◆第五十六話 少女の継承、そして別れ

文字数 3,755文字

 レオナルドの祖父母の家に泊まった翌日、マリーアは屋敷に戻ることにした。レオナルドとアルベルトは同行し、彼女を屋敷まで送り届ける。
 屋敷の内外には無数の死体が転がっていた。そうした悲惨な状況の中で、喜ばしい場面もあった。ギレルモの部下のカルロスが生きていた。屋敷に近づかず、庭を逃げ回っていたおかげで助かったそうだ。彼は、レオナルドたちとの再会を心から喜んだ。
 レオナルドは、現状を把握するために情報を集める。フランシスコの血族はことごとく死んでいた。生き残ったのは、素早く屋敷から逃げたマリーアだけだった。
 お抱えの弁護士が、フランシスコの遺言状を公開した。誰になんの資産を残すかが、事細かく記してあった。相続者が亡くなった場合の処理もあった。その結果マリーアは、森の城と多くの会社を相続することになった。
 フランシスコの親族という障害は取り除かれた。マリーア自身も、祖父の遺志を継ごうと決めた。祖父の死を間近に見たことで、能力を持った誰かを待つのではなく、自分が行動すべきだと彼女は考えたのだ。
 問題は、島の開発をどのように継続するかだった。マリーアがフランシスコの役をできるわけではない。協議の末、マリーアを後継者として担ぎ、生き残ったフランシスコのスタッフたちが、そのまま業務を引き継ぐことに決まった。マリーアと彼らは面識があり、何人かは彼女の家庭教師も兼ねていた。
 イバーラ家の問題は、そうして決着する。部外者であるレオナルドとアルベルトは、やることがなかった。レオナルドは祖父母のもとに戻った。アルベルトは離れの工房を使い、化石の調査を続けることにした。
 瞬く間に数日が過ぎる。暴動は、首謀者のペドロが死んだことで立ち消えになっていた。また多くの死者が出たせいで、それどころではなくなっていた。島に転がった無数の死体は、無造作に集められて火をかけられた。死体はいずれも損壊がひどかった。暴動で死んだのか、虫に殺されたのか分からない。殺人の検証よりも疫病の発生が心配された。そもそも数が多すぎた。
 レオナルドは、いくつかの死体を見て回る。虫の痕跡は見つからなかった。全ては幻のようだった。呪術の証拠といえるものはなかった。集団催眠でも発生したようだった。
 島の警察や政治家は、全てを闇に葬ると決める。目撃者たちの証言は混乱を極めていた。また警察官の少なからずの者が、暴動に参加していた。全てを法の下で裁くのは困難だと判断される。隠蔽が許される島の閉鎖性も拍車をかけた。反体制運動の首謀者が消えたことで、体制側の望むように全ては運ばれた。

