◆第十二話 欠けた心の人間たち

文字数 3,753文字

 大学の近くにあるアパートの一室に入った。壁には、エクリプス・メイトという社名が大きく書いてある。部屋の中央にはテーブルがあり、二人がノートパソコンに向かっていた。
「レオ。こっちの優男がクレイグ・ホーガン。地味な女がアン・スーだ」
 BBは椅子を出して、レオナルドを座らせた。クレイグが立ち上がり、微笑を浮かべて手を差し出してきた。
「僕はクレイグ、この会社の代表をしている。歓迎するよ」
 レオナルドは、クレイグの手を握る。アン・スーは、自分の席に座ったまま、恥ずかしそうに頭をちょこんと下げた。レオナルドは二人の姿を観察する。クレイグは白人の優男で、高そうなスーツを着ている。物腰が穏やかで女性受けがよさそうだ。アン・スーは中国系で、小柄で華奢な体をしている。丸眼鏡でおかっぱ頭。流行から外れた地味な服装をしていた。
「こいつらのことを紹介するぜ。俺は説明が得意なんだよ」
 BBは尊大な態度で語り始める。
「クレイグはこの会社で、経営と営業と資金調達を担当している。父親は金融マンで、母親は雑誌の編集長。兄は投資家をしている。天然の人たらしで語学に強い。いつも複数の女性と交際している貞操観念のない奴だが、交渉能力は神がかりだ。甘いマスクに、感情に訴える声。その神通力は、女だけでなく男にも通じる。資産家といつの間にか親密な関係になるのが、こいつの得意技だ。どこにでも潜り込んで契約を取ってくる油断のならない人間だ」
 褒めているのか貶しているのか分からない。クレイグは余裕の笑みを浮かべている。
「次は、アン・スーについて話すぜ」
 自分の名前を聞いて、アン・スーは緊張した面持ちを見せる。
「こいつは、官僚の父に弁護士の母を持ち、華僑財閥に繋がりがあり、実家は金持ちだ。こいつの特技は数学だ。また、パズルの愛好家でもある。いつもパズル雑誌を持ち歩き、暇があれば解いている。難しい問題を求めて、大学に数学を学びに来た。
 彼女はプログラムも書ける。ただ、コーディングよりも、アルゴリズムの設計の方に能力を発揮する。ボトルネックになる低速な処理を、アルゴリズム自体を改良することで劇的に高速化するのが、こいつの得意技だ」
 アン・スーは、恥ずかしそうに頭を下げる。
「さて、俺のことも話しておかないといけねえな」
 BBは、どこからともなくスナック菓子の袋を取り出して、口にお菓子を放り込む。
「俺は、カンザスの片田舎の出身だ。両親は農業をやっている。俺は子供の頃から、ハッカーまがいのことをやっていた。腕はまあ、信用していいぜ。その界隈では、それなりの有名人だ。
 ハイスクール時代の俺は、能力の高さと『オズの魔法使い』の舞台に住んでいることから、『OZ』と呼ばれていた。だがな、世界は残酷だ。ハッカーの大会で、肥満した体を見せたあとは、誰もその名前で呼ばなくなった。
 そんな俺には、もう一つの顔がある。それは知識を貪欲に吸収する、博覧強記の男という顔だ。俺はスナック菓子だけでなく、あらゆるジャンルの情報を取り込んでいる。科学からオカルトまで、なんでもござれだ」
 説明が終わった。レオナルドは、BB、クレイグ、アン・スーの顔を順に見る。そして疑問を口にした。
「僕は、どうして呼ばれたの?」
「BB説明してあげなよ」
 クレイグが柔和な口調で言う。
「一番目の理由は、プログラミングの能力があるからだ。おまえはハイスクール時代までに、数々のコンテストで入賞している。学内でも、その能力は上位に属している。
 二番目の理由は、おまえが孤立していたからだ。クレイグに頼まれて、候補者のリストを作った時点では、候補は他にも何人かいた。それらの相手を、俺はこっそりと監視した。気づいていたか?」
 レオナルドは首を横に振る。
「そうしたらな、アン・スーとレオが完全に孤立していた。大学に入り、希望に溢れている時期のはずなのに、浮かない顔をしていた。だから一緒に仕事ができると思ったんだよ」
「どういうこと?」
 どこが理由なのか、さっぱり分からない。BBとクレイグは視線を交わす。そして、分かっている者だけで通じ合う、笑みを浮かべた。
「学食でも言ったが、俺は元引きこもりだ。そして、このクレイグは、複雑な性格をしている」
 クレイグはうなずき、爽やかな笑顔で話を引き継ぐ。
「僕はどうしようもないクズでね。優秀で人格者の兄が嫌いなんだよ。屈託がなく、誰からも慕われるような人間を見ると、足をかけて転ばしたくなるんだ。そういう性格をしているから、この学校に多くいる、純粋培養みたいな優等生たちとは反りが合わないんだ。だから、嫌われ者のBBを見つけて声をかけたんだ。一緒にビジネスをやろうってね。
 戦争と恋愛を除けば、ビジネスが、最も愛憎が露呈する人間の営みだと思っている。素晴らしいじゃないか、人の感情が渦巻くってのは。その旅の船に乗る仲間は、挫折を味わい、苦悩を経験している相手がいい。挫折も苦悩もないような奴は糞だからね。
 そういう意図を伝えたところ、BBが選んだのが、アン・スーとレオ、きみたち二人だったわけだ」
 レオナルドは、なんと答えてよいのか迷った。椅子の上にちょこんと座り、始終居心地悪そうにしているアン・スーの気持ちが、少し分かった気がした。彼女はおそらく、他人との距離感を図れないまま、孤立し続ける人生を歩んできたのだろう。そのせいで、彼ら二人に捕まり、事務所に連れてこられたのだ。
「一緒にビジネスをやろう」
 クレイグが、極上の笑みと甘い声で言う。しかし、今の話を聞いたあとでは、素直にイエスとは言えない。この話は断ろう。そう思い、口を開こうとしたらBBが声をかけてきた。
「おまえは、才能溢れる悩みのない人間と、一緒に笑い合えるのか? なんの屈託もなく人生を歩んでいる奴と、肩を組めるのか?」
 言葉が胸をえぐる。そして、この会社の名前の意味が分かった気がした。エクリプス・メイト。エクリプスは日食や月食、メイトは仲間を意味する。クレイグがBBを通して集めたのは、自分と同じように、欠けた心を持つ人間たちなのだ。
 その日、レオナルドは会議に加わった。どんなプロダクトを作るか話し合った。会議は二時間続いた。翌日も訪れて三時間滞在した。
 一週間、そうした日々が続いたあと、レオナルドは、一つのソフトウェアを作ることを提案した。コードエクスチェンジ。複数のプログラミング言語の翻訳をおこなうシステム。数十年前に書かれた古いプログラムを、最新の言語に移植する需要は常にある。BBとアン・スーは賛成した。クレイグは、販売は任せてくれと微笑んだ。
 半年後、コードエクスチェンジは、企業向けのサービスとして世に出る。クレイグは、金融系を中心に古いプログラムを使っている会社を回り、契約を取っていった。彼は、投資家の兄の伝手を利用して、ベンチャーキャピタルから資金を得た。全ては順調に進んでいた。しかし、リリースから数ヶ月後、七月の蒸し暑い日に、予想外の事態が起きた。

