◆第十三話 悪霊を視る少女

文字数 4,059文字

 視界に青空が広がった。何度か瞬きをして、自分が仰向けになっていることに気づく。顔に痛みが残っている。鼻の辺りに手をやると、血がこびりついていた。どうやら、ギレルモに殴られて気絶していたようだ。
「あててて」
 レオナルドは上半身を起こす。工房の外の日陰にいた。横を見ると、昨日会った少女マリーアが、デジタルカメラを持って座っていた。
「大丈夫?」
 心配そうな顔をしてマリーアは顔を寄せてきた。その距離の近さに、レオナルドは慌てて姿勢を正す。
 左手の腕時計を確認する。二、三十分ほど寝込んでいたらしい。建物に顔を向けると、足元の小窓から中の様子が見えた。ギレルモは母屋に戻ったのか姿がない。工房にはカルロス一人がいるようだ。
「看病してくれていたの?」
「うん。ちょうど休み時間だったから」
「休み時間?」
「家庭教師のお勉強の。私、学校には通っていないの。おじいさまが、外は危ないって言うから」
「きみはイバーラさんの」
「孫にあたるわ。血は繋がっていないけどね」
 マリーアはにっこりと微笑んだ。レオナルドは立ち入ったことを聞いてよいのか迷った。
「お父さんや、お母さんは?」
「よく聞かれるから気にしないわ。十年前に亡くなったの。私はお母さんの連れ子で、お父さんが、おじいさまの子供だったの」
「そうなんだ」
 血が繋がっていないから、フランシスコに似ていないのか。おそらく母方の縁者がいなかったから、フランシスコが引き取ったのだ。
「デモが危ないから屋敷にいるの?」
 広場で見た群衆を思い出す。マリーアは首を横に振った。
「お父さんとお母さんは、島の人に殺されたから」
 マリーアの答えに、レオナルドは凍りつく。
「十年前、私が六歳の頃のことよ。お父さんとお母さんが、港で島の人に銃撃されたの。おじいさま自身も五年前に足を撃たれて車椅子生活になったわ。だから外に出るなと言われているの」
 壮絶な話に、レオナルドは唖然となる。
「ご両親が襲われたとき、きみは?」
「物陰に隠れていたおかげで助かったの。そして今は、おじいさまが父親代わりになって育ててくれている。血は繋がっていないけど、おじいさまは私のお父さんみたいなものよ」
 そうだったのか。十年前の事件までは調べていなかった。デモをしている人間たちは、過去の出来事を知っているのだろう。死人が出るほどの争い。リベーラ島の対立は、想像以上に根が深い。
「マリーアは、ずっと屋敷にいることを、どう思っているの?」
 出会ってすぐに聞くのは、性急すぎると思ったが気になった。マリーアは活発そうだ。そうした子が、外に出られず屋敷内で過ごすのは、相当なストレスだろう。
「仕方がないと思う。おじいさまに迷惑をかけたくないし」
「危ないから?」
「それもあるけど、無用なトラブルを起こしたくないの。親戚の人たちは、血の繋がっていない私を、おじいさまが育てていることを嫌がっているから」
 マリーアは陰のある顔をした。
 フランシスコは、マリーアに愛情を注いでいる。それは彼女の表情から分かる。しかし彼の縁者たちは不満を持っている。血縁でない者が、財産を相続することを恐れているからだ。下手な行動は、庇護者であるフランシスコを困らせる。だから、屋敷の中で過ごす生活を受け入れている。自分の感情を殺して、自由を放棄している。
「大丈夫よ。私、これがあるから」
 マリーアは、デジタルカメラを見せる。そういえば昨日会ったとき、デジタルカメラがあるならパソコンも持っているのではないかと考えた。
「デジカメは、イバーラさんが買ってくれたの?」
「そうよ。屋敷の中だと退屈だろうからと、おじいさまがくれたの。屋敷のいろいろな場所や人、自然の様子などを撮影しているの」
 マリーアは嬉しそうにデジタルカメラを掲げた。
「ねえマリーア」
「なに?」
「パソコンは持っている?」
「部屋にあるわ。写真を整理して、モニターで確認するのに使っているわ」
 よし。レオナルドは心の中で歓声を上げる。
「ネットは?」
「勉強中だけ接続させてもらえる。以前、ずっとネットで遊んでいたら怒られたの。それ以来、先生立ち会いの上でないと利用できなくなってしまったわ。スマートフォンもなし。おかげで外の情報は、あまり知ることができないの」
 レオナルドは大きくため息を吐いた。自分と同じ状態か。監視されているのなら、変なことはさせられない。フランシスコの意に背く行為をさせれば、親類にマリーアを排斥する口実を与えてしまう。彼女を巻き込むのはやめるべきだ。
「どうしたの、残念そうな顔をして?」
 心配そうにマリーアが顔を覗き込んできた。彼女に非はない。レオナルドは気を取り直して、どんな写真を撮っているのかマリーアに尋ねた。
「見て見て。今日はこんな写真を撮影したの」
 マリーアは、きれいな指先でデジタルカメラのボタンを操作する。苦労を知らない箱入り娘の指だ。
