第34話 蘇る過去

文字数 4,824文字

 あれから半年が過ぎた。大学生活には慣れ今日もサークルの軽音同好会に向かっている、來未と一緒に。
「ねぇ、なんで心理選んだの?」
「面白そうだから」
「まあ、そんなもんよねー」
 サークルに着くと來未はギターの練習を始める。
 早苗は男子の先輩たちとたわいのない会話をした。どうしてもボーカルは個人レッスンになりがちでサークルに来てもほとんど会話。
 來未も同様会話にばかり参加して全然上達していない。ただ、たまに騎士が來未にギターの弾き方を教えてくれているらしい。
 早苗の知りたい曲のメロディーは先輩たちも聞いたことないらしかった。
 ならなぜこのメロディーを知っているのか、聞き覚えがあるのか早苗には不思議でたまらなかった。
 大学生になって、クラスというものが無くなったおかげで、場の空気という形が極端に減った。
 会う人合わない人とはっきり分かれる。そして、その人はこういうキャラだというのもなくなった。
 関わる機会が減って分からなくなっただけかもしれないけど、結果は同じ。
 自分がどんな態度を取ればいいのか、どのポジションにいればいいのか、普通とは何なのかが以前よりもあやふやになっている気がした。
 そのせいであまり授業に集中できない。そんな自分の今の状況が普通かどうか、それすらも判断できなかった。
 自分が何者か分からなっていくような、そんな感覚が早苗を常に襲った。
 答えが分かっていた高校とは違いまるっきり分からない。

 二年生を迎えた時にはあまり部活にも顔を出さなくなり、來未に対してもそっけない態度しか取れなくなっていく。
 部活の先輩には來未と付き合ってないのか好きじゃないのか、と來未に関して聞かれる。それが疲れた。
 自分自身が何者か分からない中で、來未が自分にとってどうなのかなんて考えてる暇がない。
 大学生になって始めたバイトもある、授業もある。そのたびに普通とは何なのか考えさせられる。
 そんな精神状態で早苗の心を心理の授業が揺さぶりをかける。
 そもそも何で僕は心理の授業に興味を持ったのだろうか。そもそも普通とは何なのだろうか。なぜこんなにも普通にこだわっているのだろうか。普通じゃない奴になぜあんなに嫌悪感を感じるのだろうか。
 バイト中にもそんなことを考えてしまう。少し暇な時間ができればそんなことを。
 ああやっぱり疲れてるのかもしれない。
 軽音同好会は行かないまま後期を迎える。
 幼馴染のはずの來未ともどう接していいか分からなくなり、距離を取るようになった。授業に集中できないまま時間は過ぎテスト期間のバイト中、遂に体に限界が来た。
 唐突に腕の関節に電気が走り、持っていた皿を落とした。
 ぼーっとする感覚の中、その割れた食器を拾おうとした時、強烈な眩暈に襲われ、方向感覚を完全に見失う。自分が今どこを向いているのかどんな姿勢でいるのか、まったくもって分からない。
 一切頭が回らない状況の中、次に強烈な吐き気が体を襲った。
 朦朧とした意識の中、他の従業員に助けられながら、準備室に運ばれる。椅子に座りテーブルでぐったりとうなだれながら強烈な腹痛と吐き気にただ耐えた。尋常じゃない汗が体中から湧き出る。
 暫くして落ち着いてバイトから帰った早苗は改めて今日の出来事に罪悪感を感じた。お金をもらって仕事をしに来ているにもかかわらず皆に迷惑をかけてしまった。
 それ以前から仕事に集中できていないことが多くミスも多かった。
 そして、僕はバイトを辞めた。
 仕事を、バイトすらまともにできない僕はいったいどこに生きてていい理由があるのだろうか。生きてく力があるのだろうか。

