◆第二十三話 過去を消す男

文字数 2,347文字

 サントス火山は活火山である。中腹には有毒ガスが噴き出しているところもあり、人も生物も近寄らない土地になっている。テオートルは、数日置きにこの場所を訪れている。聖地を荒らしている者たちがいるからだ。
 テオートルは、少し離れた崖の上から、兵士に守られているテントを見下ろしている。どうすれば彼らを追い払えるか。聖地は、入植者が占拠しなかった数少ない先住民の土地だ。彼らはそこにテントを張り、地面を掘り、爆薬を爆発させている。到底許せることではなかった。
 最初の頃は、槍を投げて立ち去らせようとした。しかし逆効果だった。敵は武装した兵を置き、銃で威嚇してくるようになった。仕方なく、夜に近づき機材を壊した。そのあとは昼夜を問わず見張りがつくようになった。
 地面からは陽炎が立ち上っている。揺らいだ空気の先の人々を見ながら、テオートルは考える。彼らは、フランシスコ・イバーラの手の者たちだろう。これだけの人を雇い、先住民に関心を持っている人物となれば、他に思いつかなかった。できれば目の前の兵士たちを殺して森に捨てたい。しかし相手は武装している。二年前と同じように敵を葬ることができればとテオートルは考えた。
 話は五年前にさかのぼる。入植者が先住民に接触し始めた。森の奥深くの集落に何人かが訪れ、大虐殺の直後のことを聞こうとした。恨みこそあれ、親しみなどない。当時の生き残りたちは固く口を閉ざした。老人たちは槍を突きつけて入植者を追い返した。しかし彼らは、しつこくやって来た。
 その時点では、なぜそうした動きが出てきたのか分からなかった。しかし三年後、今から二年前に事件が起きる。テオートルの家にあった父の日記が盗まれたのだ。
 十冊以上におよぶ日記には、日々のメモや考察が書いてある。呪術の詳細を記録することを恐れた父は、決定的なことは書いていなかった。しかし断片的な情報から、先住民の呪術を解読する者が現れるかもしれない。テオートルは、集落に訪れたことのある入植者たちを虱潰しに調べた。そして、一人の男が日記を持ち出したと突き止めた。
 犯人の名前はドミンゴ。探偵まがいの仕事と脅迫を生業にする、元警察官の男だ。テオートルは、夜陰に乗じて町中にあるドミンゴの事務所に入り、父の日記を見つけた。最初の二冊がなく、残りが鍵のついた棚の中にあった。ノートやゴミ箱のメモを漁ることで、見当たらない二冊を誰に売ったのか突き止めた。フランシスコ・イバーラ。島の実質的な支配者の富豪。二冊だけないのは、小出しに売ろうとしたからだと推測した。
 幸いなことに、自分のことが書いてある日記はまだ売られていなかった。もしそれがフランシスコに渡れば、彼は自分と接触しようとするだろう。ドミンゴが日記の中身を読んだか考える。もし読んでいるなら情報が漏れる危険がある。彼を殺さなければならない。テオートルは、残った日記を袋に詰めて、ドミンゴが事務所を訪れるのを待った。
 明かりを消した事務所で、ドミンゴが来るのを待つ。暗闇の中、初めて父に呪術を見せてもらったときのことを思い出す。あのときは価値を理解できなかった。しかし今ならその素晴らしさが分かる。島全体を覆う呪術の装置。圧倒的な呪力の供給源。入植者を滅ぼす呪術的仕掛け。島の人間を虐殺する呪術は、つつがなく発動するだろう。しかし、そうした企みに興味を持ち、調べ始める者が出現するとは思わなかった。島の富と文明を瞬く間に上昇させたフランシスコ・イバーラ。彼が、島の呪術を解き明かそうとしている。
 日付が変わろうとする頃、騒々しい声が扉の向こうから聞こえてきた。激しく酔っているのが分かった。おそらく、フランシスコからせしめた金で、酒を飲み歩いているのだろう。そして家に帰るのが面倒だから事務所に寄ったのだ。
 テオートルは扉の陰に隠れて、紐を手に持つ。殺人を始めた頃は、石で頭部を殴っていた。しかし、それは確実な死をもたらさないことが多く、証拠も残りやすく痕跡を消すのに苦労した。いくつかの方法を試して、絞殺が都合がよいと判断した。大人になり腕力が増したことで、自身の選択が最も理に適っていると確信するようになった。
 扉が開き、太った男が赤ら顔で入って来る。テオートルは、同行者がいないことを確認して、背後から紐を首にかけて力一杯絞める。ドミンゴは、手を顎の下で掻きむしり、足をばたつかせたあと動きを止めた。一人で運ぶには苦労する体重だったが、日記を持ち、死体を背負って事務所の外に出た。
 この時間、町に人通りはない。音を立てずに森までたどり着けば、あとは人に見つかることはない。日々、森の中を歩いているために足腰は強い。車などに頼らず荷物を運んでいるので力もある。それに死体を運ぶことは慣れている。音を立てないようにゆっくりと歩き、誰とも出会わずに森へと抜けた。
 うねる枝に囲まれた闇の中を、明かりなしで進む。視界には、石像が発する光が仄かに見えた。暗闇でも場所は分かる。足元に気をつけ、テオートルは森の奥深くに死体を捨てに行く。
 集落に戻ってきたテオートルは、日記に火をかけた。明け方のことだった。眠っていた老人たちが起きて集まってくる。事情を説明すると無言でうなずいた。日記の内容は全て暗唱できる。紙の状態で持っておく必要はない。どうせあと少しで島の人間はいなくなる。記録を残しておくことに、なんの意味があろうか。それよりも今は、無駄な情報をフランシスコに渡さないように、自分の出自を隠しておくべきだ。
 火に蝕まれ、煙となっていく父の日記帳をながめる。次第に小さくなっていく炎を見ながら、終わりの時が近づいているのだと、テオートルは思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み