◆第十四話 紛争地帯の古生物学者

文字数 3,536文字

 その日の夕食が終わったあと、工房のオフィススペースで、レオナルドはアルベルトに声をかけた。日々外出しているアルベルトに、外部との連絡を頼もうと考えたからだ。
「うーん、難しいね。外に出ていると言っても、実際は兵士同伴だしね」
「そうだったんですか」
 機材の輸送や操作で人手がいるため、数人のチームで出かけているそうだ。目論見が外れ、レオナルドは落胆する。
「それよりも、きみはこの仕事をどう思っているんだい?」
 アルベルトは目を輝かせて尋ねてきた。
「仕事自体は面白いと思いますよ。でも」
「軟禁されていることが問題かい?」
「ええ。いつ解放されるか分かりませんし。今は休暇中ですが、夏が終わる前に大学に戻り、ベンチャー企業の仲間たちと合流したいですから」
「ベンチャー企業か。どんな仕事をしているんだい?」
 レオナルドは言い淀む。一年近くかけて開発したプロダクトは、圧倒的な競合の登場により破綻した。説明するのは心の痛みを伴う。
「守秘義務があるのかい?」
 アルベルトは、机に置いたワイングラスに手を伸ばす。今日の仕事を終え、ワインを飲み始めている。レオナルドは大きく息を吐いたあと、口を開いた。
「そういうわけではありません。僕たちがやっていたのは、コードエクスチェンジというプログラミング言語の翻訳サービスです。英語をスペイン語に翻訳するように、プログラミング言語を自動翻訳するシステムを開発して、提供していました」
 アルベルトは興味を示した。レオナルドは、自分が関わっていた仕事について語る。
「たとえば銀行などの金融系システムが、古い言語で開発されているとします。そうしたシステムを新しい環境に置き換えるには、一から作るのと同じだけ、あるいはそれ以上の時間がかかります。だからといって放置していれば、メンテナンスの費用は徐々に上がります。当時の環境を再現したり開発者を確保したりするのが困難になっていきますから。
 ロボットの制御やお金の計算など、古くからコンピュータが動いていた分野ほど、こうした問題を抱えています。そして見えないコストが詰み上がっています。
 コードエクスチェンジは、そうした古い資産を、最新のプログラムに自動で置き換えます。主にBtoBを想定したビジネスです。投資家たちも、潜在需要は計り知れないと考えていました」
「なるほど」
 ワイングラスを傾けながら、アルベルトはレオナルドの話を聞く。
「ところでレオくん。きみが過去形で語るのが気になったんだけど、なにかあったのかい?」
 言い淀んだあと、言葉を返す。
「大手が参入してきたんです。それも圧倒的な低コストと高性能で。そして僕たちの市場は破壊されました」
「破壊的イノベーションという奴だね」
 レオナルドは力なくうなずいた。
「自分の完全な上位互換が存在する。そういうとき、どうすればいいんですかね」
 会って間もない相手に、自分が抱えている悩みを打ち明ける。
「僕は逃げて後悔したな」
 アルベルトの答えに視線を向ける。アルベルトは、グラスを口に運んだあと笑顔を見せた。
「僕にはね、兄がいたんだ。子供の頃、一緒に恐竜の化石を見て、語り合っていた。兄は古生物学者を目指した。兄は優秀な人間でね、同じ道に行けば比べられると思ったから、僕は生物学を選んだ。僕は兄から逃げたんだよ」
 レオナルドは驚く。目の前の男は、自分と同じ悩みを抱えていたのか。
「それで、アルベルトさんのお兄さんは?」
「十年以上前に、アフリカで調査をしているときに殺された。エチオピアのアファール低地で発掘をしていたんだ。あの辺りはエリトリアと接していてね。エリトリアは、エチオピアから独立した国だから、恒常的に国境問題を抱えている。その小競り合いに巻き込まれた少女を助けるために飛び出したんだ。
 なぜそんなことをしたのかと思ったよ。自分と無関係な人間など放っておいて、自分の身を守ればよかったのにと考えた。兄の取った行動を受け入れるまでには時間がかかった。そして最終的に納得した。その場にいたら、僕も同じ行動を取ったはずだからね。兄弟なんだ。そういう性分なんだよ」
 アルベルトは遠い目をする。兄のことを思い出しているのだろう。
