◆第三十七話 復讐者たちの集落

文字数 4,290文字

 しばらく進んだところで、ギレルモはハンドルを切った。大きな道から逸れ、細い道に入っていく。
「ここで降りよう」
 ギレルモが車を停め、後続のトラックも停車する。レオナルドは車外に出た。肌を焼くような日差しだ。道の先は獣道のようになっている。ギレルモは太い枝を一本折り、前方の草木を払いながら森の奥へと向かう。レオナルドと兵士はあとに続いた。
 そこは緑のトンネルだった。歩いていくうちに草の中に石像を見つけた。細い溝に覆われた、虫を模した像である。その上に蝶が留まっている。モルフォチョウだ。青色の金属光沢の羽が美しい。生きた宝石と呼ばれるのもうなずける。レオナルドは優美な姿を目で追いながら移動した。
 蝶がくしゃりと潰れる。そして、レオナルドが声を上げる間もなく、いなくなった。どこに消えたのか立ち止まって考える。
「おい、行くぞ」
 ギレルモが声をかけてきた。レオナルドは仕方なく動きだす。カメレオンのような爬虫類が、蝶を一瞬のうちに食べたのだろう。しかし脳裏には別の光景が浮かんでいた。石像の上を這う無数の虫が、蝶を捕食した。レオナルドはその想像を振り払うように頭を横に振る。
「ここが先住民たちの集落だ」
 足を止めたギレルモが、顎で前を示した。レオナルドは、ぽかんとして集落の様子を見る。沼と呼んでよい濁った水辺の端に、ぼろ家と呼んでよい建物が数軒連なっていた。沼には虫が湧いている。人間が暮らす環境としては劣悪すぎる。なぜ、こんなところにいるのかギレルモに尋ねた。
「虐殺で生き残った先住民は、住む場所を奪われた。そして、土地を金で売買する世界に組み込まれた。奴らはそのことを恨み、周りとの接触を断った。だから、誰も利用しない森の奥まで逃げたんだろうな」
 ギレルモは答えながら周囲の気配を探る。
「おい。誰かいるか!」
 声は折り重なる枝葉に吸い込まれる。人の気配はある。無人というわけではないようだ。しかし、先住民は入植者を嫌っている。呼ばれても進んでは出て来ないというわけか。
 ギレルモは、家の中を確かめるように兵士に命じる。建物に入った兵士が、困ったように戻ってきた。
「いるのは老人ばかりです。それも立ち上がれないような者たちです。呼んでも出てこないはずです」
 どういうことだ。狩猟や採集にでも行っているのか。レオナルドはギレルモと視線を交わす。ギレルモは兵士に、老人たちを外に連れ出すようにと言った。まるで戦場の捕虜のように老人たちは地面に並べられる。数は十人。彼らは十年ぐらい着続けたような汚れた布をまとっている。老人たちを前にして、レオナルドは質問を始めた。
「他の方は、どこに行ったんですか?」
 老人たちは答えない。もしかしたら、こちらの言葉が分からないのかもしれない。
「おい、この中で代表者は誰だ。一番偉い奴だよ」
 ギレルモが銃を突きつけて聞く。誰も口を開かない。ギレルモが恫喝すると、不遜な態度に腹を立てたのか、一人の老人が胸を張り、自分がこの集落の長老だとスペイン語で答えた。
「あんたら何者だ?」
「俺の名はギレルモだ。イバーラさまの屋敷から来た」
 長老は、なるほどといった顔をする。
「以前も、フランシスコ・イバーラの手の者が訪れたことがある。なんの用だ? わしらの家を漁っても、金目のものはないぞ」
 嘲笑する口調で言う。
「これで全員か?」
「虐殺されたからのう」
 老人は卑屈な笑い声を上げる。しかし、全員であるはずがない。足腰の立たない者ばかりでは生活ができない。歩き回れる者たちは、全て出払っていると考えるべきだろう。
「あんたの名は?」
「チマリだ」
「チマリさん。ディエゴさんのことは知っていますか? 当時の話を聞きたくて来たんです」
 レオナルドは、会話に割って入る。チマリは、値踏みするようにレオナルドとギレルモを見上げた。
「なにを聞きたいんじゃ?」
「イシキリゼミの呪術についてです」
 チマリの顔色が変わる。なにか知っている人間の反応だ。
「いったいなにが起きるんですか?」
「わしゃあ、なにも知らんよ」
 ギレルモが銃を出して、チマリのこめかみに銃口を突きつけた。
「なにを隠している。知っていることを全て話せ」
 ギレルモは引き金に指をかける。しかしチマリは、銃に対して恐れを見せなかった。相手の意志が固いと分かったのだろう。ギレルモが銃を引き、レオナルドに向き直る。
「おいっ、家の中を調べろ。こいつら、石のように黙り続けるつもりだ」
 レオナルドはうなずき、沼地の近くの手近な家に入る。部屋は狭く、驚くほど荷物が少ない。文明に毒されていないために電化製品がない。それだけで、これほどまでに簡素になるのかと驚いた。室内には小さな棚があり、生活用具が載っていた。レオナルドは引き出しを開ける。セミの人形があった。島の祭りで使う木彫りのものだ。他にはめぼしいものはない。
 次の家も覗いてみるが新しい発見はない。端から探しても無駄かもしれない。周囲を見渡すと、一番奥の家だけが新しく、他のものよりもわずかに大きかった。入り口には装飾があり、支配者の居館といった風格を持っている。レオナルドは奥へと進み、扉のない入り口を抜けた。
