◆第七話 迫害されし先住民の男

文字数 4,027文字

 地面から伸びた密林が、夏の雲のように頭上を覆っている。木々の影の中、汗を流して作業をしている。
 薬草を入れたかごを脇に置き、動物の毛で作ったブラシで石像の表面をこすっている。こびりついた汚れや苔を落とす。溝に詰まった土や泥も取り除く。テオートルは大きく息を吐き、額の汗を拭った。自分が掃除した石像を見下ろして満足げにうなずいた。
 入植者たちの動向を探るために、薬草売りとして町に通っている。週に一度ほどの訪問は、少年の頃から続いている。そのたびに、陰に陽に差別を受けてきた。
 子供時代は、同じ年頃の子供たちによく石を投げられた。石を投げ返したら、怪我をした子供の親から、動けなくなるまで殴られた。道を歩いているときに、侮蔑の視線を向けられるのは、いつものことだ。若い女に売り物を奪われて、ドブに捨てられたこともある。老人に支払いを渋られ水をかけられたこともあった。
 大人になり頑健な体になってからは、そうしたあからさまな嫌がらせは減った。その代わり、警察に通報されることが増えた。警察官はテオートルを悪だと決めつけ、何度も牢にぶち込んだ。切っ掛けはいつも入植者の方なのに、彼が先に手を出したと見なされた。
 自分は先住民の血を引いている。入植者たちは、先住民を見下すことで、大虐殺の事実を正当化しようとする。また、その混血を蔑むことで、自分たちとのあいだに血の境界線を引こうとする。先住民の女性の中には、集落からさらわれて入植者の妻や愛人になった者も多い。彼女たちから生まれた混血児は特に差別を受けた。テオートルもそうした一人だと思われている。しかし彼は違う。純粋な先住民だ。血は交わっていても精神は交わっていない。テオートルは石像をながめながら、集落の老人たちに聞いた大虐殺の日の様子を思い出す。
「テオートルよ。あの大虐殺の頃、おまえはまだ生まれていなかった。だから、仲間たちがなすすべもなく、次々と死んでいく現場に立ち会っていない。しかし、おまえの両親や、私たちから聞いた話で、そのときの様子を体験したも同然になっているだろう。
 あの日、銃を持った男たちが集落に踏み込んできた。最初集落の者たちは、いつものように退去を求めに来たのだろうと思った。そこで賢者の一人が、断るために近づいた。言い争いが続いたあと、入植者の一人が銃口を向けて引き金を引いた。賢者は轟音とともに命を失った。
 殺人の様子を目撃した集落の人間が悲鳴を上げた。その声を合図に虐殺が始まった。銃声が次々と響き、硝煙のにおいと煙が立ち込めた。胸に赤い花が咲いた女が倒れ、頭が果物のように割れた子供が転がった。また、叩き折られた枯れ木のように老人が地面に伏した。まるで巣穴から出てきたアリを一匹ずつ靴の底で潰すように、奴らは家から出てきた者を一人ずつ殺していった。
 集落の何人かは虐殺が始まったのだと気づき、家の裏口から家族を逃した。英雄は、まだ幼い自分の娘を、盟友である客人に託した。先住民ではない彼であれば、虐殺の対象にならないと判断したからだ。そして自身は槍を手にして戦いを挑んだ。
 英雄とその仲間たちは、入植者たちの命を十数人奪った。しかし、被害者の数は圧倒的に我々の方が多かった。集落は血のにおいで満たされた。その臭気を払うように、奴らは家に火をかけ始めた。銃弾を恐れて、床下に隠れていた者たちが焼き殺された。煙で窒息した者もいる。慌てて飛び出た者は銃弾を浴びせられた。いち早く森に逃れていた者だけが命を長らえた。
 敵が引き上げたあと、生き残った者たちは灰燼に帰した集落に戻ってきた。虐殺前には三つの氏族があり、それぞれに十数の大家族があった。しかし、生き残った者の数は数十人だった。若い男たちの多くは戦い、女たちは虐殺の対象になった。残ったのは子供や老人が中心だった。その頃十歳だった子供は、もう六十歳になっている。この集落は老人ばかりだ。若い人間はテオートル、おまえしかいない」
 老人は唇を震わせていた。あの日のことを思い出すたびに、怒りが全身の血を沸騰させるのだろう。この島は呪術により守られていた。近づく船は、時間の揺らぎにより、いつの間にか通り過ぎていた。しかし、その力は徐々に弱まっていった。そして頻繁に外部から人が訪れるようになり、百年前に大量の入植者がやって来た。楽園は失われてしまったのだ。
 やって来た者たちは、全ての面で島民を上回っていた。武器、道具、知識、組織力。先住民は後退を余儀なくされた。入植者たちはさらなる土地を求めて虐殺の暴挙に出た。
 ――入植者は全員滅びなければならない。
 テオートルは、そう教えられて人生を歩んできた。周囲に植えつけられた憎しみは、自身の経験を通して確信に変わった。そして行動に昇華した。