「僕は、兄の道の続きを歩もうと決心した。新たに地質学の学位を取り、古生物学の道に入った。回り道をしたんだね。ようやく本来の道に戻ってきたと思ったよ。
 古生物学の世界で、僕はいくらか成果を上げた。名前もある程度売れてきた。そして調査のために、この島の近くに来て、拉致されたというわけだ」
 苦笑しながらアルベルトは肩をすくめる。
「お兄さんの続きではなく、自分の道を歩む人生もあったんじゃないですか?」
 兄たちから逃げている自分が否定された気がした。アルベルトの人生が正しいとすれば、自分の行動は間違っていたということになる。
「それも一つの選択だと思うよ。ただ僕は、兄がいるという理由で逃げた。まっすぐ戦って敗れたのなら、胸を張って違う道を歩めたと思う」
 レオナルドは沈黙する。自分は兄と正面から争ったことはない。しかし、競い合ったとして、敗北で得るものはあるのだろうか。今回のベンチャーの件では、時間と金を浪費した。敗北を糧にできないのなら、無駄な戦いは避けるべきではないか。
「リベーラ島には、なぜ来たんだい?」
 悩むレオナルドに、助け船を出すようにアルベルトが言った。
「祖父母がいるんですよ。夏休みの休暇です。もっと言うなら、仕事が頓挫して気分転換をしたかったんですよ」
 よく分かるよといった顔をアルベルトはする。
「洞窟探査の仕事は、面白いと思ったんだろう?」
「ええ、正直なところ、ワクワクしています。これまでとは関係ないことに自分の能力で挑む。その挑戦に興奮している自分がいます」
 アルベルトは満面の笑みを見せる。
「その気持ちに、素直に従えばいいんじゃないかな。きみが興味を持つものが、きみの道だ。それに、サクッと仕事を仕上げれば、すぐに解放されるはずだしね」
 アルコールが回ってきたのか、アルベルトは陽気に笑った。
 フランシスコは数週間と言っていたが、実際はそれほどかからないだろう。並のプログラマならば数週間どころか一年ぐらいかかるかもしれない。しかしレオナルドが本気で取り組めば、一週間あれば片がつく可能性が高い。
「実はそれ以外にも、納得のいかないことがあるんですよ。イバーラさんが、呪術という言葉を使っていたことです」
 レオナルドは表情を険しくして尋ねた。
 洞窟を探査すること自体に異論はない。データの収集や分析による問題解決は望むところだ。それはレオナルドがいつも身を置いている科学的思考の世界だ。しかし呪術や悪霊は違う。そうした言葉が出てくることに、レオナルドは疑問を持っている。
「民俗学的問題だね」
「おそらくは。ただ、それだけではない気がするんです。イバーラさんは非常に合理的な人です。だからこそ大きく成功して、島の開発でも成果を上げてきた。なのに、呪術という非科学的な言葉を使っている。あの人にとって科学と呪術は、同じ地平の事象になっている。そうした印象を抱いているんです」
 レオナルドの感想に、アルベルトは肩をすくめる。
「詳細は、直接本人に聞くしかないんじゃないのかな。イバーラ氏は、開発の重要なタイミングで、僕たちの前に顔を出して確認をしているしね」
 ワインを一口飲んだアルベルトは、立ち上がって両手を大きく広げた。
「なあ、レオくん。人生に一番大切なのは出会いだと思う。僕ときみは出会った。そして同じ仕事をすることになった。どうだい、協力してくれないか。イバーラ氏の目的のためでもなく、きみの解放のためでもなく、僕たちの出会いのために力を貸して欲しいんだ」
 アルベルトは、机からグラスを一つ取って、レオナルドのためにワインを注ぐ。
「酒はいける口かい?」
「ええ」
「では乾杯といこうではないか。二人の前に広がる、大いなる楽しみのために」
 レオナルドは苦笑してグラスを取った。そして、年上の同僚――いや友人と言った方が相応しい――のために、自らの力を使おうという気持ちになった。
「仕事が早く片づけば、その分早く解放されるんですよね」
「そういうことだね」
 アルベルトは立ち上がり、レオナルドの前でピエロのように大げさなポーズを取る。
「ようこそバギーラ・プロジェクトに!」
 レオナルドは、アルベルトが差し出したグラスに、自分のグラスを軽く当てた。そして、一気にワインを喉に流し込んだ。
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