五十五 クラリスタキャット

文字数 3,694文字

 草原の草が、暖かく柔らかい優しい風に、ゆっくりと揺れる。門大の視線の先にいるクラリスタが、抱き上げているクロモの顔に、自分の顔を近付けた。クロモがクラリスタの鼻の辺りを、ぺろぺろと舐める。



 門大はその光景を見て、眩しい物でも見ているかのように目を細めた。なんか、いいな、こういうの。門大は、そんな事を思いつつ、クラリスタの元へと向かう足を速めた。



 クラリスタが、何事かを、クロモに向かって言っているのか、口を動かす。



「ニャーン」



 クロモが一際大きな声で鳴いた。



 門大の視線の先にある、クラリスタの体に異変が起きる。クラリスタの体がみるみるうちに縮んで行き、クラリスタの姿が草に隠れて見えなくなった。



「クロモが魔法を使ったんだわ」



 背後からキャスリーカの声が聞こえて来る。



「な、なんだよ、それ」



 いつの間にか、自分でも知らぬ間に、足を止めていて、呆然と、その場に立ち尽くしていた門大は、キャスリーカの声を聞いて、我に返ると、そう言いながら走り出した。



「何が、どうなってんだ」



 クラリスタがいた場所に辿り着いた門大は、クラリスタの姿を探し始める。



「クロモ。あんた、何やったの?」



 キャスリーカが言い、クロモを抱き上げた。



「ニャニャニャンッ。ニャ。ナー、ナー、ナー」



 クロモが鳴く。



「昔、クラリッサとキャスリーカの間にも、似たような事があった。だから、あの時と同じようにしようと思った。ってクロモは言ってるけど。クロモ、あんた」



「クロモ。なんでもいい。クラちゃんに何をしたのか知らないけど、早くいつものクラちゃんに戻してくれ」



 門大は、クラリスタの姿を必死に探しつつ、声を上げる。



「ミャー」



 未だに鎧と化している、ハガネの、鎧の胸当て部分の中から、猫の鳴き声がし、一匹の、クロモと、まったく同じ模様だが、クロモよりも、二回りくらい体の小さい、子猫が、姿を現した。



「猫だ。猫が、出て来た」



 門大は、言いながら、子猫を見つめる。



「クラちゃん」



子猫と見つめ合った瞬間、門大は、直感的に、クラちゃんだ。と思い、反射的に言葉を漏らした。



「ミャウゥ」



 子猫が弱々しく鳴き、門大から逃げるようにして走り出す。



「クラちゃん。待って」



 門大は声を上げ、子猫の後を追ったが、すぐに、子猫の姿は草の中に紛れてしまい、見えなくなってしまった。



「どうしよう。クラちゃんが」



 門大は、四つん這いになって、草をかき分けながら、必死になって、子猫の姿を探し始める。



「今すぐに、話さないといけない事があるの」



 クロモを抱いたキャスリーカが、門大の傍に来た。



「悪いけど、今は、話なんてしてる場合じゃない。とにかく早くクラちゃんを見付けないと」



「でも、ここで、あの子をすぐに捕まえても、しょうがないのよ」



「どういう事だ?」



「今、クロモがかけた変身の魔法を解除するには、ちょっとした条件があるの」



 キャスリーカが、そう言うと、クロモが、ナーン。と鳴いた。



 クロモの鳴き声を合図にしたかのように、門大とキャスリーカがいる場所以外の、地面に生えている草が、一斉に空に向かって、凄まじい勢いで伸び始める。草が伸びる時に発する騒めきが、門大の耳から他のすべての音を奪い、視界が伸びて行く草に遮られ、周囲が薄暗くなっていく。



「今度は、なんだ?」



 門大は悲鳴にも似た声を上げた。



「今のは、クロモがわざとやったのよ」



「わざとやっただって? これじゃクラちゃんを探せない」



 門大は声を荒げる。



「だから、今は探してもしょうがないのよ。とにかく、話を聞きなさい。大事な話なんだから。これはね、昔、私が、ゼゴットやクロモに頼んで、やった事なのよ。これと同じ事をやったの。クラリッサと仲良くなる為に」



「同じ事をやった? それなら、クラちゃんは、すぐに見付けられるって事だよな? なんでもいい。早く、クラちゃんを見付けてくれ。その後なら、話でも言う事でもなんでも聞く」



 門大は、言い終えてから、頼む。と言って頭を下げる。



「ナー、ン、ナー。ニャニャニャ、ッニャニャー」



「もう、わたくしは、なんだか、疲れてしまいましたわ。門大を傷付けて、皆にも迷惑をかけて。こんなわたくしなんて、いなくなってしまえたらいいのに。クロモ。あなたは、いいですわね。わたくしも、あなたのように、猫になれたら、こんな気持ちになったり、この気持ちの事で、苦しんだりしないですむのでしょうか。とクラリスタは言ってた。本当に辛そうだった。とクロモは言ってるわ」