 帰還の日がやって来た。
 レオナルドは祖父母とともに町に向かう。多くの建物が暴動の傷跡をまだ残している。ガラスは割れ、看板は砕け、棚は壊されていた。しかしどの店も、もう商売を始めていた。この地方は豪雨がよくある。そのたびに水浸しになったり、商品が流されたりする。人々は破壊や混乱に慣れている。町は賑わい、人々は陽気に語り合っていた。
 町のそこかしこでセミの人形が飾られていた。木を削りだして、極彩色に塗装した派手な人形である。それが先住民たちの呪術に根ざしたものであることをレオナルドは知っている。しかし人々は、そんなことを気にせず、新しい祭りの準備を楽しんでいた。
 多くの死者が出たから、祭りをしなければならない。レオナルドは、そうした島民の考え方を祖父から聞いた。この祭りのために、イバーラ家が多くの私財を投入したことをマリーアから教わる。町は死の時間から再生しつつあった。
 広場へと続く石畳の道を歩く。道の端には多くの雑草が生えていた。それらのほとんどが外来種であることをアルベルトに聞いて知った。島は今では入植者たちのものになっている。過去にいた人々は死に絶え、新たな生き物たちが大地を覆い繁栄している。だからといって、消えた人々や生き物に価値がなかったわけではない。いずれ全てが再び置き換わるかもしれない。それでも、そのとき、その瞬間を生きることに意味がある。
 広場に来た。暴徒たちが集まっていた場所では、祭りの飾りつけが進んでいる。人々の顔に悲痛の色はない。彼らは、あるがままを受け入れていた。人生を謳歌していた。そこには絶望ではなく希望があった。
 港に着いた。小型の船が多く泊まっている埠頭に、ひときわ大きな桟橋がある。本土と往復する連絡船が停泊している場所だ。そこにアルベルトとマリーアが、見送りのために来ていた。
「やあ、いよいよ帰るんだね」
 潮風に吹かれながらアルベルトが尋ねてきた。アルベルトは少し寂しそうに笑顔を見せた。
「ええ、この船で戻ります。いろいろとお世話になりました」
 レオナルドは、アルベルトと固く握手を交わした。
「アルベルトさんは残るんですよね?」
「ああ、論文を書きまくらないとね。この島の地層は宝の山だ。調査の区切りが着くまでに十年以上かかるんじゃないかな。イバーラ家も研究を支援してくれることを約束してくれた」
 アルベルトは、マリーアに感謝の言葉を述べる。
「マリーアは?」
「おじいさまの後継者として、島の開発に力を入れるつもりよ。どれだけ上手くいくかは分からないけど、それがおじいさまが本当に望んでいたことでしょうから」
 少女だと思っていたマリーアの声は、威厳に満ちていた。そこにいる少女は、もう大人に庇護される子供ではなかった。自らの人生を捧げて、仕事を成し遂げようとする意志に溢れていた。レオナルドは、マリーアの少女時代は終わったのだと感じた。
「ねえ、レオ。島に残って、私たちの仕事に協力してくれない?」
 マリーアは、期待の眼差しをレオナルドに向ける。レオナルドは笑顔を見せて、首を横に振った。
「仲間が待っている。僕は、僕の人生に戻るよ」
 寂しそうな顔をしたあと、マリーアはうなずいた。彼女は、祖父が約束したとおりに高額な報酬を支払ってくれた。その金額は、エクリプス・メイトが抱える負債の大部分を解消してくれるものだった。
「じゃあ、船に乗るから」
 レオナルドは二人に別れを告げる。そしてタラップの前で、祖母と祖父に向かい合った。
「あなたが帰るのは、とても寂しいわ。料理を作って待っているから、また必ず来るのよ」
 祖母は別れを惜しむように、何度もレオナルドの体を抱き締めた。
「レオ、大変だったな」
 祖父が、厳粛な顔をして声をかけてきた。
「うん。でも、どうにか無事に戻ってきた」
「落ち着いたら、また来なさい。いつでも歓迎するよ」
「ありがとう」
 レオナルドは祖父と固く握手をして、タラップを上る。
 船が動きだした。桟橋にいる人々に手を振り、レオナルドはリベーラ島をあとにした。人の姿が小さくなり、港は豆粒のようになる。ほどなく島は遠ざかり、海の中の染みのようになり視界から消えた。
 船室に入ったレオナルドは、座れそうな場所を探す。部屋には多数の客がいる。出稼ぎに向かうのか、大きな荷物を持っている男性がいる。本土に買い出しに行くのか、多くの袋を抱えた中年女性がいた。果物をかごに詰めて売ろうとしている者もいる。それらの中に、スーツを着た人や、本を読んでいる人たちがいた。フランシスコが集めた技術者たちだ。彼らは本土とリベーラ島を往復しながら、島の開発に貢献している。彼らのような人間たちが、徐々に島の近代化を成し遂げていくのだろう。
 レオナルドは端の方に腰を下ろして、ノートパソコンを出した。トラックパッドを操作して、船の無線LANに繋ぐ。ビデオ会議ソフトを起動して、仲間たちの姿を表示した。もう少し経てば、彼らと直接会うことができる。そのことをレオナルドは心から喜んだ。
「帰ってくるらしいな。首を長くして待っているぜ」
 BBが、おどけた調子で言う。
「早く帰ってきてね」
 アン・スーが、恥ずかしそうに声を出す。
「レオ。そろそろ新しいプロダクトを作り始めようじゃないか」
 クレイグが優しい口調で話した。
「ねえ、クレイグ。今度の旅は、どんな旅になるの?」
 レオの質問に、年上の友人は嬉しそうな顔をする。
「分かってきたようだね、人生の楽しみ方が。そう、僕がやりたいのは、移動ではなく旅だ。僕はね、約束された成功者には興味がない。でも、まかり間違って成功するのは嫌いじゃない。そのとき同じ船に乗っているのは、成功して当然と考えている奴ではなく、喜びを共有できる人間がいいと思っている」
 クレイグは笑みを浮かべる。
「じゃあ、まかり間違って成功しよう。大いなる敗北を糧にして、新たなビジネスを始めよう」
 レオナルドの言葉に、クレイグが、BBが、アン・スーが同意する。レオナルドは仲間たちと、次の旅のことを話し合った。
 船は揺れている。船内にアナウンスが流れる。
 そろそろ本土に着く。その光景を楽しもうと思い、レオナルドは甲板に上がった。
 陸地が近づいてくる。往路で見たはずの景色は、以前とは違うものに感じられた。まるで新しい目を手に入れたようだ。心が変わったせいだろう。レオナルドの前には、輝く世界が広がっていた。

 了
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