五十七 願い

文字数 4,215文字

 目の前のすべてを埋め尽くすかのように、真っ白い光が、広がったと思うと、ゆっくりとその光が一点に向かって収斂しゅうれんして行き、一つの、子猫くらいの大きさの、玉のような物になる。



「なんで、子猫?」



 自分の頭の中に浮かんだ子猫という言葉に、疑問を覚えた門大は、どこか、意識がぼんやりとしている事にも、気が付き、その事にも、疑問を覚えながら、誰に言うともなく呟いた。



「目が、覚めたのかの?」



 聞き覚えのある声が、聞こえて来る。



「うん? その声」



 門大はそこまで言って、言葉を飲み込む。自分に何が起こったのか。なぜ、先ほど、子猫という言葉が頭の中に浮かんだのか。唐突に、それらの事に関する記憶が、頭の中に一気に広がり、門大の、どこか、ぼんやりとしていた意識を、急速に覚醒させ始め、門大は、凄まじい焦燥感に駆られながら、いつの間にか、閉じていた目を開けた。



「ゼゴット。どうして、ここにいる? クラちゃんは? あの変な剣の生えてる奴はどこ行った?」



 門大は声を上げた。



「門大。門大は死んでしまったのじゃ。ここは、死者の魂とわしが会う為の場所じゃ。まったく。なんで、あんな無謀な事をするのかの。今は、というか、もう、さっきの事になるのじゃけど、門大は、生身の人間なのじゃぞ。それに、ここは、神の世界じゃから、流刑地とは違うのじゃ。門大は、今は、不老不死ではないのじゃぞ」



「俺の事なんてどうでもいい。クラちゃんは無事なのか?」



 ゼゴットが、じろりっと、門大を睨む。



「門大は、肝心な事を忘れているのじゃ。門大が死ねば、クラリスタも死ぬのじゃ。門大とクラリスタは、魂が繋がっている対なる者なのじゃからな」



「そうだ。そうだった。じゃ、じゃあ、クラちゃんも、死んだのか?」



 ゼゴットが門大の目の前に、縦の長さが二メートルくらい、横幅が六十センチくらいの、長方形の鏡を出現させる。



「ほれ。これを見るのじゃ。これは、神が使う、神々テレビジョンじゃ。これは、かなりの便利グッズでの。見たい物がいつでもどこでも見られる上に、時間を遡って見る事もできるのじゃ。更に更に、なんと、鏡としても使えて、録画機能も付いているのじゃぞ」



 鏡の鏡面の真ん中に、波紋が一つ立ち、その波紋の波が、端に向かって広がって行って消えると、鏡の中に、迷路の中の光景と、どこか、放心したような様子で、ぽつんとその中にお座りをしている、傷だらけで、全身が、赤黒い色の血に染まっている、子猫の姿が映り始めた。



「クラちゃん」



 門大は、クラリスタの姿を見つめながら、呻くように言った。



「クラリスタは生きているのじゃ。わしら神の力をもってすれば、魂の繋がりを断つ事もできるからの。今回は、一時的に繋がりを断ってあったのじゃ。あの迷路の中は、試練用の場所じゃからの。どちらかが死んでも、どちらかは生き残るようにしてあったのじゃ。二人が一緒に死んでしまっては、試練にならない場合が出て来るからの。門大。どうじゃ? 魂の繋がりの事を思い出し、あのクラリスタの姿を見た今でも、俺の事なんてどうでもいいなどと、まだ、言えるのかの? それに、あれじゃ。もう二度と、クラリスタには生きては会えないのじゃぞ。もう会えないという事は、門大は、試練を乗り越える事ができなかったという事にもなるのじゃ。クラリスタの姿は、元には戻らないのじゃ。あのままなのじゃ」



 門大はゼゴットの言葉を聞いて愕然とし、ゼゴットの方に顔を向けた。



「三日が経てば迷路は消えるのじゃ。その後は、まあ、キャスリーカが話をして、皆事情は知っているからの。誰かしらがクラリスタの面倒を見るじゃろうけど、これは、あまりにも悲しい結末じゃな」



 門大は、その場に土下座する。



「クラちゃんを、クラちゃんを、元に戻してやってくれ。いや、戻してあげて下さい。お願いします」



 門大は、言って、額を、白色の石のような物でできている、自身が今土下座している、床に押し当てた。



「甘いのじゃ。前にあっちの、門大のいた世界に行った時に食べた、イチゴ大福くらい甘いのじゃ。そんなにほいほいと、そんな、自分勝手な願いが叶うと思っているのか? そうだとしたら、酷く生という物や、この生と死が混在する世界という物をバカにしているじゃ。そんな甘々な考えの門大は、これを見るといいのじゃ。それで、もっと後悔して反省するといいのじゃ」



 ゼゴットが言うと、クラちゃん。大丈夫か? 頼むから、死んだりしないでくれ。という門大自身の声が鏡の中から聞こえて来る。



「俺の、声?」



 門大は、顔を上げ、鏡の方を見る。



「時間をちいーっと戻したのじゃ。門大が視覚を失ってから、何が起こったのか見るといいのじゃ」



「フシャアアアアアアアア」



 どこからか、一匹の子猫が走って来ると、鏡の中の門大の横で足を止め、怒り猛たけった表情をしつつ、全身の毛を逆立て、剣の生えている何かを威嚇しはじめる。



「どういう事だ? クラちゃんなのか? クラちゃんが、二匹、いや、二人いるのか?」



「後から出て来た方が本物のクラリスタじゃ。ツルギアラシの手の中にいるのは、ああっと。ツルギアラシというのは、あの剣がたくさん生えている獣の事じゃ。そのツルギアラシの手の中にいるのは、偽物のクラリスタじゃ。ツルギアラシは、あの人の手の形をしている部分を、様々な物に変形させる事ができるのじゃ。それで、その変形させた手を使って、獲物を自分の所に誘き寄せて殺して食うのじゃ。鳴き声とかも出せるくらい精巧に変形させるからの。まあ、門大が騙されたのは、しょうがないといえば、しょうがないのじゃがな」