 テオートルが初めて入植者を殺したのは十二歳のときである。薬草を売りに町に出たとき、学校に通う入植者たちに道で出会った。石畳の道。石を積み上げて作った壁。富豪であるフランシスコの援助で優遇された秀才たち。生まれ持った能力という特権により、輝かしい未来を約束された人間たち。彼らは希望に溢れた顔をしていた。
 過去を見続けている自分とは異なる存在。その無垢な笑顔に嫉妬を覚えた。視界に入らないように歩いていると、貧民街の子供たちの群れに突っ込んでしまった。肩がぶつかり因縁をつけられる。拳を握り、相手の一人を殴り飛ばした。すぐに他の子供から蹴られた。多勢に無勢で石畳の上に転ばされる。
「やめろ」
 学校に通う一団から、一人の少年が出てきた。自分と同じ年頃の少年は、弱い者いじめをするなと言った。彼に追随するように、清潔な服の子供たちが、汚れた服の子供たちを非難する。テオートルを殴った一団は、捨て台詞を吐いて立ち去った。残った者たちは、当然のことをしたと言わんばかりに胸を張り、大丈夫かと尋ねた。
 羞恥と憎悪が沸き起こる。差別よりも耐えがたいものは同情だった。自分を押さえつけ、嘲笑う者には力で反抗すればよい。しかし同情は違う。自分は分かっているという態度。なにも理解していないのに相手に寄り添っていると主張する傲慢さ。そうした連中はタチが悪い。牙を剥いても、かわいそうな人だからという視線が返ってくる。彼らは相手を弱者という枠組みに押し込めて、卑小な存在として憐れもうとする。自分たちが高い位置にいると信じて疑わない。
 いずれ呪術が成就すれば、彼らも等しく命を失う。しかし、それまで待つことはできなかった。憐憫は闘争心を削ぐ。相手を消してしまわなければと考えた。テオートルは何度も町に通い、自分を助けた少年の通学路を突き止める。少年の家は町の中心部から離れており、廃墟のような場所を通らなければならなかった。周囲の目が届かない場所で待ち伏せして、石で勢いよく後頭部を殴る。鈍い音がして、少年は倒れて動かなくなった。
 死体を袋に詰めて町を出る。森の奥深くに歩いて行き、死体を捨てた。石像の近くは時間が揺らいでいる。他の場所よりも速く死体は白骨に変わる。
 テオートルは、殺人が簡単であることに驚いた。きっと入植者たちは大虐殺のときに、なんのためらいもなく銃の引き金を引いたのだろう。彼らがしたことを、自分がしてはならない道理はない。自分の心をかき乱す相手は、死体にして神に捧げればよいのだ。いずれ死ぬ人間ならば、それがいつであろうとも同じだ。そのときからテオートルは、年に数人の頻度で、町の住人を殺して森に捨てるようになった。
 自分が入植者を殺したことを集落で告白したのは、七人の男女を葬ったあとだった。老人たちは、テオートルを英雄だと称えた。母は、王の血が開花したのだと喜んだ。父は、おまえこそが私の仕掛けた呪術を継ぐのに相応しいと告げた。
 テオートルは、自身に高貴な血が流れていると聞かされて育った。町の人々に痛めつけられるたびに、反逆の精神を養ってきた。入植者たちへの反抗。ほんのわずかでも、彼らの意に沿わないことをする。そうした行動の一環として、今日は一人の青年を助けた。しかし聞いてみれば、青年自身も入植者の血を引いていた。
 入植者と先住民――。テオートルは怒りで顔を歪ませる。なぜ自分が、他人より低い立場に甘んじなければならないのか。十年前に死んだ父は、高い学識を備えた聡明な人間だった。昨年亡くなった母は、王の血を引く英雄の娘だった。そうした環境で成長したテオートルは、島で卑賤の者として扱われることに憤った。全てが間違っていると思い、恨みを募らせた。
 石像の前を離れる。森の奥にある次の石像へと出発する。配置は全て頭に入っている。入植者たちは、島に隠された秘密を知らない。この土地が巨大な呪術の装置であることを把握せず、我が物顔で振る舞っている。あと少しで、父が仕掛けた呪術が成就する。島に住む人間が全滅する出来事が起きる。テオートルは、憎悪で歪んだ顔に笑みを浮かべた。
 人は互いに争い、他人を組み敷こうとする。強者は弱者の上に立ち、相手を動かそうとする。弱者は低い位置にい続けないといけないのだろうか。そんなことはない。弱者は強者に否という権利がある。決死の覚悟で反逆する権利を持つ。
 平和に暮らしている者は、いつ刺されてもおかしくないのだ。誰もが、自分は他者にとっての強者である可能性を忘れてはならない。自分は打倒されるべき人間であることを自覚しなければならない。
 呪術が発動したとき、多くの人が思うだろう。なぜ自分は、こんなひどい目に遭うのか。幸福な人生を歩むことは、傲慢な人生を歩むことと等しい。苦しんでいないということは、誰かに苦しみを背負わせているだけなのだ。
「入植者たちよ、苦しみながら果てよ」
 テオートルは、目をぎらつかせながら森の奥に消えていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み