第29話:高度臨床検査センター第1号

文字数 1,621文字

 2016年11月中旬、川崎市と川崎の金融機関、医師会も協力する事で港北ニュータウンに高度医療機関の第一号が作られることが決まった。その場所は、センター駅近くの150平米のビルの2階の2つのテナントを1つにして使う格好で作ることが決まり、横浜市と川崎市から融資を得られることになったようだ。畑山の1億円と補助金と医師会、業者の融資で1億円集まったようだ。

 その後、ビル2室の防磁工事と補強工事などが年内かかり、来年2017年1月オープンが決まった。並行して、横浜、川崎から、パートの放射線技師の免許を持つ臨床工学師8名と受付8人、放射線科医師1人を募集をかけた。すると、土日、水曜、木曜日のパートが放射線技師の免許を持つ臨床工学師8名が見つかり、今年、資格を取る予定という人が6人応募してきた。

 そして2017年を迎えて、水、木、土、日の8時から20時まで高度臨床検査センターをオープンする事にした。手の空いてる畑山敏和が、受付の横で従業員の管理や医師会への連絡などチーフとして手伝うようになった。すると横浜と川崎の医師会で宣伝したせいか一気に患者が集まり仕方なく、受付で電話を受けた時に受診の日時を指示する様にして待つ人を減らすようにした。

 検査が始まると終了まで40分かかるので予約時に受診予定日時を伝えるようにした。これにより、スムーズに回転し始めたが、3ケ月もすると横浜の金沢区、瀬谷区など遠くから来る人も増えて土日は、満員になる日が増えた。しかし、幸いな事に中高年が多く、水、木曜に変更をお願いし何とかなった。4月になると新しく臨床工学部を卒業した人が応募に来た。

 その新人を助手にして診療時間を7時から22時までとした。その後、新人を目的に、放射線技師の免許を持つ臨床工学師を再募集すると8人から電話がかかり、採用して、月、火、水、木、金、土、日と祝祭日の全日、検査を開始した。どうしても人を配置できない場合は、診療時間を繰り上げたり臨時休業にして営業を続けていった。

 そうすると感染の可能性も少なく時間と曜日を決めて時給制で働けると言うメリットから東京、川崎、横浜の各地から人が集まり従業員からの要望で4人泊るための2段ベッド2つを用意して仮眠室も作ると評判が良くなり検査時間を増やせて収入も増加してきた。また、最初から健康保険がきかないので、保険請求の問題も発生しない。
 
 さらに、東京で、高度臨床検査センターが稼働し始めて5年目になると医療保険でカバーしてくれる外資系の保険会社が現れて利用する人にとってのメリットが増えた。それを外来に張り出すと利用者が、増えた。そして2017年の年末になると365日体勢で検査ができ、そのデーターを紹介された医療機関に送る事でトラブルもなく順調に稼働した。

この結果に畑山を始め仲間3人が、大喜びし、翌週の日曜、横浜中華街で、祝賀会を開いた。そして、今後、高度臨床検査センター設立資金援助を継続していくことを確認しあった。そして横浜の高度臨床検査センターの盛況ぶりを喜んだ。この1億円の融資で、畑山グループの残金が11.7億円となった。

 2018年2月に、長女の畑山敏和の長女の優子さんは、緑ヶ丘高校を受験して合格。桜木町から山手駅まで電車通勤をして35分で通学し始めた。帰りには、元町、中華街に立ち寄ったりして楽しんでいたようだ。その頃、兄の智一は、横浜国大理工学部の電子工学科を目指し、横浜駅近くの予備校で勉強をしていた。優子さんは、横浜国立の経済学部を第一志望にしていた。

 2018年には、神奈川県、川崎市、横浜市、医師会のメンバーが、積極的な募金活動と臨床工学士の学校訪問をし始めた。すると意外に非常勤の臨床工学士や専門以外の分野で働いている人が多い事、また、臨床検査技師になったが就職口が少なく非常勤先に勤務せざるを得なくて困っている人たちが意外に多いことが調査によって分かった。
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