◆第四十二話 大崩壊の予感

文字数 3,285文字

「ギレルモに殴られたらしいね。大丈夫かい?」
 アルベルトが、レオナルドの顔を見ながら声をかける。顔に手を触れるとズキリと痛んだ。たぶん、青痣が浮かんでいるのだろう。
「痛みはまだ残っていますけど、大丈夫です」
「入ってもいい?」
 マリーアが尋ねてきた。彼女はむくれた顔をしている。
 アルベルトに会い、ついてきたのか。それにしても、なぜこんなに怒っているのか。
「なにかあったの?」
 部屋に通しながらレオナルドは尋ねる。
「もう最悪!」
 入ってきたマリーアは、ベッドにダイブして、大きくため息を吐いた。レオナルドは、アルベルトに顔を向けて説明を求める。
「イバーラ氏の息子一家、つまりマリーアの伯父たちが、屋敷にやって来た」
 扉を閉めたあと、アルベルトは椅子を出して座った。
 そういえばフランシスコが、彼らを屋敷に集めると言っていた。
「仲が悪いの?」
「権力を笠に着て、やりたい放題しているから、物凄く性格が悪いの。特におじいさまの長男のゴメスが最悪! あの豚は、金で女の人をたらし込むことしか頭にないの。奥さんがいるのに、いつも愛人をはべらせていて、何人も子供を孕ませて。そのたびに堕胎させている。神さまへの冒涜だわ! そして私にも色目を使ってくる。あの馬鹿、死ねばいいのに!」
 マリーアは、自分の伯父をこれでもかというほどに罵倒した。
「そんなにひどいの?」
「ゴメスは、隙あらば私を自分の女にしようとするの。血が繋がっていないから!」
 そういえばそうだった。マリーアは、フランシスコの実孫ではない。息子や孫とも血縁関係にはない。
「今、屋敷には、おじいさまの子供や孫がみんな集まっているの。おかげで私は肩身が狭いの。あの人たち私のことを、血縁でもないのに相続権を狙っている泥棒猫と、いつも陰口を叩いているんだもの」
 マリーアは、ひとしきり文句を言いながらベッドの上で暴れた。
 アルベルトが苦笑しながら、二人で来た経緯を説明する。屋敷内を動き回るのなら、マリーアの力を借りるのが早い。だから彼女の助力を仰ごうと思い、会いに行ったそうだ。
「私と一緒なら部屋を出ても誰も文句を言わないわ。私と一緒なら、どこでも顔パスで入れるわよ」
 マリーアが嬉しそうな顔をする。
「よし、工房に行こう」
「先住民たちは、工房内の倉庫にしている部屋に監禁されている。一人だけ別の部屋に連れて行かれたから、彼がチマリなんだろうね。騒々しく入って来たから、すぐに分かったよ」
 アルベルトが告げたあと、マリーアが顔の前に鍵の束を掲げた。
「倉庫の鍵は、ここにあるわよ」
「ありがとう」
「あと、カルロスに声をかけて、ギレルモに偽の伝言をしておいたわ。ギレルモとカルロスは、工房にいる兵士を全員連れて正門に行くようにと。おじいさまの命令ということでね。これで、嘘がばれて戻ってくるまでのあいだ、自由に入れるはずよ」
「それは助かる」
 レオナルドは、マリーアに笑顔を向け、机に戻る。
「いったん切るよ」
 大学の仲間たちに告げてパソコンを閉じる。
「じゃあ、見張りの兵士に話をつけてくるから」
 部屋を出たマリーアはすぐに戻ってきた。
「OKよ」
 レオナルドは、リュックサックにノートパソコンを放り込む。三人は部屋を出て、廊下を歩き始めた。

