◆第一話 イシキリゼミと島の祭り

文字数 4,418文字

 セミが部屋に飛び込んできた。体長八センチメートルほどの大型のセミ。この島固有のイシキリゼミだ。先住民が呼んでいた名前を、入植者の言葉に置き換えたものらしい。中米の東の海に浮かぶリベーラ島には、先住民はわずかしか残っていない。
 アメリカの大学に通うレオナルド・フェルナンデスは、夏休みを利用して祖父母が住むこの島にやって来た。ノートパソコンの画面を見ていたレオナルドは、セミの羽音を追ってモニターから目を移す。木製の柱に椰子の葉を葺いた壁が目に入る。島の典型的な貧しい家だ。
 壁の前には、同じく椰子の葉で作った棚がある。棚の上には、極彩色の虫のお面がある。そのお面を被って踊るのが、この島に長く続く祭りだ。祭りは、グリーンシーズンと呼ばれる雨季の半ばにおこなわれる。先住民の儀式が入植者のあいだに定着したものらしい。彼らは神やその眷属を、自らの肉体に招いて融合していたという。お面を被った姿は、その様子を模したものらしい。もし本当なら、まるでおとぎ話のような話だ。島外から大量に人が来る前、この島は呪術に溢れた場所だったそうだ。
 祭りの歌声が窓から聞こえてくる。大人たちがどこかの家に集まり、酒を飲んでいるのだろう。レオナルドの祖父は漁師をしている。周囲には漁業で身を立てている者が多い。流れてくる歌には、コンガやボンゴといった打楽器の音が混ざっている。その旋律は、押しては返す波のように空気を震わせている。
 先ほど部屋に入ってきたセミが、けたたましく鳴いた。地上に出たセミの寿命は一ヶ月ほど。彼らが現れるのは繁殖のためだ。無数のセミが飛び回り、交尾をして子孫を残す。島の森にイシキリゼミが溢れるのは八月半ばだそうだ。今はまだ八月頭である。このセミは、少しだけ早く出てきてしまったようだ。
 レオナルドはそっと手を伸ばして、セミの体を押さえる。体はトルコ石に似た水色をしている。その色の不思議さを数日前にブログに書いた。アメリカにいる友人のBBが、「セミはカメムシの仲間だからな」とコメントをくれた。
 セミはジジジと鳴く。レオナルドは一昨日の失敗を思い出す。勢いよくつかんだら、尿をかけられてノートパソコンを壊されそうになった。レオナルドは、セミの尻を遠ざけるように持ち、窓の外へと放り投げた。
「レオ、昼食はガジョ・ピントでいいかい?」
 厨房から声をかけてきた祖母に「いいよ」と大声で答える。島は音に溢れている。虫や鳥や人が、競うように歌っている。波も風も、日に数度降る雨も競演して、島を覆う独特のリズムを作っている。
 レオナルドは、スマートフォンで撮った写真を、ブログにアップした。祖父母の家では無線LANが使える。島民の経済力には大きな格差がある。しかし、貧困層にあたるこの家にも、電気と通信が通っている。一定量までの利用は無料。全ては島の有力者の寄付で成り立っている。その富豪は、中米の孤島まで海底ケーブルを引き、格安のデバイスをばらまいた。おかげで島民は、自由にインターネットに触れることができる。
 ブログに投稿した写真に説明を書き込む。祭りの様子を撮影したものだ。原色で塗られたお面を被った男女が、町の中を練り歩いている。見学者たちが、酒を飲んで浮かれ騒ぐ姿もある。木を削って作ったセミの人形。セミの抜け殻を糸で通して房にしたもの。道沿いの家屋の扉は、死と再生の象徴であるセミで装飾されている。
 レオナルドの写したものは、いずれも異国情緒を感じさせるものだ。大学の友人たちは、こうした写真を喜んでくれる。一週間前に祖父母の家に来てから、写真を交えたブログを書くのが、レオナルドの日課になっている。
 ブログの更新作業を終えたあと、メールをチェックした。届いているのは、大学のベンチャー仲間からのものが多い。社長で女たらしのクレイグ。無口で数学とパズルが大好きなアン・スー。性悪で博覧強記のハッカーBB。レオナルド同様、彼らはそれぞれ故郷に戻り、休暇を過ごしている。破綻したビジネスから離れ、これからどうするか考えている。
 友人たちからのメールに目を通したあと、見慣れぬ送信者からのものを開いた。差出人はMRLとなっている。件名は『アルバイトについて』だ。
 レオナルドは本文を確認する。MRLはメンデス・ロボット・ラボラトリの略らしい。会社の代表メールアドレスからの送信。末尾の署名にはギレルモ・メンデスという名前がある。肩書きはCEO――最高経営責任者。所在地はリベーラ島東部の工業地帯だ。
 文章を目で追う。ブログを読んだこと、プロフィールを見たこと、プログラミングの仕事を頼みたいことが、簡潔な文体で記してある。レオナルドは、自分がブログに掲載しているプロフィールを頭に浮かべた。
 アメリカのマサチューセッツ州の大学に通い、情報工学を学んでいる。過去に何度かプログラミングコンテストで賞を取っている。大学の友人四人でベンチャービジネスをしている。会社の名前はエクリプス・メイト。コードエクスチェンジというサービスで、複数のベンチャーキャピタルから出資を受けた。そうした経歴が、依頼者の興味を引いたのだろう。
 MRLのアンテナに引っかかったのは、島に滞在しているというブログを書いたためだと推測できた。特定のキーワードを検索対象にして、毎日情報を送信してくれるネットのサービスはレオナルドも利用している。