 小さな小屋ほどの空間には本棚があった。この場所には少なくとも、文字を読める者が住んでいる。それどころではなく、高度な教養を持った人間が暮らしている。本棚には娯楽的読み物はなく専門書しかない。一瞬、ディエゴの家ではないかと思ったが、首を横に振る。この家は、ここ数年で作ったような真新しさだ。ディエゴは十年前に死んでいる。彼が暮らしていた場所ではない。それに棚には最近出版された本もある。
 部屋の隅にかごがあった。見覚えがある。このかごを持って、現金を得ている人物をレオナルドは知っている。本を買うには金が必要だ。町に頻繁に出て金を稼がなければならない。一人の男の存在が浮かび上がる。テオートル。彼は先住民と白人の混血のようだった。彼はディエゴの息子ではないか。それならば高い教養があることもうなずける。
 本棚だけでなく普通の棚もある。袋がいくつかあり、中を確かめると石の板が出てきた。板には虫の姿が鮮やかに浮かんでいる。化石だ。小袋もあり、そちらには小さな石が入っている。呪術に使う化石の破片だろう。
 室内を見渡してレオナルドは考える。この家は最も広く、手をかけて作られている。テオートルが持っていた威厳を思い出す。彼は集落の王ではないのか。もしテオートルが指導者的立場の人間ならば、彼を含めて動ける者が誰もいないのはなぜか。彼らは今どこにいるのか。レオナルドは、ぶつぶつとつぶやきながら表に出る。そして、ギレルモたちがいる場所に戻り、チマリの前に立った。
「チマリさん。テオートルさんたちはどこにいるんですか? 彼はディエゴさんの血を引いており、この集落で王に相当する人ですよね」
 テオートルの名前を出すと、チマリは殺意の混じった目をレオナルドに向けた。
「おまえ、どこまで知っているんだ?」
「イシキリゼミの呪術は、素数と入れ子構造が関係している。それは時間を操るものに違いありません。テオートルさんが、ディエゴさんの血を引いているのならば、呪術の詳細も受け継いでいるんじゃないんですか?」
 チマリがぼろ布のような衣の下から、鋭く削った枝を取り出した。その切っ先を気合いの声とともにレオナルドに向けて突き出す。全身の汗腺が一気に開く。体が硬直して避けられなかった。
 銃声が響く。ギレルモが引き金を引き、チマリの腕を撃ち抜いた。チマリが悲鳴とともに地面に転がる。
「大丈夫かレオナルド!」
「うん」
「てめえ、なにを隠していやがるんだ。知っていることを全て話せ!」
 ギレルモがチマリに怒鳴る。チマリは血が垂れる腕を押さえながら、汗の浮かんだ顔を上げた。
「島に住む人間が、みんな死ぬんだよ」
「いったいなにが起きるんだ?」
 ギレルモは銃を向けてチマリにすごむ。
「世界の境界が曖昧になり、時の螺旋が隣接する」
 自分たちが推測したとおりだ。レオナルドは膝を突き、チマリを正面から見る。
「イシキリゼミの周期で三桁目になった年に、島を滅ぼす呪術が発動する。そうですよね。詳細を教えて欲しいんです」
「いいだろう、教えてやろう。大虐殺のあと生き残った者たちは、島に災いをもたらすために大掛かりな呪術を用意した。復讐のためにな。わしらは、手元に残っていた聖地の化石を飲むことで、自らに呪術をかけた」
「ちょっと待ってください。入植者たちではなく、あなたたちに?」
 チマリはレオナルドの無知を嘲笑う。
「そうだ。しかし、それでは生贄の数が足らなかった。わしらは虐殺されて数が少なかった。四十九年後にまで生存している人間が、どれほどいるのか分からなかった。そこで儀式が終わったあと、ディエゴが町に出て道行く人に声をかけた。わしらは無視しても、ディエゴの話なら聞く者がいる。そして呪術の対象者を増やしたんだよ」
「そしてイバーラさんが石を飲んだ」
「けっこうな人数が受け入れたそうだ。その時期、島は異様な興奮に包まれていた。普通ならやらないことでも、試みる雰囲気があった。呪術は四十九年を経て、今まさに発動しようとしている。もうすぐ、島は周囲から隔離されて、違う時の流れと交わる。もう止めることはできない。おまえたちは事実を知っても、どうすることもできないんだよ!」
「馬鹿を言うな。そんなことがあってたまるか!」
 呪術を否定しているギレルモは、大声を出す。チマリがまるで勝者のように高笑いを上げた。ギレルモの目には、激しい怒りが浮かんでいる。今にも撃ち殺しそうだ。
「どうすれば、呪術は解けるんだ?」
「信じていないようだが解き方は聞くんだな。おまえは、わしらが憎む、島の入植者の子孫だ。知っていたとしても、誰が教えてやるものか! 絶望に打ちひしがれて死ぬがいい!」
 ギレルモがチマリの顔面を殴った。チマリは宙に浮いたあと、地面に落下して白目を剥いた。ギレルモは肩で息をする。そして呼吸を整えて兵士に顔を向けた。
「こいつらを全員、屋敷に連行する。縛って連れて行け」
「ちょっと待った。いくらなんでもそれは!」
 レオナルドは叫ぶ。
「黙れ!」
 ギレルモの気迫に圧倒された。兵士たちは事前に話を聞いていたのだろう。老人たちに銃を突きつけ、縄で縛り始めた。
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