「おい、マリーア!」
 屋敷内を移動していると声をかけられた。
 廊下の先に一人の男がいた。肥満した中年男は、白豚を思わせる弛緩した体と表情をしている。その好色そうな顔を見て、レオナルドは嫌悪を抱いた。
「なによ、ゴメス伯父さん」
 マリーアが心の底から嫌そうに言った。ゴメスはレオナルドたちをちらりと見たあと、再びマリーアに声をかけた。
「危険だから、おじちゃんと一緒にいよう」
「嫌よ。私は工房に行くんだから」
「庭になんか出ない方がいいぞ。侵入者が現れても不思議ではないからな。私といれば安心だよ。ここには兵士がたくさんいる。たとえ島民が大挙して押し寄せてきても、機関銃で撃ち殺せば財産を守れる。人生、抜け目なく行動しなきゃいけない。富は維持して増やすためにある。金さえあれば、兵士をいくらでも雇うことができるからな」
 下卑た笑いをゴメスは漏らす。
 レオナルドは、マリーアがこの男を嫌っている理由がよく分かった。フランシスコの息子は、父親とは正反対の精神の持ち主だ。他の血族たちも、マリーアの話を信じるのならば、似たり寄ったりなのだろう。
「工房に行くなら、早く返って来いよ。俺は屋敷にこもり、兵士たちに門を固めさせる。これは戦争だ。俺は親父に代わり、指揮官として指示を出す」
 勇ましい言葉とは反対に、ゴメスは前線には出ず、屋敷の奥に潜むと宣言した。マリーアは怒りの顔を向けたあと、勝手口へと歩きだす。レオナルドたちは、ゴメスを残してあとを追った。
「なんだ、あの男は」
 ゴメスの姿が見えなくなったあと、吐き捨てるようにレオナルドは言った。
「おじいさまは高潔な人だけど、子供や孫は、みんなあんな感じなの。金と権力を持って生まれた人間に、ろくなのはいないわ。――お父さんは別だけどね」
 マリーアは一瞬悲しそうな顔をした。まともな人間が早世して、ゴメスのような男がのうのうと生きている。世の中の理不尽さをレオナルドは感じた。
「おじいさまは、一族の者たちを要職から遠ざけている。でも、ゴメスたちはその地位を狙っている。贅沢をしたいからよ。あの人たちは、資産を食い潰そうとしているの。
 おじいさまは私に経営の勉強をさせている。それは島の開発を継続してくれそうな親族がいないからよ。でも私が継げば反発は必至。親族の中には、私を追い出そうと考えている者が多いわ」
 マリーアはため息を吐く。彼女が置かれた立場の難しさは、レオナルドもよく理解できた。彼女が、自分よりも相応しい人を求めている理由は、能力ではなく人間関係にあるのだ。
 勝手口を出た。太陽は既に沈んでいる。闇の中、レオナルドたちは工房を目指す。いつもと違い、兵士の数が少なかった。門や監視の櫓に移動しているのだろう。
「悪霊がいる」
 森の入り口に石像が見えた。その近くを通ったときに、マリーアが小さく言った。聞こえるはずのない虫たちの足音が、耳の中で聞こえる。石像に目を向けると、親指ほどもある影が蠢いている様子が見えた。
 これは幻覚だ。そう思いながら歩を進める。プチリと固い殻が弾ける感触が足の裏であった。なにかを踏みつけたのか。そう思い足元を見る。膝を超える高さの草が密生している。そのため靴まで視界は届かない。それ以前に今は夜だ。草がなくても、なにを踏んだのか分からない。足を上げれば靴底を確かめることはできる。しかし、敢えてしたいとは思わなかった。
「あっ、見て」
 マリーアが声を上げた。彼女が指した方を見る。森の城の南側、なだらかな斜面になっている先に、点々と明かりが揺らいでいた。松明の火だ。それは無数に灯り、列を成している。レオナルドは光の列をながめる。遠方で煙が上がっていた。森の向こうで、なにかが燃えている。
「工場のある場所だわ。石油備蓄基地があるはず」
 呆然として様子で、マリーアは声を漏らす。
 島民が襲い、火事が起きたのかもしれない。レオナルドは愕然とする。まるで蛸の自食作用だ。蛸は過大なストレスを与えると、自らの足を食べてしまう。島民は、自分たちの財産とも言える島の工業施設に攻撃を加えている。
 レオナルドは目眩を覚えた。島民のためを思い、自己犠牲を考えるフランシスコ。しかし島民たちは、フランシスコを打倒するために島の財産を破壊している。リベーラ島は、呪術と関わりなく滅びるかもしれない。ギレルモが言うように、こちらが本物の呪いかもしれない。
「行こう」
 足を止めていたレオナルドとマリーアを促すように、アルベルトが言った。レオナルドはうなずき歩きだす。足元の草の下には、何者かが這う無数の気配がしていた。
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