◆第四十六話 喜びの生贄たち

文字数 1,588文字

 テオートル一行は、長い時間をかけて目的地にたどり着いた。島の中心地、かつて先住民たちが儀式をおこなっていた場所。穴の中には螺旋の中心となる礎石があり、時の神が鎮座して生贄を待っている。その神を受肉させるための供物を、彼は連れて来た。
「神よ。この地に住まいし神よ」
 陥没穴に向かって呼びかける。声は何度も反射しながら徐々に小さくなっていく。答えはない。当然だ。神は発声器官を持たない。獣や虫のように鳴かない。そしてまだ顕現していない。
「生贄を捧げます。受け取ってください」
 テオートルの呼びかけとともに、老人たちが動きだす。崖の周りにあるいくつかの石像に近づき、抱きかかえるように座った。石像の周囲は呪力が強く、時間の流れが歪んでいる。普段はわずかな揺らぎにすぎないが、ディエゴが仕掛けた呪術のせいで、その振幅は大きくなっている。
 老人たちの体の各所が盛り上がった。そして身にまとっていた衣を破り、巨大なセミが現れた。セミは結晶状になった筋肉で、羽と胴を震動させて大きな声を出す。音に呼応して石像が揺れた。石像を覆っている溝が震え、あいだに隙間ができる。入れ子になった時間の螺旋がほどけ、島の時間を組み替える。螺旋の糸が、縦横に振動して、他の時間と触れ合っていく。
 視線の先にある闇をたたえた陥没穴に変化が生じた。薄い靄がかかり、白い色が寄り集まり糸のようになる。島を覆うクモの巣が作られていく。その様子を、ただ一人残ったテオートルは観察した。父が考えた通りの現象が起きている。島の呪術装置を刺激して、生贄を捧げる。そうすれば、時を司る神は肉体を獲得して、現実に影響を与え始める。
 胴体だけで三、四メートルはあるクモが虚空に現れた。脚も含めれば十メートルはある巨大な姿だ。現実の生き物ではない。神話の世界に属する存在だ。島の先住民たちが崇めた神。長らく外敵を遠ざけてきた島の守護神だ。
「神よ。我が名はテオートル。あなたと交わるために来た。島の全ての者をあなたに捧げる。今こそ私たちのために力を貸してくれ」
 クモは闇に渡された巣の上を歩いてくる。緩慢な動きでテオートルに近づいてくる。目の前の神に表情はない。複数ある目には、なにが映っているのか分からない。そこには理解できない存在がいた。人間とは明らかに異質な生き物。現実世界のクモとはまるで違う。時間を支配し、素数の渦を司る、概念としての神だ。
 これまで神を恐れていなかったのに恐怖が芽生えた。全身が震える。これは人間の常識が通じる相手ではない。交われば、どうなってしまうのか。
 巨大なクモは脚を伸ばして頭上に来る。その姿を見上げてテオートルは驚く。クモは入れ子になっていた。体は無数のクモでできており、そのクモはさらに微小なクモでできている。それらの入れ子のクモは、一つずつが異なる世界に網を張り、時間を支配していた。時間は一本の直線ではなく、揺らぎの中で異なる過去と未来に繋がっている。クモは入れ子の時間そのものだった。無限に連なる世界を繋ぎながら、未来と現在と過去を組み替えていた。
 神はテオートルに頭部を近づけて口を大きく開く。時間の狭間の空白が見えた。そこに落ちればどうなるのか。テオートルは意識を集中して、虫と融合する呪術を使う。クモの体がテオートルに触れた。無限の時間に心と体が分解されそうになる。テオートルは神に抗い、意識を一つに保とうとする。可能性の波の上を渡り歩き、着地点を探そうとする。知ることは、支配し征服することだ。認知することは、相手を自身の掌中に置くことだ。テオートルは、先住民と父の知識を総動員して、時を司る神を理解しようとする。
 長いときのあと、虐殺で生き残った先住民が切望し、ディエゴが考案した呪術は完成した。島の時間螺旋が、テオートルの意思で組み替えられ始めた。
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