 キャスリーカが言った。



「そんな。クラちゃんは、そんな事を、言ってたのか」



 門大は、顔を上げてから言い、ゆっくりと目を閉じた。



「クラリスタの気持ちの事もある。今すぐに見付けたって、あの子の気持ちは、変わらないわ」



「そんな事言われても、クラちゃんをあのままで、一人にはしておけない」



 門大は目を開いてから言った。



「もちろん、ずっと、一人にしておく必要はないのよ。あんたは、これから、あの子を探すの。三日以内よ。三日以内に、クラリスタを猫にした魔法を、解除する為の条件を達成しないと、あの子、もう、人の姿には戻れないわ。ずっとあのまま」



「なんだよそれ。何もかも、無茶苦茶じゃないか。クラちゃんが、あのままになる? それに、今すぐに探すなとか言ったり、三日以内に探せって言ったりして」



 門大は、声を張り上げる。



「あの魔法を解除するには、あの魔法にかかってる者以外の者が、あの魔法にかかってる者の為に、何かしらの試練を乗り越える必要があるの。それから、魔法にかかってる者が、自ら、自分にかかってる魔法を解除したいと、強く思う事も必要なの。クラリスタを元に戻したかったら、三日以内に、この草でできた迷路のどこかにいるクラリスタを、探し出して、探し出したら、その三日の間に、あの子に、元の人の姿に戻りたいと、思わせないと駄目なのよ」



 キャスリーカが言いながら、草でできた迷路の巨大な壁に手で触れる。



「君が、昔、やった事ってさっき言ってたよな? だったら、変えられないのか? クラちゃんが猫のままにならないようにしてくれ。それができなかったら、三日以内ってのを、期限なしとかに、変えてくれ」



「一度作った魔法のルールを変える事はできないわ。三日以内っていうのも、それ自体に意味があるの。三日以内に、何かしらの試練を乗り越えるっていうのが、あの魔法を解除しようとする者が、乗り越えるべき試練なのよ。そして、三日以内にクラリスタを探し出すっていうのが、あんたが、今回、乗り越えるべき試練になるの」



「なんだよ。勝手な事ばっかり。なんでそんな事しなきゃいけないんだ。見付からなかったらどうすんだ? クラちゃんが、猫のままでいたいって思ったらどうすんだ?」



 門大は、怒鳴るように言ってから、キャスリーカの目を睨むように見た。



「突然の事だから、怒って当然だとは、思うわ。けど、なんて言えばいいのか。クロモが、あんた達の為を思ってやってしまった事だし、昔、私がやった事で、あんた達が、こんな事になってしまってて、もう、今更、どうしようもないんだけど。それで、その言い訳に、こんな事を言うんじゃないんだけど、こうなった事には意味があると思う。あの子の気持ちと、今のあんた達の関係を変える為に」



「ンナーン」



 クロモが鳴くと、門大の目の前に、クロモの毛でできている腕時計のような物が出現する。



「なんだよ、これ?」



 門大は目の前に浮かんでいる、腕時計のような物を手に取りながら言った。



「タイムリミットを示す腕時計よ。真上、十二時の位置を指してる長針に、短針が重なったら時間切れ」



「タイムリミット……」



 門大は、呟いてから、恐る恐る腕時計の文字盤を見る。



「今、短針が、三時の辺りを指してるって事は、六時の所で、一日、九時の所で二日」



 門大は、言葉を切ると、腕時計のベルト部分を左腕の手首に巻いた。



「もう、いい。とりあえず、ここで、こんな事をしてる場合じゃないってのは、分かった。俺は、クラちゃんを探しに行く」



「ごめんなさい。今回は、何もしてあげられない。あんたが一人でやらないと意味がないの」



 キャスリーカが、申し訳のなさそうな、悲しそうな、声音になって言った。



「ウーナ」



 クロモが消え入りそうな声で鳴く。



「変な事をしてしまって、ごめんなさい。って、クロモは言ってるわ」



 門大は何も言わずに、キャスリーカとクロモに背中を向ける。



「門大。さっきは、あんた達の為になるみたいな事言ったけど、私も、正直、分からない。けど、あんたがここで、諦めたら、あの子は、あのままになってしまうから。門大。こんな事になってしまって、本当に、ごめんなさい」



 門大は、一度、深く呼吸した。



「あ、あの、ええっと、あ、ああ、あれだ。なんていうか、俺の方こそ、悪かった。キャスリーカ。ごめん。君には、色々世話になってるのに。クロモだってそうだ。クロモも、ごめん。怒鳴ったり、文句を言って悪かった。取り乱した」



 門大は、そう言うと、迷路の壁が作り出す、いくつかある、通路の入り口を、顔を巡らせて見回した。
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