◆第四十八話 夢の世界からの侵略者

文字数 1,752文字

 銃声を聞いた兵士たちがやって来た。マリーアが事情を説明して、警護してもらいながら母屋に行く。正門の様子が見えた。人々の怒声も聞こえてきた。
 鉄柵でできた正門は、固く閉ざされている。兵士たちが銃を持ち、壁外の地面や空に向けて、銃声を轟かせている。門の周りでは、塀を乗り越えている人がちらほらといた。何人かが、近くの櫓から銃撃されて落下する。まるでゾンビ映画で、動く死体を防いでいるみたいだと、レオナルドは思った。
「怖い」
 レオナルドはマリーアを見る。彼女の顔は青く染まっている。マリーアは両親を島民に殺された。そのときの記憶が蘇っているのかもしれない。
 建物の入り口まで来た。警護してくれた兵士が、扉を守る兵士にマリーアとレオナルドのことを伝える。二人は通され、屋敷に入った。
「イバーラさんの部屋を目指そう」
 レオナルドの言葉にマリーアはうなずく。二人は、広い廊下を駆ける。視線の先に、フランシスコの部屋が見えてきた。
 重厚な扉が開いていた。その前にいるはずの兵士がいない。なにかがおかしい。まずいことが起きているのでは。フランシスコのもとには、ギレルモが先に行っている。ギレルモが、フランシスコに危害を加えるはずがない。しかし嫌な予感がする。
 そのとき、大きくて低い音が鳴り始めた。まるで、無数のコントラバスを同時に弾いたような低音。音は周囲の空気や窓ガラス、そしてレオナルドの体を激しいまでに震わせる。
 レオナルドとマリーアは、立ち尽くして耳を塞いだ。建物全体を揺るがす轟音が続き、徐々に収束していった。大きさや高さは違うものの、それはセミの声だった。しばらく静止したあと、レオナルドは扉に向けて歩き始めた。
 扉は開いているが、見える場所にフランシスコの姿はない。心臓が破裂しそうな勢いで鳴っている。フランシスコはどうなったのか。レオナルドは拳銃を抜いて、室内に足を踏み入れる。
 見慣れた光景が視界に入って来た。広い部屋に、簡素な調度品。壁の一画には昆虫標本が並んでいる。一人の老人の美意識で統一された空間は、見る者の背筋を伸ばす快い緊張感に支配されている。
 しかし、今日は違った。好感とは反対の強い嫌悪を感じた。
 窓際に車椅子があった。上に乗っているのはフランシスコだ。手足があったところがしぼんでいる。破れた服の場所には、トルコ石を思わせる水色の虫が何匹も取りついている。二十センチメートルほどの、ずんぐりとした体。半透明の薄い羽。顔の左右に突き出た目は、丸くドーム状になっている。複眼のあいだに、つるりとした額が口へと伸びている。そこから鉄のストローを想起させる口吻が飛び出ている。それは化石の中にいたセミだった。イシキリゼミと同じ色で、大きさの違う巨大ゼミだった。
 車椅子の横に転がって足掻いている男の体があった。ギレルモだ。頭にセミが取りついている。セミはトゲのついた足で頭部に取りつき、注射針のような口吻を右目に突き立てている。本来、木に穴を開けて樹液を吸う器官は、人をたやすく傷つける凶悪な武器になっていた。
 部屋には自動小銃が見当たらない。入る前に兵士に預けたのだろう。ギレルモは丸腰でフランシスコに会い、素手でセミと対峙した。そして、襲われて叫び声を上げた。兵士たちは職務を全うするために扉を開け、この光景を見て逃げ出したのだ。兵士たちは金で雇われただけだ。フランシスコに絶対の忠誠を誓うギレルモとは違う。扉の前に誰もいなかった理由が分かった。
 ジィィィィィィィィィ。
 セミは羽を震動させる。低く唸るような音が徐々に大きくなっていく。複数のセミが呼応するように求愛の声を発した。先ほどよりも近い場所にいる。鼓膜が破れそうだ。レオナルドは耳を押さえる。押しつぶされそうな音圧の中、どうするか必死に考える。
 ギレルモから助けるべきだ。生き残る可能性が高い者から救おう。音がやんだ。レオナルドは膝を突き、セミだけを撃ち抜く角度で銃を構える。発砲音とともに体液が飛び散り、ギレルモが解放された。ギレルモは顔面を押さえてのたうっている。
「マリーア。内線でお医者さんを呼んで」
 屋敷内には弁護士だけでなく医者もいる。マリーアは机に走り、電話を手に取った。
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