第8話:姉が結婚し横浜へ、敏和もプロポーズ

文字数 1,455文字

 新潟大学の内科医局でも八橋が、横浜に帰るのを許可してくれた。3月22日から八橋さんと豊子さんは、横浜へ行き、マンション探しを始めて、横浜市大の近くのマンションを見つけ、契約し鍵をもらった。3月27日土曜の昼、八橋さんと豊子さんの荷物を横浜のマンションに向けて送った。そして八橋さんの車で横浜に行って3月28日、入居のマンションに10時にトラックが到着。

 その後、マンションに荷物を搬入し18時には終了した。3月28日の晩から2人は、8階の2DKのマンションに入居した。翌、3月29日、横浜市大内科へ行った。あらかじめ老年内科医局教授に、お願いしていた大学病院での看護婦採用の面接に八橋さんと豊子さんが言って採用となった。これで4月1日から八橋さんと豊子さんは、横浜市立大学病院に勤務を始めた。

 早速、八橋さんは、内科医局の仲間に挨拶して回った。その後、1999年6月6日・日曜日、11時からホテルニューグランドで、畑山家と八橋家の結婚式が開始。横浜市大関係者や親族、親戚47人が参列し結婚式が開始し14時に結婚式が終了。しかし、新婚旅行は、9月23日から25日の2泊3日で箱根と熱海に出かけて、ゆっくり温泉に入って、芦ノ湖、富士山を見てきた。

 やがて12月が過ぎ2000年。2000年1月4日、正月休みの最終日、敏和は、ラジオ短波を聞き、ソニー株を31000円の指値で全株売り指示。その結果、全株売れて税引き後利益が5千万円を手にした。この株の成功で自信を持った敏和は、付き合っている島根景子に2000年3月末、プロポーズした。

 それに対して、どうしたのと聞くので正直にソニー株の売買で5千万円儲けたと話した。すると、すごいじゃないと言って、あたりを見回してからキスをした。そして株やってるんだと言い、真面目で固そうだから、そんな風には見えなかったと言い、私の父は、儲けたり負けたりして資金が増えてないみたいと言った。

「結婚したら、どこに住むと聞かれ会社から近い直江津が良いかなと言うと、それなら、うちの実家の離れに住まないかと言った」。
「それなら君の実家に行き家を見せてもらうと伝えると彼女は大喜びしガッツポーズをとった」。
「この話、両親に話して良いのねと彼女が聞くので、もちろんだと答えるた」。

「すると彼女は、安心したと言うと目に涙を浮かべ大粒の涙があふれ出した」。
「その姿を見て彼女を抱き寄せると小刻みに震えていた」。
「それを見て意外と純情な子だなと敏和は、彼女の事を更に好きになった」。
「翌週の日曜、彼女が鬼舞の畑山家に敏和を迎えに来た」。
「そして敏和が、自分の両親に彼女と結婚し高田へ引っ越すと告げた」。
「すると、母が、彼女に、敏和を宜しくねと言いった」。

「その後、敏和が、彼女の両親の所へ行き、結婚を申し込んでくると言って家を出ていった」。
「1時間北上し直江津を超え上越市三和の丸山酒造で、雪中梅を買った」。
「そこから30分かけて高田駅の郊外の島根家に到着」。
「島根家に上がり両親の前で彼女をお嫁さんの下さいと単刀直入に伝えた」。
「その後、雪中梅の一升瓶を差し出した」。

「すると話は聞いてますとお母さんが優しく言った」。
「父が、雪中梅を買ったのかと言い上機嫌になり焼き魚と刺身を出した」。
「そして、母が、娘に、送っていくんだろと言うと、そうですと答えた」。
「それなら、飲んで帰れと言われ2時間足らずで雪中梅の一升瓶が空いた」。
「義理の母が、離れを使いたいのだろと言い話が全て筒抜けになっていた」。
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