五 ちぐはぐ

文字数 4,588文字

 水面に映った、ちぐはぐな者の右側の顔は、板金鎧のヘルメットに覆われていて、良く見えず、表情は分からない。左側の龍と人とが融合しているような者の顔の方も、牙の生えた大きく前に突き出た顎に、ごつごつと起伏のある頬の所までは、表情などとは、無縁な作りをしているように見える。だが、紅蓮の炎のような色をしている縦長の瞳孔を内包する、瞳孔と同じように紅蓮の炎のような色をしている瞳を宿している目には、門大の言葉を聞き、激しく動揺していて、酷い悲しみと絶望とを覚えているような、表情が表れているように、門大には見えていた。



 そうだ。きっと、ずっと、この事をクラリスタは言ってたんだ。俺に何かを伝えようしてたけど、最後までは言えてなかった。俺にこの姿を見られる事が、自分がこんな姿になる事を知られるという事が、どれほど怖くて、嫌で、辛かったんだろう。それなのに、俺は何も考えずに、なんだよ、これ。なんて言ってしまった。門大はそう思うと、無意識のうちに神の目と龍の目とになっているクラリスタの目を伏せるように動かした。伏せた目の先にある、水面に映るクラリスタの姿を見た門大は、クラリスタの胸の中心部分の辺りに、一つの傷があるのを見付けた。板金鎧と龍の鱗との間にその傷はあり、傷の半分は板金鎧に隠れていて、その部分がどうなっているのかは見えなかったが、その傷が、テレビや映画などで見た事のある、銃創という物に酷似していると思うと、門大は、クラリスタの気持ちを傷付けた事を謝るよりも先に、謝らなければいけない事があると思った。



「クラリスタ。その胸の傷、あの時の物だよな?」



 門大は、自分の所為だという思いに押し潰されそうになりながら言った。



【胸の傷、ですの?】



 クラリスタが何かに弾かれたような不自然な反応を見せつつ、弱々しい声で言う。



「うん。あの時、あの女に撃たれた傷だろ?」



 門大の言葉にクラリスタはすぐには言葉を返さず、沈黙が二人の間に帳を下ろす。



「今更だよな。だけど、ごめん。その傷も、今のこの状況も、全部俺の所為だ」



 沈黙に耐えられなくなった門大は言って、クラリスタの頭を深く下げようとする。



【もう。どこを見ているのです? 門大は破廉恥漢ですわ】



 クラリスタがいつものクラリスタとは何かが違う、ぎこちない言い方でそう言い、自分の胸の辺りを、やはり、いつものクラリスタらしくない、ぎこちない動きを見せながら両手で抱くようにして隠した。門大はクラリスタの、いつものクラリスタとは何かが違うぎこちない物の言い方と、動きを見て、クラリスタはどうしたんだ? 傷の事に俺が気が付いたからか? いや。前に傷の事を聞いた時はこんなふうにはならなかった。傷の事じゃないのか? なら、なんだ? と、そこまで思って門大は、はっとした。クラリスタは、自分の姿が変わった事で、俺にどう接していいか分からなくなってるんじゃないか? だとしたら、俺が、あんな事言って傷付けたからだ。俺の所為だ。と思った。



【この傷は昔、稽古の時に誤って刺されてしまって、できた傷ですわ。木剣が折れて刺さってしまった事がありましたの】



 クラリスタが、また、どこかクラリスタらしくなく、ぎこちなくそう言うと、ゆっくり、半分半分の二つの顔を俯けて行く。



「それは、それは、嘘だろ?」



 門大は、クラリスタの様子に、どう対応すればいいのかが分からず、動揺しながらも、なんとかそれだけを言葉にする。



【こんな事で嘘など言いませんわ。そんなに疑うのなら分かりましたわ。恥ずかしいのですけれど、じっくりとご覧になって下さいまし】



 クラリスタが顔を上げると、か細い小さな声で言い、傷を隠している腕をどけようとする。



「分かった。分かったから。手はそのままでいいから」



 クラリスタの言葉を信じてはいなかったが、クラリスタの様子を見ていて、その言葉を聞いていて、門大は、そう言葉を返す事しかできなかった。お互いに黙り込み、再び沈黙がその場を支配する。



