第36話 完

文字数 3,073文字

「なら俺に聞かせてくれ」
 早苗は振り返り声の主、騎士を睨んだ。それでも騎士はゆっくりと早苗に歩み寄る。
「近づくな!お前なんて、見たくもないんだよ!普通じゃない……気持ち悪い身なりしやがって!」
 憎悪に満ちた声で騎士の一切を拒絶する早苗の言葉が胸に刺さる。
 足を止めた騎士は歯を食いしばり力こぶしを強く握る。震える感情を必死に抑えつけるようにいつもの声をかける。
「なにやってんだよ、寒いだろ?さっさと帰ろーぜ」
「帰るわけないだろ!」
「どうしてだ?」
「死にたいからだよ」
 分かってはいてもその言葉に騎士と早苗は唾を飲む。
「どうして」
 騎士はまた一歩近づきながら早苗は見逃さなかった。
「近づくなって言っただろ!気持ち悪いんだよ!なんでお前は僕にまだ関わろうとするんだよ!」
「好きだからだよ」
「は?」
 予想もしていなかった騎士の言葉に早苗の声が途絶える。
 抑え切れなくなった感情が涙となって騎士の頬を垂れていく。それでも騎士は涙をぬぐうことなく、早苗に優しい声で秘めていた気持ちを伝えた。
「早苗。俺はお前のことが好きなんだ。愛してるんだ」
「騎士、何言って……」
「俺の秘密はもう何もない。だから、教えてくれよ」
「僕は……」
 早苗は自分の体をふるえる体を抑え込みながら俯く。
「僕は普通じゃない奴は嫌いだ、気持ち悪いんだ。身震いするほど気持ち悪く感じてしまうんだ。体に染みついたこの感覚がなくならない。普通にこだわればこだわるほど、嫌でもわかってしまう。今の僕は普通じゃない。普通じゃない奴はいつだって仲間ははずれにされて、嫌われて、のけ者にされ、馬鹿にされる。今まで散々見て来た。でも自分にどんな言い訳をさせても本当の気持ちは変わらない、気持ち悪い自分が出てくる。自分に帰ってくる」
 聞いていてあまりにもいたたまれない気持ちになった騎士が早苗に駆け寄り強く抱きしめた。
 死なせない、寄り添ってあげたい、傷をいやしてあげたい、もう逃がさない、いろんな思いが騎士をそうさせた。
 小刻みに震えている早苗の体を騎士は肌で感じた。
 本当に体が拒絶しているのだと、高校で何度も触れ合ってきたあの時必死にばれないように押さえつけていたのだと。自分の中の普通を守るために。
「事実を認めたくない、こんな状態になっても最後の一言が言えない。ゴキブリが嫌いなのと同じなんだ。その虫が好きな気持ちと嫌いな気持ちだ二つ同時に存在してる。あんなに嫌っていたゴキブリにもかかわらず、自分の体を見たらゴキブリの体になってる、あのうねうねした気持ち悪いお腹が自部の体についているそんな感覚なんだ」
 早苗は強く抱きしめる騎士の体を引き剥がすように力なくもがいてから泣きながら続けた。
「何よりも、大切で大好きなはずなのに……そう感じてしまっている自分に耐えられないんだ」
 早苗は騎士から離れるために泣きながら喚き暴れた。
「やめろ、気持ち悪い、放せ、離れろ、気持ち悪い、消えろ、消えてくれ、いやだ、やだやだやだやだ、放せ、気持ち悪い、いなくなれ、消えろ消えろ、気持ち悪い」
 早苗は次第に落ち着き始め、そして抵抗を辞めた。それから、ゆっくりと騎士の背中に腕を回し震える手背中を触る。
 騎士は強く抱き寄せていた腕を緩め、お互い目頭を真っ赤にさせた顔で向き合った。
「早苗」
 静かに名前を呼ぶ騎士。早苗は必死に耐えるように騎士の顔を見つめる。
 お互いの腰にてお回し抱き合う二人に水を差すものは誰もいない。
 ゆっくりと近づいてくる騎士の顔に早苗は目をつぶり顎を上げた。互いの唇が触れると、騎士は早苗の頭と腰に手を回す。
 そして、早苗の口の中を騎士の舌がかき乱していく。あまりにも強引で激しいキスに耐えるように震える手で必死に騎士の肩にしがみつく。




