十三 夢か現か幻か

文字数 4,277文字

 どこかのここではない世界。随分と長い間いたような気がする。自分に懐いていて、愛しているとさえ、言ってくれている少女。だが、その少女は、呪われてでもいるかのような宿命を背負っている。自分は、今、その宿命から彼女を解放する手段を知った。だが、その手段を使う事に彼女は酷く反対していて。



「うえ? なんだ?」



 大量の情報が、文字として頭の中に浮かんでいたのか、それとも、何かしらの夢を見ていたのか。唐突に目を覚ました門大は、眠りから覚めた事で、何かは分からないが、何か、大切な事を忘れてしまっているような感覚と、その事に対する物かどうかも分からない、酷い罪悪感に苛まれながら、言葉を漏らした。



「いつの間にか、寝てたのか? なんか、変な感じがするな。なんだ? この変な感じ」



 門大は、突っ伏すようにして寝ていたテーブルの上から顔を上げ、そう言いながら、周囲を見回す。住むようになってから、八年以上が経過している、賃貸のアパートの一室の見慣れた光景が目に入って来る。目の前にあるつけっ放しのノートパソコンから、リピート再生で流していた、最近気に入っているミュージシャンの曲が、眠る前と同じように、流れていた。



「何も、変わった所はないよな? 普通にいつもの俺の部屋だ。なんなんだろう。この、変な感じと、それと、この酷い罪悪感は」



 罪悪感なんて、その言葉を口から出すのも辛いくらいの罪悪感だ。本当になんなんだ? 俺、何かやらかしたのか? そこまで思って、門大は、目を閉じ、頭の中の記憶を探ってみる。



 「何も、思い出せない」



 しょうがない。考えるのはやめよう。そのうちに思い出すかも知れないし、嫌な事なら思い出さなくてもいいや。それにしても、この頃、独り言が増えたよな。やっぱり、仕事を辞めて、家に一人でいる時間が増えたからかな。時間といえば、今何時なんだ? そう思った門大は、ノートパソコンに目を向けた。



「十七時半。一時間くらい寝てたのか。なんか、そのわりには凄く長い間寝てた気がするな。って。また独り言言ってるし」



 ノートパソコンのディスプレイの右下端に表示されている、時刻表示で時刻を確認した門大は、ゆっくりと立ち上がった。



「腹、減ったな」



 呟いて門大は、自分の格好を確認する。昨日の夜、寝る前に着たスウェットの上下を着たままだった。えっと、確か、今日は、ハローワークに行くはずの日だったけど、朝起きて。



「ん? 朝起きてどうしたんだっけ?」



 思考の途中で、それがそのまま言葉になって口をつく。また独り言、連発してるな。でも、もう、いいや。どうせ誰も近くにいないし。そんな事より、朝起きてからの事が思い出せない。俺、本当に、今日、何をやってたんだっけ? なんだろう。なんか、その事が、妙に気になって来た。さっき、考えるのやめようって思った事と、朝起きてからの事を思い出せない事と、なんか関係があったりして? あの変な感じと、罪悪感と、それと、なんか、いつもと違うというかなんというか。そんな事を思っていると、ノートパソコンから流れていた曲が途切れた。



「あれ? どうした? またフリーズか? 最近調子悪いな」



 門大はノートパソコンのディスプレイを見る。



「ああ。なんだ。広告か」



 安堵の息とともに言葉を漏らす。動画サイトを利用して曲をかけていたので、曲と曲の合間に挿入されている、広告動画の再生だったのだが、門大は、最近調子の悪いノートパソコンの所為だと思い、変に動揺してしまっていた。そのまま、流れていた広告動画を、なんとなく見続ける。「この春、恋をした少女は、大人の階段で、ど派手に、躓く」という文字が画面の中央に大きく表示される。



「ど派手に躓くってなんだよ。ああ、なるほど。コメディ映画の宣伝か。ちょっと、面白いじゃないか」



 あれ? 俺、前にも、こんな、同じ言葉を言った気がする。この広告も前に見た気がするな。いや。こんな広告いつも流れてるからか? ああ。そうそうそうそう。そうだ。あったあった。あの時は、そうだ。この後、停電して、そこまで思った瞬間、六畳間から玄関や風呂場やトイレに続く、この部屋にある、唯一の廊下の天井近くに設置されている、ブレーカーが大きな音をたてて落ちた。



「嘘だろ? 俺、今、ブレーカーが落ちるって分かってたぞ。前とまったく、同じ事が起こったって事か? こんな偶然なんてあるのか?」



 次は、あれか? ブレーカーを上げに行く途中で、何かに足をぶつけて転びそうになるのか? 手探りをしながら真っ暗になった部屋の中を歩きつつそう思うと、思ったすぐ後に、本当に転びそうになった。



「それで、壁に手を突いて、軽く手首を捻る? あっ、いたたたっ」



 体勢を立て直した門大は、その場で体の動きを止めた。



「あれ? これ? あれ? この後、チャリで、牛丼を買いに行って、俺……。死ぬん、だよな?」



 そうだ。俺は、死んで、それから。



「クラリスタ。クラちゃん」



 言葉が口から漏れ出る。



「なんでこんな大事な事忘れてたんだ? でも、なんだこれ? 戻って来たって事なのか? 時間が、巻き戻ってるっていう事なのか? 何が、どうなってんだ?」



 言い終えてから、門大は、とある可能性に気が付き、愕然とした。



「これ、俺がこのまま、牛丼を買いに行かなかったらどうなるんだ? 俺、ひょっとして、死なないのか?」



 いや。買いに行ってもいい。歩いて行くのはどうだ? 買いに行くのは、牛丼じゃなくてもいいし、他にも、猫に気を付けるとか。回避する方法なんて、それこそ星の数ほどあるよな。門大は、そこまで思って口を開く。