【魚を岸に揚げて、さばかないといけませんわ】



 クラリスタが、今までの会話など、なかったかのように平静を装って言い、沈黙を破る。魚の傍に行くと、片手で胸の傷のある所を隠しながら、もう片方の手を魚の鰓蓋の所に入れるようにして、魚を持ち、引っぱりつつ、岸に向かって歩き出す。



 傷の事に関して、クラリスタは俺に気を使って嘘を言ってる。あの傷は、間違いなくあの時の物だ。木の剣が刺さった傷にはどうやっても見えない。俺が悪いのに、この子はこんなにも俺に気を使って。どうしてだ? どうしてこんなにいい子なのに、この子はこんな姿になるようになってるんだ? クラリスタの話し方も様子も、前とはどこか違う。変わってしまった。俺が、あんなふうに言わなければ、クラリスタはこんなふうにならなかったんじゃないのか。俺は何をやってるんだ。今だってクラリスタの変化に戸惑って、何もできなくって、変に気を使ってしまってる。このままじゃ駄目だ。このままだと、クラリスタはどんどん辛くなって行くだろうし、俺の方だって、このままだとクラリスタとちゃんと話をする事もできない。元はといえば、俺の所為で、こんな事になってて、それでも、この子は健気に頑張ってくれてる。俺は何をやってるんだ? どうすればいいんだ? どうすればこの子を、元気にできる? どうすれば、前みたいに、この子が言っていた、こういう楽しい関係ってやつに戻せるんだ? 俺は、この子の為に今できる事を何かしてあげたい。今の俺にできる精一杯の事をなんでもいいからしてあげたい。でも、どうすればいい? 俺に何ができる? 駄目だ。どうすればいいか分からない。だいたい、人とこんなややこしい関係になんてなった事がないんだ。ましてや、相手は、年下の子供で女の子で剣聖でお嬢様でなんか凄い力も持ってて。ああ。駄目だ。全然分からない。でも。このままじゃ駄目だ。……。もういい。分かった。考えててもしょうがない。まずは謝ろう。謝ってから俺は俺のできる事をやる事にする。門大はそう思うと、クラリスタの足の動きを止めた。



【どうしたのです?】



 そう言ったクラリスタの声は、何かに怯えているような声をしていた。



「クラリスタ。俺、今から、俺の気持ちを言う。聞いてくれるか? いや。聞いてくれないって言っても言う」



【なんですの?】



 クラリスタの声が泣きそうな物に変わる。



「まずは、ごめん。なんだよ、これ、なんて言って本当にごめん。でも、あれは、驚いただけなんだ。いきなりこの姿を見たから。だから、別に深い意味とかなくって。単純に驚いたっていうだけって言うか。それで。とにかくごめん。それで、話変わるけど、この格好。凄くないか? 凄く、格好いいんだけど。龍と鎧とか、ロマン満載でさ。本物を見られるなんて俺って凄く幸せ者だと思うんだ。俺が前にいた世界には鎧はあったけど、龍とかいなかったし。雷の出る剣とか炎が出る剣もなかった。俺、クラリスタに出会えて良かった。クラリスタ。ありがとうな。クラリスタは最高だ」



 門大の言葉を聞いたクラリスタが顔を俯けると、何も言わずに速足で歩き始める。岸に着くと、湖の水の中から魚体が完全に出る場所まで、魚を引きずって行き、鰓蓋から手を放す。



「クラリスタ? さっきの、聞いてなかったのか? なら、もう一度言う。まずは、本当にごめん。それで、クラリスタは最高だ。俺は、こういうクラリスタに出会えて本当に幸せ者だ。龍も鎧も格好いい。俺はもうずっとこのままでもいい。だから。なんていうか、その、本当にごめん」