 それから月日が過ぎ後期の試験の結果が返ってくる。身が入ってないせいか、ほとんどの科目の単位をおとしてしまった。
 その結果に父親が怒る。怒鳴る。自由にさせた結果がこれか!母親が嘆く。普通になって、まともな大人になって。
 僕自身も僕を責め立てる。ああ、もうむりだ、耐えられない。そもそも何のために生きえる。
 再試後の帰り道ぼーっと歩いている途中、橋の真ん中でふと足が止まった。
 ここから飛びおりれば死ねるだろうか。
 そんな思いから橋の下をぼーっと見つめ、少し身を乗り出してみる。そのまましばらくの間ぼーっと下に流れる川を見つめた。
 どれくらい時間がたったのだろうか、分からない。
 その時、聞きなれた叫び声が早苗の耳元に届いた。
「早苗‼」
 ひどく動揺した様子で來未が駆け寄ってくる。
「何してるの?」
 取り乱した様子の來未に早苗は小さく答える。
「別に」
「そんなことない!サークルには全く顔出さなくなったし、私とも距離置くようになったし。それを望んでると思ったから離れたの、ねえ聞かせてよ!何かあるんじゃないの?辛いんじゃないの?」
「辛い?」
「そうだよ!今の早苗普通じゃないよ!」
 勢いで言ったのか來未がハッと我に返りすぐに自分の口を両手で覆い隠す。
「帰る」
 早苗は静かに言い捨てその場から離れる。
「ごめんなさい!ち、違うの!そういう意味じゃないの!」
 そんな來未の声が聞こえるが早苗は一切答えなかった。違う……答えたくなかった。
 ただしいい。今の僕はどっからどう見ても普通じゃなかった。違う、違う、違う、違う。始めから普通じゃなかったんだ!
 早歩きで歩く足は次第に駆け足となる。
 家に着くなり部屋にこもった早苗は毛布にくるまって震える体を温める。
 それでも体の震えが収まることはない、なぜなら、寒さから来ている震えではないからだ。
 思い出した、思い出した、思い出した!すべて思い出した‼
 気持ち悪い吐き気がする本当の自分。自分自身の正体。考えたくない、嘘だと信じたい矛盾が体を震わせる。