「他にも、子猫が、いるのか?」



 鏡の中の門大が言う。



 クラリスタの、子猫の、勢いに気圧されたのか、ツルギアラシが、ゆっくりと後ろにさがり始める。



 鏡の中の門大の体中に刺さっていた剣が引き抜かれ、門大の手の中にいた偽物の子猫も、剣の動きに合わせるようにして、門大の手から、抜けて行く。



「クラちゃん。クラちゃん」



 鏡の中の門大が声を上げながら、草の生えた迷路の地面の上に倒れ込んだ。



「フー。ミャミャウゥ。ウゥゥゥゥゥゥ。シャアアアアアアアアア」



 子猫が、また、唸ると、その小さな体を爆発させるようにして、飛び上がり、ツルギアラシに襲いかかった。ツルギアラシが、襲いかかって来る子猫を迎撃しようとして、体中の剣を動かす。子猫が自分に向かって来る無数の剣を、四本の足と小さな体を目まぐるしく動かして、剣を蹴り、左右に飛び、剣の間を潜り抜けて、かわしつつ、ツルギアラシに向かって行く。だが、子猫も無傷とはいかない。子猫の勢いは変わらず、ツルギアラシの剣の中を突き進んで行くが、ツルギアラシの剣が、子猫の体に、一つ、また、一つと、致命傷には至ってはいないが、深い傷や浅い傷を、無数に刻み付けていく。



「クラちゃん。もういい。もうやめてくれ」



 門大は、必死に戦うクラリスタの姿を見て、いつの間にか、涙を流し始めていた。



 剣の雨をすべて潜り抜け、無数の剣が生えている根元の部分、ツルギアラシの体の部分に辿り着いた子猫が、小さな体をこれでもかと、大きく後ろに向かってしならせ、両方の前足を、思い切り、強く、広げるようして、振りかぶると、その両方の前足で、バツ印を描くように、ツルギアラシの体をひっかいた。



 ツルギアラシが、全身を一度、びくりと、大きく痙攣させてから、体を激しく揺さぶって、子猫を体から弾き飛し、体中から生えている剣を、高速で地面をかくように動かして、門大のいる方向とは反対の方向に向かって、走り出す。弾き飛ばされた子猫が、草の壁に勢いよく当たってから、地面の上に落下する。



 門大は、息をする事すら忘れ、鏡の中の子猫、クラリスタの姿を見つめる。



「なんだ? 何が、起こってる?」



 鏡の中の門大が、酷くかすれた声で言った。



 子猫が、四肢ししを震わせながら、ゆっくりと、体を起こすと、門大の方を見る。



「あれ? 急に、なんだ、これ? なんか、周りの、音も、聞こえたり、聞こえなくなったり、しはじめてる。これは、やばいのか? ひょっとして、俺、死ぬのか? ここは、流刑地じゃ、ないんだ、もんな」



 鏡の中の門大が、途切れ途切れにそう言った。走り去ったはずのツルギアラシが、走って、また、戻って来る。ツルギアラシは、走る速度をまったく緩めずに、真っ直ぐに、子猫に向かって行く。



 子猫が、ツルギアラシの方に顔を向けると、傷だらけになっている小さな体と、すべての足を、目いっぱい大きく、懸命に動かしながら、ツルギアラシに向かって、走り出す。



 ツルギアラシと子猫が接近し、ツルギアラシの体から生える無数の剣が、子猫の体を貫こうとする刹那、子猫が、体を低くして、前に向かって飛び、無数に生える剣と剣の僅かな隙間を通り抜けて、ツルギアラシの体に密着すると、再び、ツルギアラシの体をひっかいた。今度は、一度ではなく、何度何度も、自らの爪も、二本の前足も、体も、ツルギアラシの体から流れ出る血で、赤黒く染まり尽くすまで、ひっかき続ける。



 ツルギアラシの走る速度が急激に落ちて行き、動きが止まると、前に向かってのめるようにして、その場に、音をたてて、倒れ込んだ。



「ミャーン」



 ツルギアラシの体の下敷きになってしまっていた子猫が、這うようにして、ツルギアラシの体の下から出て来て、鳴きながら、鏡の中の門大の方を見る。その背後で、ツルギアラシがゆっくりと体を起こしたが、子猫の激しい攻撃を受けて、戦意を失ったのか、子猫や門大の方には見向きもせずに、のろのろとした動きで、迷路の奥に向かって去って行った。



「クラちゃん? 無事、なのか? なんか、変な、物音、とか、してた、けど」



 鏡の中の門大が言った。



「ミャウ」



 子猫が、よろめきながらも、立ち上がって、歩き出し、鏡の中の門大の顔に近付くと、ほんの少しの間、何かを考えているかのような、間を空けてから、自分の鼻を、門大の鼻にそっと当てる。



 鏡の中の門大は、なんの反応も示さない。



「ミャン。ミャン。ミャアーアン」



 子猫が、悲痛な声で鳴いた。



「どうじゃ? これを見て、何を思う?」



 ゼゴットが言う。



 門大は、何も言葉を返せずに、涙を流しながら、ただ、ただ、鏡の中の、微動だにしない門大に、呼びかけるようにして、鳴き続けている子猫の姿を、見つめ続けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み