 仕事は数日の短期的なもののようだ。レオナルドはブラウザを開き、メンデス・ロボット・ラボラトリという単語を検索する。ロボット系のベンチャー企業だ。返信すべきか考える。
 島で数日暮らし、その情報化に興味を持っている。島は貧困と先端技術が融合していた。昔ながらの漁業を続ける人々がいる一方、ちょっとした工業地帯があり、精密工業や情報産業に属する会社がある。島の開発は、富豪のフランシスコ・イバーラの主導でおこなわれている。彼は積極的な企業誘致や人材育成をおこない、数十年かけて島の経済力を上昇させた。MRLは、そのフランシスコ・イバーラが所有する企業の一つだ。
 ――今日の昼、町の広場で会いたい。仕事内容は、テストに通ったら話す。誰にも会社の名前や依頼のことを告げずに来て欲しい。
 文章を読んだあと、腕を組んで考える。外部に明かせない仕事ということか。ロボットの会社だから、ロボットの制御プログラムでも書くのだろうか。しかし、社内の人間を使わず社外の人間を求めているのはなぜか。
 謎の多い依頼だ。普通の仕事ではないのだろう。どういう内容なのか想像がつかない。
 これまでの仕事を忘れる、よい切っ掛けになるかもしれない――。
 今、自分たちのベンチャー企業に降りかかっている悪夢は、簡単に解決できるものではない。なにか新しいアイデアを得られるかもしれない。休暇を無為に過ごすことに飽きていた。接触してみようと決める。
 レオナルドはモニターの時計に目を移す。これから家を出れば十分間に合う。腐っていても仕方がない。レオナルドは、ノートパソコンとスマートフォンを防水パックに入れて鞄に放り込む。いつ降るか分からない大雨で、機械を壊さないためだ。
 鞄を肩にかけ、隣の部屋に移動する。
「あら、外出?」
 祖母が厨房から声をかけてきた。部屋の隅では、真っ黒に日焼けした祖父が新聞を読んでいる。祖父は、この島の貧困層としては珍しく、読み書きができる。
「ちょっと町に行ってくる」
「食事は?」
「分からない。向こうで食べてくるかも」
「オォーッ!」
 大げさな口調で嘆きながら、丸々と太った祖母が部屋に顔を出した。
「レオ――」
 新聞から目を離した祖父が、声をかけてきた。
「なに?」
「デモに出くわしたら急いで逃げろ。最近のは物騒だからな」
「大丈夫だって」
「いいか、逃げるんだぞ。おまえは日焼けをしていない」
 祖父は新聞を机に置き、鋭い視線をレオナルドに向ける。貧困層には見えないという意味だ。島外から来た金持ち、あるいは格差の上位にいる人間と思われる。そうした警告だ。
 レオナルドは、祖父に何度か聞いた話を思い出す。百年ほど前に入植が始まったこの島では、五十年前に暴動が起きて、先住民のほとんどが殺された。その光景を目の当たりにした祖父は、一つの決心をした。子供たち全員を島から出す。閉ざされた土地で貧困が続けば、それは暴力になって爆発する。いずれ同じことが入植者のあいだで起きると、祖父は考えた。
 そして子供たちに勉強をさせ、三人の子供全てを島外に進学させ就職させた。おかげで現在、レオナルドの父はアメリカにいる。父の兄弟たちも、メキシコやブラジルなどで、それぞれ地位を築いている。
 祖父はその結果に満足していた。しかし祖母は残念がっていた。子供たちがみな故郷を離れたからだ。祖母は子供や孫に頻繁に手紙を送り、遊びに来るようにと説き続けている。だからといって祖父母の仲が悪いわけではない。祖母の手紙は、字の書ける祖父が代筆している。その手紙に誘われて、レオナルドは島にやって来た。
「分かった。ちゃんと逃げるよ」
 レオナルドは肩をすくめる。祖父の聡明さは知っている。祖父が言うなら、本当に危険なのだろう。
「あと、森の奥には入るな」
「危ないの?」
「白骨死体が毎年見つかる」
 まるで未開の地だなと思った。ジャングルに蝶を捕りに入った探検家が、白骨死体で見つかった。大恐慌時代のそうした逸話を思い出す。
「まあ、気をつけるよ」
 レオナルドは玄関から外に出た。目の前は開けており、足元は崖になっている。その先には瑠璃色の海と紺碧の空が広がっている。板橋を渡り、家々の前を通った。祖父母の家と同じ粗末な作りだ。村を出ると、地面がむき出しの道が始まった。
 道の両脇の草は、溢れるように迫り出している。頭上を覆う木々は、両手を伸ばすように、枝を空へと突き上げている。足元には、ぬかるみや水たまりが無数にあった。毎日大量の雨が降り、短時間で晴れる。この島の雨季の日常風景だ。
 レオナルドは、水たまりを避けながら歩く。道の脇に石像が見えた。先住民たちの遺物の一つ。ずんぐりとした楕円形で、虫の紋様が彫ってある。その表面は、誰かが磨いているように美しかった。レオナルドはその石像を、島に着いた初日に写真に撮り、ブログにアップした。石像といい祭りといい、この島は呪術的色彩に溢れている。この島が長らく人目に触れなかったのは、先住民の呪術のせいだとも言われている。レオナルドは、古代文明に思いを馳せながら、石像の前を通った。
 レオナルドは周囲の景色をながめながら、町への道をたどる。口外禁止の謎の仕事。ロボット会社からの秘密の依頼。いったいどんな内容なのかと、レオナルドは考えた。
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