 その日、オフィスに集まったレオナルドたちは険しい顔をしていた。昨日ネットで発表されたサービスが、彼らの製品を破壊するものだったからだ。
 検索大手の会社が投入した、プログラミング言語翻訳サービス。価格設定は、コードエクスチェンジの十分の一。対応しているプログラミング言語は倍以上。その会社は、自身が持つ膨大な計算資源を使い、レオナルドたちのサービスの百分の一以下の時間で、翻訳を完了するという。
 一晩でコードエクスチェンジは価値を失った。新規顧客を獲得することは今後困難になる。レオナルドたちの製品は死んだのだ。一年近くの苦労は、完全に水泡に帰した。
「まいったな」
 いつもは強気のBBが、力を失った声を出す。
「完全な上位互換ね」
 アン・スーが小さな声でつぶやく。
 レオナルドは、なにも言えなかった。自分が発案した製品に、全ての面で上回るものが現れるとは思っていなかった。自分にとっての兄たちのような存在が、逃げてきた先で登場した。
 クレイグが部屋の面々を見渡す。
「新規の顧客獲得はいったん停止しよう。そして、みんなで休暇を取ろう。夏休みという奴だ。全員、それぞれの故郷に帰り、羽を伸ばすんだ。
 よくよく考えてみれば、僕たちは働きすぎていた。神さまが休めと言っているんだ。なかなか心憎い神さまじゃないか。このプレゼントを喜んで受け取ろう」
 満面の笑みでクレイグが言う。顧客獲得に、どれほどクレイグが動き回っていたのか、レオナルドは知っている。それにクレイグが、兄の伝手で入手した資金も回収不能になる。嫌いだと言った兄に、頭を下げてまで掻き集めた金だ。レオナルドたちは、クレイグの提案に素直に従うことにした。
 二週間ほどかけて、休暇のために仕事の整理をした。そして荷物をまとめて、大学近くのアパートを出発した。レオナルドは、両親の待つ実家を避け、父方の祖父母が住むリベーラ島を目指した。自分が何者かの劣化版であることを意識しないで済む場所。心の安寧を求めて、遥か遠くの島にやって来た。
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