◆第五話 虫と富豪と森の城

文字数 2,601文字

 車が森に入った。レオナルドは、ロープで縛られたまま運ばれている。
 リベーラ島は、西の火山から続く高地が、島を横切っている。レオナルドたちを乗せた車は、島の南東から北に進路を取り、坂を上っている。レオナルドは車の窓から外を見た。周囲は鬱蒼としている。森は植物が折り重なり、層になっている。その緑の合間に、鮮烈な色彩が点在していた。
 蟹の爪のような赤い花が、左右に交互に伸びたヘリコニア。紅色の笹状の花びらが円状に開いたパッションフラワー。外側は白、中央は黄の、五葉の花弁のプルメリア。藤色の小花を房のようにつけたサンドペーパーバインもある。
 そうした色彩の中を、橙色の蝶が舞っていた。また、幻惑的な模様の蛾が、羽を広げている。木々の枝の上には、翡翠や瑠璃色の鳥たちがいる。タイヤが泥を跳ね上げている地面の辺りでは、緋色のカエルが喉を鳴らし、山吹色をした爬虫類が歩いていた。
 それらのカラフルな景色の片隅に、島に来て何度も目撃した石像が見えた。サイズはバスケットボールほどで、ずんぐりとした繭に似た形をしている。表面には、無数の糸を巻きつけたような浮き彫りの模様がある。その模様は虫を模していた。デフォルメされた形は、古代の造形の豊かさを感じさせる。暗がりの中、森から姿を覗かせる石像たちは、不思議な生々しさを感じさせた。
 車は荒れ道を進んでいく。森は次第に密度を増していく。鮮やかな景色は、徐々に息苦しいほどの濃緑に変わる。太陽の光は遮られ、影に覆われた木々のトンネルに入っていく。
 葉のあいだから降り注ぐ木漏れ日が、時折刃のように密林の闇を切り裂いた。そうした景色が続いたあと、タイヤの上げる音が突如変わった。ぬかるみを交えた林道を抜け、乾いた土の上を走りだす。前方を見ると森が少し開けている。青空の下、褐色の瓦屋根の邸宅が見えてきた。
 車が近づくにつれ、森の開口部が大きくなり、建物の全貌が露わになる。白い漆喰の壁、瓦が載った切り妻屋根、入り口はアーチ型になって開けている。スパニッシュ・コロニアル様式。スペイン南部アンダルシア地方にルーツを持つスタイルだ。植民地時代に中米に移入されて、その後この地方でも多く作られるようになったものだ。
 開放的な外観とは裏腹に、屋敷は物々しい。ところどころに物見櫓があり、銃を携えた兵士がいる。私兵なのだろう。フランシスコ・イバーラは公的な役職には就いていない。そうした人間の家を、警察や軍隊が公費で警護することはない。
 レオナルドは、町の広場で遭遇したデモの様子を頭に浮かべる。民衆の不満と権力者の武装。それらは、リベーラ島の政治的不安定さを象徴しているように思われた。
 車は白い壁に沿って走る。レオナルドはこの屋敷が、島の人々に森の城と呼ばれていたことを思い出す。レオナルドは、森の城という言葉にロマンチックなイメージを抱いていた。しかし、実際の建物を見て、言葉どおりの場所なのだと知る。城砦と呼ぶべき施設だから、城と名づけられたのだ。
 しばらく進むと、兵士の警護する入り口にたどり着いた。
「俺だ」
 ギレルモは窓を開けて言う。兵士は一礼して、バリケードを外して車が通れるようにした。ギレルモはアクセルを踏む。門をくぐる途中、アーチの上に奇妙な模様があることに気づいた。
 左から順番に『◎◎◎◎○○○』と形が並んでいる。
 左右対称なら単なる図案だと思い気に留めなかった。しかし非対称なら意味があると考えてしまう。二重丸は数字の二を、丸は数字の一を表しているのだろうか。それならばこの模様は、二二二二一一一という意味になる。住所や電話番号ではない。年号や日付といったものでもなさそうだ。
 アン・スーなら興味を持つはずだ。レオナルドは、数学とパズルが好きな中国系の友人のことを思い出す。
 門を過ぎて庭に入った。ギレルモはそのまま車を走らせ、数台の高級車が並んでいる一角で停めた。
「カルロス、ロープを解いてやれ」
 解放されたレオナルドは、芝生の上に立つ。ギレルモはカルロスに、工房で作業を再開するようにと告げる。カルロスは、庭の奥に駆けていった。
 よく手入れされた広い庭には、ところどころに兵士の姿が見える。ギレルモはこちらを向いて「行くぞ」と言う。従うしかない。ため息を吐いたあと、レオナルドはギレルモのあとを追った。
 勝手口から屋敷に入ったレオナルドたちは、幅の広い廊下を進んでいく。壁には絵画が飾ってある。現代美術だろうか。資産家との付き合いが多い、ベンチャー仲間のクレイグなら、価値が分かるかもしれない。
 廊下の先に兵士が二人いる。ギレルモは、彼らの前に立ち両手を上げた。兵士たちが素早く体を触り、武器がないか確かめる。レオナルドも全身を確認された。そのあとギレルモが、姿勢を正して大きな木の扉をノックした。
「入りなさい」
 老いてはいるが活力に満ちた声が聞こえた。ギレルモとともに、レオナルドは室内に入る。百平米ほどの部屋は、白木の柱に、白い壁の簡素な作りだった。しかし、簡素だからといって質素なわけではない。わずかに置かれた調度品は、いずれも黒檀や紫檀といった高級な素材を使っている。窓や照明の豪華な金属の細工が、部屋の簡素さとよく調和している。また、壁の一画には、無数の昆虫標本が飾ってあった。蝶やカブトムシ、クワガタムシ、トンボなどが、整然と並んで彩りを添えている。この島に住む華やかな色のセミの姿もあった。
「イバーラさま。プログラマを連れてきました」
 ギレルモは、窓の近くに向けて声をかける。
 モーターの音が微かに響き、椅子がこちらに向きを変えた。電動の車椅子である。その上に麻のスーツを着た老紳士が座っている。彼は膝に毛布をかけている。顔は日に焼け、表情は引き締まっていた。目には鋭い光があり、只者ではないことを窺わせた。
 レオナルドは、老人の姿を見て奇妙な感想を持つ。まるで虫のようだ。なぜ、そうした印象を抱いたのか分からない。屋敷までの移動の途中、森の闇の中で、虫の石像を目撃したせいだろうか。あるいは、この部屋にある虫の標本のせいかもしれない。老人は溢れる生命感とは別に、どこか非人間的な冷たさを感じさせた。膝にかけている毛布の下には、外骨格の足が生えているのではないかと疑いを持った。
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