 僕は小さい頃やんちゃで落ち着きがなかった。それに記憶力が悪く頭もよくなかった。忘れ物もひどかった。空気の読めない行動、周りの子と比べて行動すべてが幼さなかった僕はよく注意された。どこへ遊びに行くも怒られた。でも僕はどうすればいいか分からなかった。何が正解か分からなかった。
 そんな僕にお母さんはいつも決まってこういった。「普通になりなさい」周りの落ち着きのない子供を指さしてはこういった「ああはなりたくないでしょ、ほら周りの目を見て。普通になりなさい」僕は普通になればならないのだと理解して必死に普通を目指した。
 そんな時に転勤族だった僕にはじめての友達ができた。
 それは騎士と來未。毎日のように遊んだ。でも転勤族だった僕は二人と別れ他の学校に行く。
 いろいろな学校で僕は普通を学んだ。そして普通じゃないやつは皆から制裁を受け、いじめられるということを学んだ。
 母親の言う通りで『普通』であることがとても大切であることを学んだ。
 でも、記憶力の悪さ、頭の悪さはどう直せばいいのかわからなかった。勉強が出来なかったから僕は勉強が大嫌いだった。
 こんな僕を許してくれるはずもなく、僕に勉強させる。僕は決まって、勉強を始めようとすれば嫌だとギャン泣きして暴れた。でもそんなことで逃れられるはずもなく、父親が僕の隣に着き無理やり勉強させる。
 僕は泣きながら勉強をした、体中が痒くなっても勉強しないことを許してくれない。腕をつねり体をひっかきながら勉強した。血が出るまでひたすらに胸を搔きむしる。体中に走るムズムズから意識を逸らすために、片方のペンを太ももに突き刺す。痛みという痛覚がほんの一瞬でも体に走るムズムズを消してくれたから。
 そんなことをしながら塾に通わされていた僕は小学一年生の時からこんな勉強をしていた。
 だからこそ、騎士と來未と遊ぶ時間が心から楽しかった。
 父親が仕事の時は母親が僕に勉強をさせる。暴れる僕を無理やりに勉強させる。泣きながら勉強する僕が少しでもさぼれば、一メートル物差しをテーブルにたたきつける。大きな音で僕を脅す。それでも聞かなければそれで背中を叩く。
 でも僕はその痛みが嫌じゃなかった。勉強する時に走るムズムズを痛みが消してくれるから。
 ある日、ストレスから体を掻きむしり、体にペンを突き刺し、爪を噛み切る僕の口にお父さんがタオルを巻く。
 そうすれば勉強中に大きな声を上げずに済む、体にペンを刺さなくても、体を掻きむしらなくても、口に巻かれたタオルを噛めばいいと。僕は叫び散らしながら、顎がどんなに痛くなっても必死に噛み続けた。
 そんなことをしても常に勉強を見れるわけじゃない。そんな僕に勉強をさせるため。親は規制していった。
 遊ぶ道具を禁止、おもちゃを禁止、ゲームを禁止、漫画を禁止、テレビを禁止。そして、最終的に外で遊ぶのも禁止された。もう勉強以外することがない。
 それでも、僕は勉強をしなかった。勉強が嫌いだった。
 結果、転校して騎士と早苗と離れてから学校の友達と学校以外で遊ぶ事はなかった。いや違う、遊ぶことができなかった。
 そんな勉強ができない、言う事を聞かない僕に両親はいつも手を焼いていた。それを僕はひしひしと肌で感じていた。
 風邪を引けば母親に愚痴を言われ続ける。何で言う事を聞かないの、ちゃんとしてれば風邪をひかなかったのに、あんたのせいで、そう言って僕に見えるようにあからさまに大きなため息をつく。
 夜になれば決まって母親が自分を責める。どうしてこんな子が生まれてしまったのか、どうしてこんな子に育ってしまったのか、私たちの教育の何が悪かったのか、もうやり直せないのか、なんてひどいことをしてしまったのか。
 こんな話を小学一年生の時から僕は聞いていた。誕生日が祝われないこともあるけどそれは納得だ。精神年齢が見合ってないと言われた。言い返す理由などない、そもそも誕生日に好きなものなど貰ったことなかった僕は、イベントごとという意味で楽しんでいたがそれ以来期待するのを辞めた。それは小学校三年生の時だ。
 それからも何度も同じことで怒られた僕は自分を深く呪った。何度失敗するのか、何度同じミスをするのか、何度怒られればいいのか、それ以上に、何度親を悲しませれば気が済むんだと自分を呪った。
 両親が僕を怒った後に落ち込んでいる姿を見るのが正直一番胸に刺さった。父親にも何度も親を悲しませるな、普通になれと言われた。
 これ以上親を悲しませたくない僕は何度も自殺を図った、小学生の僕が思いつく方法は稚拙な物ばかり、それでもなんども試した。そのたびに死にきれない自分を心の底から恨んだ。
 これが來未に声を掛けられる前に水が溢れるように思い出した記憶。
 そして、來未に普通ではないと言われ、心に隠していた、気づかないようにしていた本当の気持ちが蘇る。
 高校生になった僕は懐かしの場所に帰ってきた。
 そこで、久しぶりの騎士と再会した、騎士はまるで別人のようになっていた。
 髪を伸ばした長髪の騎士の見た目が存在が、普通からあまりにも逸脱していて気持ち悪かった。
 でも今ならわかる騎士が何でその髪型にしたのか、小さい頃のアニメがきっかけだ。それにあの聞き覚えのあるメロディーも思い出した。
 騎士と昔約束した僕たち二人のオリジナル。完成したわけでもなく途中まで考えた後、引っ越しで離ればなれになってしまった。
 今思えば何で騎士がアコギを弾いている時に思い出せなかったのかと思ってしまう。
 ただ心に、体に染みついた騎士への嫌悪感が消えない。いや、違う。まだ本当の自分に嘘をついている。
 しかしそれ以上を考えることができなかった。身がぶるぶると震え、体の中を虫がはうような感覚に襲われる。
 我慢できなくなった早苗は咄嗟に家を飛び出した。過去から、現実から、自分自身から逃げるように目的もなく走る。息が切れ足が棒のようになる。それでも走るのを辞めない。口に広がる血の味が自分の中死を予感させる。
 認めたくない矛盾した自分の気持ちから解放されるような気がして走ることを辞めなかった。

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