第2話:亡き、おばあさんからの贈り物

文字数 1,553文字

 伊藤ふみさんの葬儀には、大勢の親類縁者が来て執り行われた。葬儀は4時間ほどで終了。畑山家の4人も菩提寺まで行き墓前で、お参りして帰ってきた。
「その晩、家に戻り伊藤ふみさんが亡くなる前に言った事は口外禁止と畑山敏則が言明」。
 その後、早朝や深夜、週に1、2回、土日、五霊神社に行き、鋭利な鉄の棒で地中に突き刺した。

 それを五霊神社の鳥居から大人と子供の足で5歩の所を円形に360度、他人に見られない様に探っては、また埋め直す様にした。そして開始から16回目、1ケ月半たった26日の夜、ストックの先が、ゴツンという衝撃を感じ、何かに当たったことが分かり、そこを掘ると木箱が出てきた。その木箱を持ってきた布製の大きな袋に入れるとずしっと重い。

 それを他人に見られない様に、明かりをつけずに自宅まで数分かけて持っていった。倉庫の中で畑山敏則と息子の敏和が、箱を開けライトで照らすと黄金色のた小さな塊でいっぱい。しかし持ってみると重いので、びっくり仰天。黄金色した小さな塊を一つポケットに入れ、その箱を倉庫の床板をはがして穴を掘って埋めた。11月5日、早朝、糸魚川を出て直江津の会社に車を置いて長岡経由で東京へ向かい10時前に到着。

 早速、前日電話した銀座のTK貴金属に行き担当者に小さな金塊を見せた。それをちょっとお借りしますと言い店に中へ。5分後出てきて24金に間違いないと言い、つまり純金ですと答えた。どれ位で、買い取ってくれるのか聞くと担当者が、どの位、お持ちですかと聞いたので50個以上あると言うと驚いていた。1個なら50万円、全部売ってくれるなら少し高く買うと言った。

 どちらに。お住まいですかと聞かれ、新潟県の糸魚川と言うと、それは遠い所、恐れ入りますと言った。それだけあれば、私どもが出向いて車で、引き取りに行っても構いませんと言うので、それはありがたいと言い。直江津の会社の近くで会いましょうと伝えた。畑山が会社の人に来週11月11日、10時に直江津のSE化学直江津工場の入り口前で、いかがですかと伝えると了解と答えた。

 その後、11月11日、畑山敏則と敏和が、会社を休んで、直江津工場の入り口前で10時前から待っているとクラウン・バンが10時頃、入り口前に止まった。そこで畑山敏則が、TK貴金属の方ですかと聞くと、そうですと言い、名刺を渡してくれた。そこで直江津で一番のホテルに行き2時間1室を借りたいと言い部屋に入った。

 そして麻袋に入った金の小塊63個を確認すると間違いないと言った。そして新潟は第四銀行で良いですねと言うので、それで、お願いしますと言い畑山敏則が、口座番号を教えた。その後、TK貴金属の担当者がホテルから東京へ電話して、第四銀行直江津支店の畑山敏則の口座番号を連絡し小塊1個5千円、63枚で3300万円の送金を指示。

 10分して確認のため畑山敏則とTK貴金属の担当者が車で第四銀行直江津支店へ出かけた。そして約1時間後、戻って来て、畑山が入金の確認が取れたと興奮した様子で語った。その日のうちに、最初、父の口座に入れるつもりだったが大金が一度に入れると税務上まずいと考えた。そこで家族4人の第四銀行の口座に分けた。

 これで、畑山家の資産が3300万円と一挙に増え、激動の1994年が終了。この頃、畑山豊子は、新潟県立看護大学の4年生になり来年卒業し看護婦へ。今年も病院での看護の研修を続けた。将来は、新潟県内の大型病院に勤務したいと考えていた。

 畑山敏和は、父に話して、この金を使い、投資で儲けたいと話すと経済学部卒業したのだから挑戦しろと言ってくれた。その後、直江津のN証券に口座を開き1994年12月、800万円を入金。その後も素知らぬ顔をして通常通り仕事をしていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み