第15話:妹夫妻との再会と世界同時不況

文字数 1,698文字

 10時過ぎ、八橋賢三さんと豊子と男女双子の健一と康子が、やってきた。そして豊子が、まるで展示場を見に来た、おばさんの様に風呂、トイレ、台所を見て回った。するとオール電化ねと言い、インターネットで調べると免震構造と書いてあったと言った。すぐ近くに海があって素晴らしい環境ねと言った。この広さなら1億円近いでしょうと言った。

 近くに、けいゆう病院もあり理想的ねと笑いながら言った。どうやって、そんな大金を得たのと不思議そうに聞いた。そこで、たまたまヤフー株を安い時に買って信じられない暴騰のおかげですと言うと、本当と疑うような目で見た。まーとにかくおめでとうと言い、会社は、辞めたのと聞くので、上越は、大きな2度の地震を経験して子供の将来も考え首都圏に引っ越すことに決めた。

 でも自然のない大都会は、御免だったので、みなとみらいの景色を見て決めたって訳さと答えた。今後、何をしていくつもりと聞くので、とりあえず中高生向けの塾か個別指導の家庭教師をしていこうと考えてると話し家内もそろばんの有段者だからそろばん塾も考えてると話した。まー大金も持っているんだったら心強いよねと言い、姉が、豊子さんに遊びに来て良いと聞くのもちろんと答えた。

 その後、中華街で食事したり元町で一緒に買い物しようと笑いながら言うと了解ですと答えた。そして元町、霧笛楼の大きな菓子箱を豊子さんに引っ越し祝いよと言い渡してくれた。これからも宜しくねと奥さんが言うと豊子さんが、こちらこそ宜しくお願いしますと答えた。旦那さんの八橋賢三さんが、口を開いて、今、大船の方で個人病院で内科部長として働いていますと伝えた。

 現在、開業のための資金作りをしていると話した。数年のうちに金を貯めて人口の多い街の駅前のビルで循環器、老年内科を開業したいと考えてますと話してくれた。また、ご相談させてもらいたいので、その時は、宜しくと頭を下げた。この時、話の内容について、詳しく聞かず、思わず、わかりましたと、調子よく返事をした。

 その後、再び、高田にある奥さんの実家に帰って年末に引越す手続きをとり長年勤めたSE化学に奥さんと共に退職願を提出し受理され12月付て退職。その後2008年12月29日の朝、引っ越し屋が来た。昼過ぎに4トン・ロングボディーの車に荷物を詰め込んで高田の奥さんの実家を後にした。そして18時過ぎ、畑山一家3人が、MMタワーのマンションに入った。

 翌日、朝8時、トラックと6人の若者が、引っ越し作業を開始し13時には、すべて終了。終了時に、引っ越し代金をチームのリーダーに渡し、領収書をもらった。やがて2009年となった。2009年、マンションの周辺の教室形式の公営会議室を探し回った。1時間千円、3時間3千円程度で借りられることが判明し奥さんの景子さんが、そろばん教室を敏和が学習塾を開こうと考えた。

 その話をすると奥さんが、そんなに簡単にうまくいくのと言った。もう少し調べてみると答えて、公営施設に聞きに行くと塾とか勧誘とか商売の関連する会合に、神奈川県、横浜市の公営施設は貸せませんと断られた。その話をすると、やっぱりそうでしょうと言われて、世の中、そんなに甘くないと笑われた。すると、奥さんが、あなたは、株投資で儲けたのだから続けたらと言われた。

 日本でもリーマンショックに端を発した世界同時不況が、電機や自動車など輸出企業の業績を直撃した。そのため需要の激減で大幅な減益決算を余儀なくされた。2009年3月期の連結決算で電機大手8社は合計2兆円超の純損失を計上。トヨタ自動車も純損益が2兆円以上悪化し、約4369億円の赤字に転落。各社は過剰な在庫の絞り込みに加え、経費の圧縮を迫られた。

 ソニーが1万6000人の削減に踏み切るなど雇用不安は非正規労働者にとどまらず正社員にも波及。春闘では未曽有の危機を乗り切るためベースアップを見送るだけでなく電機大手の様に定期昇給を凍結する動きも広がった。急激な業績悪化の責任を取り、大手企業のトップ交代も相次いだ。トヨタでは豊田章男社長が誕生、創業家の求心力に再生を託した。
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