第26話:北海道旅行2と智一が翠嵐高校合格

文字数 1,596文字

 嘉兵衛の政治力および財力に恐れを抱き始めていた幕府は、2代目金兵衛を江戸で厳しく取り調べる。1833年、箱館本店ほか3支店の財産は幕府に没収され莫大な現金、船450隻、土蔵307カ所など当時の国家予算の25%に及ぶ資産が没収。1869年に政府は無罪となったが没収財産の返還が一切なかった。箱館の基礎は、まさに嘉兵衛によって築かれた。

 その晩は、タクシーで函館山に行き100万ドルと呼ばれる美しい夜景を存分に楽しみ、多くの写真を撮って来た。ホテルに戻ると22時近くなり、床についた。翌日、8時朝食をとり、10時前に、五稜郭タワーに向かい五稜郭公園やタワーにあがって景色を眺め写真を撮った。その後、タクシーで函館駅へ行き12時過ぎの特急で札幌で小樽行きの列車に乗り換え17時前に到着。

 すぐにホテルにチェックインして、その晩は、ビールを飲んで早めに床についた。翌日、朝、9時に出発し、小樽の倉庫街を見学して小樽運河の昼間のクルーズ船に乗った。船頭さんが運河沿いの建物や小樽の町の歴史の紹介を聞きながら40分、北運河と南運河で川幅が違う事、屋根の上にシャチホコが載ってる建物のお話などを教えてくれた。

 その後、地元で教えてもらった寿司の旨い店へ行き、昼食を食べた。そこの、ご主人に観光名所を聞くと日和山灯台が良いと紹介された。行き方は、おたる水族館行きのバスの終点から徒歩10分だと告げた。ご主人にお礼を言って、精算後、停留所でバスを待ち、バスで30分で、おたる水族館に到着。徒歩10分程で、日和山灯台に着いた。

 そこで、遠くの山や小樽港の船や桟橋をじっくり眺め、気に入った風景を写真に撮ってきた。その後、天狗山ロープウェイ乗り場に行き、天狗山に登り、対岸の遠くに見える山を見たり山裾にへばりつくように立っている家やビルを眺め、多くの写真を撮った。その後、小樽駅からJRで千歳駅に向かい、18時に到着し千歳のホテルにチェックインした。

 その晩、風呂に入りビールを飲んで、明日は、近くのレンタカー屋で車を借りて、美瑛と富良野を見学してこようと話し合った。やがて22時近くになり床に入った。翌朝、朝食後、レンタカー屋に9時過ぎに行き、ホテルを9時半に出発し、2時間半走り、昼頃に到着し、近くで、冷やし中華を食べて、ケントメリーの木、マイルドセブンの丘、北西の丘展望公園を見学した。

 その後、ファーム富田に着いて広いラベンダ畑を散策して、少し休憩をとり、農場のカフェで、特製のラベンダー・アイスクリームと珈琲をいただいた。ここでも多くの写真を撮った。その後、2時間半かけて千歳のレンタカー屋に車をもどしホテルまで送ってもらった。その後、ホテルで、夕食をとって風呂に入ってビールを飲み今日の話をすると21時には床についた。

 翌朝、朝6時に起き、ホテルの近くを散策し8時、チェックアウト。10時半の飛行機に乗り12時過ぎに羽田に到着。13時には、みなとみらいのマンションに到着。子供達へのお土産を渡した。やがて9,10月となり智一は、来年、翠嵐高校か平沼高校のどちらかに入りたいと勉強続けて、10月のテスト翠嵐の合格率70%。平沼高校が80%との判定が出た。

 その後も翠嵐に入りたいと遅くまで受験問題集を解いていた。その姿を見ていた妹の優子は、名門校に入るは、大変だと実感した様で、今のうちに成績をあげておこうと、その後、猛勉強を開始。そのうちに11、12月が過ぎ、2016年2月、智一の受験と知って、新潟の両親は、遠慮して、こなかった。その後、2月10日、翠嵐高校を受験し発表会20日、合格が分かった。

 それを聞いて、敏和の両親が2月22日から28日まで来て、奥さんの両親が3月1日から10日まで、横浜へ、避寒のためにやってきた。この頃、八橋賢三さんから直接、畑山敏和に面会して話をしたいと電話が入った。
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