「俺が、死ななかったら、クラちゃんはどうなる?」



 動揺しているせいか、なんのせいかは分からないが、眩暈のような感覚が、門大を襲う。今起きている事が現実なのか、それとも夢なのか、分からなくなる。



「落ち着け落ち着け。深呼吸深呼吸。そもそも、死んで、また、クラちゃんの所に行けるのか?」



 門大は、喉を鳴らして唾を飲み込みながら、とりあえず、今何時だったっけ? と思い、時刻を確認しようとして、今、自分が置かれている状況の事を思い出した。



「ブレーカー」



 門大は声を上げると、再び移動を始め、ブレーカーを上げた。電力が再供給され、部屋の中が明るくなり、パソコンが再起動を始める。再起動が完了すると、門大は時刻を確認した。



「覚えてないな。俺が死んだのって、何時頃だったんだ?」



 牛丼屋に行って、そうだ。結構混んでた。かなりの時間待たされたんだ。そうなると、まだ時間が。いや。時間なんて関係あるのか? あの時に飛び出して来た猫が大事とか? 違うか? 俺が、ただ単に、死ねばいいのか? でも、死んで、クラちゃんの所に行けるのかって、それは、さっき思ったけど、考えてもしょうがないか。試さなきゃ分からない事だもんな。こっちの事も、さっきも思ったけど、ここで俺が行かなかったら、死ななかったら、どうなるんだ? 誰か、別の人間が行くとか? そこまで思った時、門大の頭の中に一つの考えが浮かんだ。



「俺が行かなければ、クラちゃんは、あの流刑地に行かなくて済むんじゃないか? そうすれば、あの戦いもないし、変身しなくても済む」



 そもそも、やった事ないから分からないけど、乙女ゲームって恋愛がメインだよな。戦闘なんてないよな。俺が、クラちゃんの代わりだった時だって、戦闘なんて一度もなかった。ハガネはクラちゃんの事心配してたけど、俺が行かなければ、ハガネが心配するような戦闘なんて起こらないんじゃないか? 男向けの恋愛シュミレーションゲームとかはそこそこやったけど、ああいうのとは違うよな? 男向けのは結構不幸なシナリオあったけどな。そうだ。調べてみよう。今は、そういう環境にいるんだ。門大は、そう思うと、ノートパソコンの元へと向かう。



「えーと。えーと。クラリスタ。パワハラ幼馴染悪役令嬢。えっと、キャスリーカ。王子の名前は、バカだっけ?」



 ノートパソコンが置いてあるテーブルの前に座った門大は、呟きながら検索を始める。



「おお。出たぞ。このゲームか? 「華麗なる貴族男子とあっちっちのち ~あの人も、世界も、アイラブユー~」なんだこれ? あの内容で、このタイトルなのか? タイトル詐欺じゃないか? でも、あれか? 俺は主人公じゃなかったから、あっちっちのちじゃなかったのか? だあー。違う。今は、そんな事どうでもいい。あらすじも、キャラ紹介もいい。攻略サイトか? クラリスタはどうなる? 彼女の運命は?」



 クラリスタに関する情報を検索し、その結果すべてに目を通す。



「駄目だ。死亡エンドしかない。しかも、国の為に戦ったあげくに、あの変身した時の姿の所為で化物とか言われて不幸な境遇に落ちて死ぬか、主人公に嫌がらせをして殺されるかのどっちかだけだ。なんだこれ。製作者にクレーム入れてやろうか? 待った。作り直させるとか? 駄目か? もうできてて、売ってるんだもんな。それに、俺に作り直させるとか、そんな力ないしな。仮にできたとしても、今からゲームの内容を変えたからって、クラちゃんの状況は変わるのか? だって、あの世界は本当にあって、って。あれ? でも、俺は、百三回、同じような事をゲームをやってるみたいに、繰り返したんだよな。俺が行かなければ、俺が繰り返したみたいに、クラちゃんも同じ事を繰り返してたのか? でも、そんな変な世界なんてあるのか? 流刑地の方は、そんな事なそうだったしな。なんだ? 何がどうなってんだ? ああ。もう。全然分からなくなって来た」



 門大は、口を閉じると、ノートパソコンのディスプレイを見つめる。



「考えてても、何も変わらないし、変えられない。俺がクラちゃんの為にできる事って言ったら」



 三十八歳。現在仕事なし。両親は既に他界。両親の残してくれた生命保険の残りと、自分自身で作った僅かな貯金の残りと、失業保険の残りと。兄妹その他、近しい身内もなし。友人達も、もう、皆疎遠。両親がいた頃は交流があった遠い親戚達とも、もう、いつからだか分からないけど、連絡なんて取ってはいない。俺がこの世界からいなくなっても誰も悲しまないし、何も変わらない。けど。向こうには、向こうには、クラちゃんがいる。門大は、思考を切った。



「そんなふうに思っても、やっぱ、怖いな。死ぬって思うと凄く怖い。クラちゃん。ごめんな。君が愛してると言ってくれた男は、かなり情けないぞ」



 門大は、そう呟きながら、立ち上がった。
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