 あれから数ヵ月が過ぎた。
 冬も過ぎ春を迎える。
 早苗は騎士と一緒に大学に向かっていた。
緊張を紛らわすように早苗は騎士の手を握る。だいぶ克服できて来た早苗は今は普通に騎士と手をつなげるようになった。
 今日は軽音同好会のコンサート。來未が話を付けてくれて早苗と騎士も参加させて貰えることになった。
「ずいぶん時間かかったよな」
「響かせよう、僕たちの演奏を……ってね」
 騎士に笑って返す早苗。二人はもう一度しっかりと手を握り直した。
 前者の演奏が終わり拍手が沸き上がる。緊張を落ち着かせようと目をつむり胸に手を当てる早苗。そんな早苗の唇に生暖かい感触が伝わる。
 慌てて目を開けると、騎士がいたずらに笑っていた。突然のキス、しかも本番寸前の舞台裏。
 でもそんな騎士の笑顔につられ早苗の顔に笑顔が戻る。
 ステージに上がると、來未、カンナ、もね、志津、木下に沼田。その他に見覚えのある顔がたくさん見えた。
「これは俺と早苗がまだ小学生の時の約束でできた曲です。結局色々あって、つい最近やっと完成した曲です。俺たちにとってとっても大切な思いれのはいった曲です。ぜひ、聞いてって下さい」
 騎士がそう言い終えると、アコギを抱え早苗が寄り添うように隣に立つ。
 二人がアイコンタクトを取ると曲が始まった。
 高校二年生の時、カラオケで初めて早苗の歌声を聞いた來未は、当時の事を思い出しながら二人の曲に聴き入った。
























 二人で婚姻届けを見つめ、書いていく。
「苗字どうする?」
 そんな騎士の問いかけに早苗は苦笑いしながら答える。
「こっちの親はちょっとあれだから、騎士の方がいいかな」
「早苗がそれでいいなら俺は全然大丈夫だぜ」
「ありがとう」
「おう!じゃあ改めてよろしくな、五十嵐早苗」
「こちらこそ、五十嵐騎士」
婚姻届けを提出し新しい家を建て結婚生活を送る早苗と騎士。結婚式では皆に盛大に祝われた。結婚式ではカンナからのサプライズ映像が送られ驚いた。それから名前がいつの間にか雫カンナから里見カンナになっていて、その日はじめて結婚していたことを知った。そんな沢山の驚きと幸せに包まれて大きな影響を受けた。
結婚式をするという大きな夢をかなえた早苗と騎士だったが、また大きな夢が二人の間に芽生えた。それは子どもを授かること。その準備を整えるために二人は騎士の母を新居に招いて三人で暮らすようになった。



 來未は久しぶりの地元に帰ってきた。
今日から暮らす新築に目を輝かせていると、近所に住んでいる早苗と騎士が盛大に出迎えてくれた。おかげで楽しかったけど、そのせいで引っ越しの作業は全然進んでない。家の中はまだ段ボールまみれでまるで生活感がなかった。
 來未は朝からせわしなく荷物を整理していると、段ボールの奥から夫の声が聞こえてくる。
「この荷物どうするー?」
「あー冷蔵庫の隣の棚にお願い」
「あー分かったー」
 そんな返事を返してくる夫は荷物をしまいに來未の後ろを通っていく。來未は肩を回しながら一呼吸おいてから、また腕を動かそうとするといつの間にか後ろにいた夫が優しく抱きしめる。
「安静にしてなきゃ、休んでていいよ」
「でも……あ、今蹴った」
 大きくなった來未のお腹に宿るもう一つの命。來未は優しくお腹に手に当てると、夫の手も同時に優しく添えられる。
「ほら、この子も怒ってるぞ。ちゃんと休め―って」
 ちょっと意地悪っぽく言う夫に來未は笑いながらお腹に優しく声をかける。
「何言ってるのよ、それに名前は決めたでしょー、ねぇー」
「ああ、そうだったね。ごめんごめん」
 両手を合わせて謝る夫に來未は意地悪に笑ってお腹の中にいる赤ちゃんに優しく話しかけた。
「だって。許してあげて―、咲葵ちゃん」



※『気づいて欲しかった』へ続く

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