第3話:ソニープレステ誕生と大ヒット

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 頓挫した商品と同一名は縁起が悪いという意見もあったが、既に全世界ベースで商標権を登録していた。新しい商標にするには調べるだけで半年かかるため、そのまま同一のプレイステーションの名称が採用された。

 しかし、こんな内容は、ソニーの若手社員の如月達夫の耳に入る事もなく、上層部の判断でプレイステーションが、秘密裏に新発売の日が、近づいてきた。そんな中、時間は、瞬く間に過ぎていき夏が終わり10月を迎えた。

 この頃、ソニー・コンピュータエンタテインメントの社内で、何か、凄い、マシンが、発売されるかもしれないというとささやかれた。その噂がソニー・コンピュータエンタテインメントでも語られる様になった10月27日、この高性能ゲーム機が、新発売された。

 正式商品名、ソニー・プレイステイション価格は、39800円、発売日は、同年12月3日であることを発表、サードパーティは、240社、初回出荷10万台、年内30万台、半年後100万台の出荷予定。

 その後、初回出荷分の10万台は、すぐに完売。翌年1月19日、ソニー・コンピュータエンタテインメント・ヨーロッパを設立。5月第4週には、日本国内の生産出荷台数が、100万台達成、同年内に200万台達成した。

 5月29日「SCPH-3000」を同年7月21日に29800円で発売することを発表。アメリカでは同年9月9日に299ドルで発売予定、ヨーロッパは秋頃予定。7月21日「SCPH-3000」を日本国内29800円で発売。

 9月9日、アメリカで299ドルで販売開始。1995年9月29日、ヨーロッパでプレイステーションが発売。1996年5月末、アメリカで販売価格を199ドルに値下げ。6月4日 「SCPH-5000」を同年6月22日に発売。

 価格を19800円にすることを発表。世界累計出荷台数は、500万台。9月5日~8月21日までに世界累計出荷台数は720万台に達したと発表。日本が、350万台、アメリカが210万台、ヨーロッパが160万台。

 10月23日、香港・シンガポール・タイ・マレーシアで「SCPH-5003」を1996年12月初旬から発売した。その価格は、それぞれ1500香港ドル、280シンガポールドル、6400バーツ、580リンギットになることを発表した。

 1996年11月30日、世界で生産出荷台数が1千万台を達成したと発表。日本が、420万台、北米が、345万台、欧州が235万台。翌97年1月9日、日本で生産出荷台数が、500万台を達成したと発表。3月末、世界で生産出荷台数が1350万台を達成。

 5月から月産150万台に増産。6月11日、5月末に世界で生産出荷台数が、1650万台を達成したことを発表。日本は750万台、北米は480万台、欧州は370万台。8月26日、世界で生産出荷台数が2千台を達成したことを発表。

 日本は850万台、北米は640万台、欧州は510万台、11月に月産200万台へ増産。11月1日。「SCPH-7000」を18000円で発売することを発表。12月1日、12月中に日本で生産出荷台数が1千万台を達成を発表。

 12月31日、日本で生産出荷台数が1千万台を達成。1998年2月5日、世界で生産出荷台数が3千万台を達成したと発表。日本は1065万台、北米は1075万台、欧州は860万台、32ビット機以上で日本57%、北米53%、欧州65%のシェアを獲得。

 3月末 世界で生産出荷台数が3282万台を達成。6月末3732万台を達成。8月21日、4千万台を達成、12月21日、5千万台を達成。1998年7月25日、和歌山県園部で開かれた自治会の夏祭りで、ヒ素が混入されたカレーライスを食べた住民が吐き気や腹痛を訴え、4人が死亡。

 その他、63人が病院で手当を受けた。主婦の林眞須美「はやしますみ」が、被疑者として逮捕・被告人として起訴され、殺人・殺人未遂・詐欺の罪に問われた。しかし、最高裁で死刑判決が出たが、林は、第2次再審請求をして服役中である

 1998年の日本は戦後最悪の経済状態に陥り経済成長は戦後最大のマイナスを記録。企業のリストラ、倒産から失業率は最悪となり、雇用不安が強まった。
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