◆第四十話 メソアメリカとリベーラ文明

文字数 3,514文字

「くそっ」
 レオナルドは壁を蹴って怒鳴った。
 ギレルモに殴られたあと、母屋の自室に押し込められた。扉の外には兵士がいる。これでは工房に行けない。ギレルモが拷問するのを、みすみす見逃すことになる。問題は拷問だけではない。ギレルモは、呪術の存在を受け入れていない。有効な話を聞き出せるとは思えなかった。
 ひとしきり罵声を放ったあと、レオナルドは冷静になった。落ち着きを取り戻した頭で、これからのことを考える。どうにかして部屋を抜け出して、チマリに会いに行く。ギレルモの拷問を止めて、自分が情報を引き出す。
 レオナルドは扉に近づき、少しだけ開けた。赤い陽光を受けた兵士たちがいる。脱出することはできない。外部と連絡を取るためにノートパソコンを開く。LANケーブルを繋ぎ、工房内で使っていたグループウェアを立ち上げた。
 ――ギレルモに軟禁されている。先住民が屋敷に連れてこられた。チマリという老人が、拷問を受けそうになっている。先住民に会って話を聞きたい。
 アルベルトにメッセージを送信したあと、ビデオ会議ソフトを起動した。BBがログインしていたので呼び出す。ウィンドウの中に、スナック菓子を食べている男の姿が映る。
「BB!」
「どうした?」
「軟禁された!」
「ははっ、そりゃあ、面白いことになっているな」
 BBは他人事だと思い、盛大に笑い声を上げる。
「今日、先住民に会った。その一人が今から拷問を受ける。僕はここから抜け出して、拷問を止めるつもりだ」
「おうおう、アクション映画の主人公みたいになってきたな。おまえはステイツの冴えないナードだぜ。無茶なことをするなよ」
 呆れたようにBBが言う。レオナルドは、昨日から増えた情報として、フランシスコの足のことや、沼で聞いた話を伝えた。
「なるほどな」
 BBはすぐに、レオナルドの体験を受け入れる。クレイグやアン・スーなら、こうはいかない。オカルトマニアのBBだからこその反応だ。
「呪術についてBBの知恵を借りたい。どうせ、昨日話を聞いて、関連する情報を片っ端から調べたんだろう?」
 レオナルドが告げると、BBがにやりと笑った。
「俺なりに考察したリベーラ島の文明について教えてやるよ」
 スナック菓子を口に運んだあと、BBはいつもの調子で説明し始めた。
「まずは歴史をたどろう。アフリカを起源とする人類は、一万五千年ほど前にシベリア東端部に達した。そして寒冷化で陸になっていたベーリング海峡を越えてアメリカに進入した。アメリカ大陸における最初の文化と言われているクローヴィス文化の登場は、北米で一万三千五百年前。チリ南部のモンテベルデ遺跡は一万二千五百年前。人類は徐々に南に進み、およそ千年でアメリカ南端まで広がった。そして紀元前二千年頃から定住農村村落が成立して、文明が勃興し始めた」
 いきなりの人類規模の話に、レオナルドは目を白黒させる。
「紀元前千二百年頃には、巨石人頭像で有名なオルメカ文明が、メキシコ湾岸地方に現れる。この文明は、紀元前後まで続き消滅する。
 少し遅れてメキシコ南東部などのユカタン半島に、マヤ文明が栄え始める。彼らは紀元前四百年頃には大建造物を作るようになる。そして、群小都市国家の緩い連合として推移して、十六世紀にスペイン人の侵入で終わりを迎える。
 このようなメキシコを中心とした地方をメソアメリカと呼ぶ。オルメカのあった地は、のちにテオティワカン、アステカが栄え、スペイン人に占領されることで独自の文明は終結する。メソアメリカの文明は、いずれも暦や数学が発達していた」
 数学という言葉が出てきた。リベーラ島との共通点があるかもしれない。
「この地方から南に目を移すとアンデス地方がある。この地には、紀元前後から八百年頃まで、地上絵で有名なナスカなどの文明が並立する。そして十三世紀頃にクスコ王国が誕生して、やがてインカ帝国になる。インカ帝国は最終的にスペインによって征服される。
 文明や文化は、完全に孤立して成立することはまれだ。周囲の大文明に大きな影響を受ける。その影響を考えることが大切だ。