 何も言わないクラリスタに向かって門大は再度言葉を作った。だが、クラリスタはなんの反応もせずに、魚をじっと見つめる。



「本当に本当にごめん。それで、クラリスタは最高に格好いい。俺の為に頑張ってくれてるし、龍も鎧も今の姿も巨大な剣も俺は好きだ。俺だったらこの姿を自慢する。誰かが何かを言ったって気にする事なんてない。もしも、何か嫌な事を言われたとしても今度は俺がいる。俺が、君に何か嫌な事を言った奴に文句を言ってやる。俺がどんな時でも一緒にいて味方になってやる」



 門大はありったけの声で叫んだ。クラリスタがゆっくりと、神の目と龍の目、その両方を閉じる。



【さっきからなんなんですの? 魚をさばかないといけませんのに。全然集中できませんわ】



 そう言ったクラリスタの声は震えている。ゆっくりとクラリスタが、神の目と龍の目の両方の目を開くと、神の目と龍の目から涙が溢れ出る。



「クラリスタ。本当にごめん。俺は君の事なら、なんでも受け入れる。君が、俺のした事を黙って受け入れてくれてるように俺だって受け入れるから。だから、何も気しないでくれ。ありのままの君でいて欲しいんだ」



 言って門大は、クラリスタが泣き出してる。どうしよう。でも、俺にはこんな事しかできない。頼むから伝わってくれ。クラリスタ。頼むから元のクラリスタに戻ってくれ。心を開いて泣き止んでくれ。と思った。



【もう。大きな声で恥ずかしいですわ。言っている事も青臭くってとても聞いてはいられませんわ。そんな綺麗ごとなんて何度も何度も聞かされてきましたわ。今更そんなふうに言われてもなんとも思いませんわ】



 クラリスタが言い、龍と融合している者の方の手で、龍の目から溢れ出る涙を拭く。



「クラリスタ。俺が君を傷付けたのに、何もできなくてごめん。泣かしちゃって本当にごめん」



 門大は、板金鎧に包まれている手を動かすと、少し躊躇ってから、その手で鎧と龍、半分半分の頭をそっと撫でた。



【今言った事、全部、本気にしますわよ。後から、嘘だったとか、間違いだったとか、そんなふうに言われても、絶対に、受け付けませんわよ】



「俺は、今まで、ええっと、言うのが恥ずかしいけど、もう、言っちゃうけど、向こうの世界でも、こっちに来てからも、何をやっても駄目な奴だった。俺が駄目な所為で、君を傷付けて、凄い迷惑もかけてる。そんな俺だけど、君の為に何かしてあげたいって思ってる。俺にできる事を何かしたいって心から思ってるんだ。だから、本気にして言い。今、俺が言った事は全部俺も本気で言ってる」



 門大が動かしていた方の手を、伸びて来たもう片方の手がそっと握る。



【裏切ったら許しませんことよ?】



「絶対に裏切らない。良かった。いつものクラリスタに戻ったみたいだ」



【もう。いつものわたくしだなんて。いつもこんなに強気ではありませんわ】



「そうか? って。ごめん。でも、もう、前と同じだよな?」



【門大はわたくしを絶対に裏切らない。何があってもわたくしの味方でいる。わたくしを決して一人にはしない。他にも色々ありましたけれど、今は、とりあえずこれくらいにしておきますけれど、門大が言った事を全部守ってくれている限り、前と同じですわ】



「それなら大丈夫だ。俺は全部守ると誓う」



 門大は強い意志を込めて言う。



【わたくしったら。きっと、こういうのがいけませんのね。前言撤回致しますわ。今までの門大でいてくれたらそれで何もいりませんわ。こんなわたくしを受け入れると言って下さって、本当に、ありがとうございます】



 クラリスタが言うと、龍の目が細められる。門大にはその目が嬉しそうに笑っているように見えた。
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