 レオナルドの寝顔が表示された。ギレルモに殴られて気絶しているあいだに撮られたようだ。さすがに恥ずかしくなって、これは消してくれとマリーアに訴える。マリーアは、口をにーっと開いて笑顔を作った。
「それで、これが屋敷の森で撮った写真。マダラヤドクガエル、イチゴヤドクガエル、ルグブリスフキヤガエル」
「カエルが好きなの?」
 マリーアは楽しそうに笑う。
「カエルが多いのは沢に行ったから。他の写真もあるわよ。ほら、ペレイデスモルフォ、バティラトンボマダラ」
 今度は蝶の写真を示してきた。他にも花や植物も撮影している。
「屋敷は広いの?」
「向こうの丘ぐらいまでは敷地よ」
 レオナルドは首を回して、マリーアが示した先を仰ぐ。屋敷と言っても、ちょっとした自然公園ぐらいの広さはあるらしい。その範囲が、白い壁で囲まれているそうだ。
「そういえば――」
 ふと思いついたことを口にする。
「島には、先住民の石像がよくあるけど、そういったものの写真もあるの?」
 マリーアは不快な顔をする。
「私、あの石像嫌い。だから撮らないの」
「なぜ?」
「変なものがいるから」
「変なもの?」
 マリーアは顔をしかめて「悪霊」とつぶやいた。
 レオナルドは、その言葉で思い出す。フランシスコも呪術という言葉を口にした。フランシスコは合理的な精神の持ち主に見えた。彼の佇まいと呪術という言葉のあいだに、大きな隔たりがあるように感じた。しかし、島に呪術的要素が多いことはレオナルドも気づいている。虫の石像。グリーンシーズンの祭り。マリーアが話した悪霊も、そうした類のものだろうか。
「その悪霊は、どういった姿をしているの?」
「日によって見え方は違うわ。靄のようなときもあれば、気配だけ感じるときもある。たまに、ぼんやりと形が見えるときもあるわ。意を決して何度かシャッターを切ってみたんだけど、写真にはなにも写っていなかった」
 マリーアは不満そうに言う。
 どうやら悪霊という言葉は、小悪魔や妖精といったニュアンスらしい。恐ろしいものというよりは、自分の意のままにならない存在として、マリーアはとらえているようだ。
「危険なの?」
「分からない。でも、ずっと餌を求めている。そして、森で白骨死体が見つかるときは、たいてい石像の近くだそうよ」
「それは怖いね」
「でしょう」
 マリーアは真面目な顔をする。
「悪霊は、他の人にも見えるの?」
 むっとした顔をマリーアに向けられた。彼女を疑っているような口調になってしまったようだ。
「お母さんには見えていたわ」
「ごめん」
 彼女の、母親への思いを考えて謝罪する。マリーアは、レオナルドに視線を注いで口を開いた。
「あなたは賢そうな人だけど、なんでも知っているわけではないでしょう? 人はそれぞれ違う世界を見て暮らしているの。あなたに見えるものが全てではないわ。あなたが感じないものを私が感じても、おかしくはないのよ」
 諭すようにマリーアは言った。
 レオナルドは苦笑する。そうだなと思った。人は、知覚したり認識したりするものが、それぞれ違う。レオナルドはソフトウェアを使えば、内部の処理をソースコードとしてイメージできる。同じプログラマのBBもそうだ。数学が得意なアン・スーは、虚数の空間を脳内に描けるらしい。それぞれの目に映る世界はみんな違う。マリーアが見ているものも、そうした世界の一つなのだろう。
「マリーア、きみのお母さんはどういった人だったの?」
「シャーマンよ」
 祖先をたどると、そういうことらしい。マリーアの母親は芸術家で、祖先は濃厚なシャーマンの血筋だったそうだ。
「遺伝なの?」
「私の場合はね。でも、おじいさまは、違う目を二十歳ぐらいのときに授かったそうよ」
「違う目?」
 レオナルドは、唐突に出てきたフランシスコの話に興味を持つ。
「その目ってなに?」
「おじいさまは地面の中が見えるの。その能力で、鉱山や油田を見つけて財を成したそうよ」
「地面の中が? それは透視能力があるということなの?」
「おい」
 ギレルモの声が遠くから聞こえてきた。振り向くと、ギレルモが庭を歩いて、工房に向かっている。いつまでも遊んでいないで仕事をしろということだろう。マリーアにはまだ尋ねたいことがあった。しかし、そろそろ切り上げないといけないようだ。
「その話、また聞かせてくれない?」
「あら、おじいさまに直接聞いたら? 教えてくれると思うけど」
 マリーアは、子供のように大きく笑って立ち上がる。
「それじゃあ、お仕事頑張ってね。私は戻るから」
 デジタルカメラを構えて、レオナルドの姿を撮ったあと、マリーアは風のように走り去った。入れ替わりに工房に着いたギレルモが、指で中に入るように命じた。
「はあっ」
 仕方がない。仕事をするか。
 レオナルドは立ち上がり、工房の扉に向かった。
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