 リベーラ島は地理的な関係から、南の大文明ではなく、メソアメリカの大文明の影響を受けたと考えられる。石像の加工技術や数学への造詣は、島の生産力だけでは難しいと思われる高度なものだ。なんらかの人的な交流があったのだろう。あるいは、オルメカやマヤの人間の一部が、リベーラ島に流れてきたのかもしれない」
 ようやくリベーラ島に話が繋がった。
「もし、リベーラ島の文明が、メソアメリカの大文明の影響を受けていたのならば、文化も似ていたはずだ。そして、支配者層の様式も、これらの文明に類似していたと推測できる。
 というわけで、メソアメリカの文化について少し話をしよう。メソアメリカでは、その文明の終焉まで、強大な帝国は現れなかった。密林による交通や輸送の不便という地理的な制約が、この地の文明を特徴づけた。
 このような土地で重要になったのは、少量でも効果を発揮できる威信財だった。翡翠などの宝石、美しい鳥の羽、高度な加工を施した工芸品などが、支配者の権威を高めるために活用された。
 そうした社会的な背景があるため、オルメカの文化は、工芸品によって周囲の文化に影響を与えた。近傍で発生したマヤでは、貴族が工芸品を作っていた。この地では、制作活動自体が超自然的な意味を持ち、貴族が職人と神官を兼ねていた。そして彫刻や宝器、様々な工芸品の制作をおこなっていた。
 リベーラ島の先住民も、似た文化や社会構造だった可能性が高い。そう考えると、聖地の化石は貴族の手によって管理され、石像のモチーフにされた。あるいは装飾品に加工されたと推測できる。
 それだけではない。この地の数学と呪術は、石像の製造とともに貴族の特権的な知識や技術だったはずだ。彼らは被支配者に生産を担わせ、自らは超自然の力の解明に努めた。その知識が支配者の威信を高め、人々を服従させることに役立った。
 そして時を経てリベーラの民は衰退した。火山の活性化により、聖地が閉鎖されたことは大きな変化だった。そのせいで貴族たちの権威が失墜したのかもしれない。あるいはそれ以前に、緩やかな滅びの時代に入っていたのかもしれない。
 現在残されている情報から分かることは、百年前には既に栄華は失われていたということだ。そして五十年前に、わずかな生き残りが虐殺に遭った。その結果、リベーラ島の文明は消滅してしまった」
 BBの考察を聞いたレオナルドは、失われた文明を想像する。虫の石像や化石の宝飾品を作る貴族たち。呪術と数学が混交した世界。そこでは貴族が、工芸と呪術と数学を担っていた。そして、その末裔たちは、太古から受け継いだ知識を使い、復讐のために島民を全滅させる呪術を行使した。
「ねえ、BB。リベーラ島の文明は、呪術以外、ことごとく滅んでしまったんだよね」
「そうだろうな。そして、これが最後の輝きだろうな。まるでロウソクだよ。消える直前に、ぱっと明るくなる」
 BBは、手を顔の前で開いて、にやにや笑う。その様子を見たあと、レオナルドは沈痛な面持ちをした。
「この島は、他の文明に置き換えられたわけだよね。僕たちのコードエクスチェンジと同じように」
 二人のあいだに沈黙が横たわる。レオナルドたちの製品は、圧倒的な優位性を持つ相手の登場で無価値となった。
「リベーラ島の文明は、価値がなかったのかな?」
「そんなことはねえだろう」
「彼らが残したものは、島民を皆殺しにするという呪術だけだよ」
「あのなあ、レオ。おまえがどう思っているのか知らねえが、俺は楽しかったぜ、この一年間がな。俺は、そのとき、そのときが楽しければそれでいいんだ。先住民たちも、そうだったんじゃねえのか? まあ、最後に残った奴らは悲惨だがな。でも人生なんて、そんなもんだろう。どうせ最後は死ぬんだ。それまで暇潰しができれば十分だよ。人生にも文明にも、そもそも価値なんかねえんだよ。おまえに欠けているのは、ありのままの自分を楽しむ心だよ」
 BBは、レオナルドの悩みを嘲笑うように、げらげらと笑った。
 ノートパソコンの画面に変化が生じる。クレイグがログインしてきた。どこかのカフェにいるようだ。スーツ姿で悲痛な顔をしている。
「どうしたのクレイグ?」
「僕は痛ましいよ。こうした事件を見るのは」
「どういうこと?」
「レオ。リベーラ島の町が、大変なことになっている」
 クレイグがURLを送ってきた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み