隅から隅まで、もう見ていますわよね?】



「ああ、うん。まあ、風呂も何度入ったしな。トイレも行ったし」



 そこまで言って、初めて、石元門大は、ああ、そういう事か。と思った。



「気にしないでいい。こう見えても、って、見えてないけど、俺は三十八のおっさんだ。君くらいの年の子の体を見てなんとも思わない」



【どういう意味ですの?】



「正確な年は分からないけど、見た目からすると、君は、十四歳とか十五歳とかその辺だろう? 俺からすれば自分の娘みたいな年だ。いや、まだ、独身だし、子供はいないけど、親戚にそのくらいの年の子とかいたしな。だから、君の裸を見てもなんとも思わない。そういう事だ」



【分かるような分からないような。なぜか腹立たしいような。そうでないような。なんだか複雑な気持ちですわ】



「まあ、とにかく、気にしなくて平気って事だ」



【気にしますわ。これからは、トイレとお風呂と、ええっと、他にも、うーんっと。今は、思い付きませんけれど、とにかく、その類の事はすべてわたくしがやりますわ】



「俺が、トイレとかに行きたくなったらどうすればいいんだ?」



【すぐに呼んで下さいまし】



「どうしても君が手が離せないような状況だったら?」



【どんな事をしても手を離せるようにいたしますわ】



「分かった。まあ、困った時は言ってくれ。いつでも協力するから」



【もう。とても大事な事ですのに。そんなふうに軽く考えていらして。自分で自分の顔を殴りたいと思ったのは生まれて初めてですわ。痛そうだからやめておきますけれど】



「殴りたいって、物騒だな。君は手が早いみたいだからな。そういうの、気を付けた方がいいんじゃないか」



【手が早い……。そうですわね。それで、あのバカにあんなに嫌われていたみたいですものね】



 クラリスタの声がとても悲しそうな暗い物になる。



「悪い事を言っちゃったか。今のは俺の間違いだ。だいたい、俺はあいつの方が悪いと思うぞ。俺なんて、百三回フラれたからな。あれはあいつに見る目がない。だから、君は全然は悪くない」



 泣かしてしまったら後味が悪過ぎる。と思い、石元門大は焦った。



【酷い事を言ったと思ったら、急に慰めてくれたりして。意地悪な人ですわ】



 意地悪な人か。そんなふうに言われた事なんてなかったな。と石元門大は思う。



「話が戻るけど、俺にも責任があると思う。俺が入れ替わってからの行動も随分と酷かったし。もっとあのバカに優しくしてやる事もできたのに。なんか、雑に扱っちゃったんだよな。おお。あれかも。あいつがそういう扱いをしたくなるキャラなんじゃないか?」



【それはたぶん、わたくしの影響ですわ。あなたがわたくしを演じていた、演じていたという言い方が正しいかどうかは分からないですけれど、その時、わたくしは必死にあなたに呼びかけていましたの。あなたの言葉遣いなどがわたくしの物と同じようになったのは、その所為だとわたくしは思っていましたわ】



「言葉遣いか。そういえば、俺が君みたいな言葉遣いになってたのって、なんでだったかな。なんとなく、こういう話し方がこの子には合ってるんじゃないかって思ったんだっけな」



 クラリスタの体が、その場にしゃがみ込み、手でそっと水を掬う。



「びっくりした」



【いちいち動かしますわって言うのも、おかしいと思って、黙って動かしてしまいましたわ】



 掌の中にある水を、クラリスタは少しだけ舐める。



「普通の水、だよな?」



【ええ。そのように思いますわ】



 水を数回掬って飲むと、クラリスタは手は止めた。



「本当に変な感じだな。俺は何もしてないのに、確かに水を飲んでる」



「そうですわね。わたくしも変な感じですわ」



 クラリスタの声が喉を通って口から出る。



「おお。びっくりした」



【ちょっと試してみたのですわ。けれど、わたくしは、よほどのことがない限りはこっちにしておきますわ。二人で口を使って話をしたら、今でもおかしな人に見えますのに、もっとおかしな人に見えてしまいますわ】



 クラリスタの声が再び中から聞こえ始める。



「そうだな。俺達かなりおかしいもんな。このままだとかなり苦労しそうだ。別々にできないのかな。ほら。この世界には魔法とかあるだろ? なんかそういう方法とか知らないか?」



 クラリスタ(石元門大)は言い、水面に映っている自分の顔を見つめた。



【知りませんわ。けれど、どこかに知っている人がいるかも知れませんわね】



「そういう人が、どこにいるかとは、分からないか?」



【ええ、申し訳ないのですけれど、それも、分かりませんわ。そういう人物を、探すにしても、ここは流刑の地ですわ。まずはここから出ない事にはお話になりませんわ。それに】



 クラリスタそこまで言って言葉を切る。



「どうした?」



 しばしの沈黙の後、クラリスタが言葉を出す。



【わたくし、今は、何もしたくありませんわ】



 その言葉とその言葉を出した時の声音が、酷く悲しそうな物に思えて、石元門大は、何も言えなくなった。
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