第4話:子供の成長と投資開始

文字数 1,749文字

 物価下落が企業収益の悪化を招き、不況へと連鎖するデフレスパイラルに落ち込む危険性が叫ばれ、「平成大不況」という言葉が、巷では、ささやかれていた。その象徴的出来事として、1998年の日本経済で最も注目を集めたのは、日本長期信用銀行の経営問題だった。

 住友信託銀行との合併交渉、公的資金投入の是非をめぐる与野党対立。債務超過認定を経て、10月に金融再生法に基づく特別公的管理「一時国有化」適用で決着。12月には同じ長期信用銀行の一角、日本債権信用銀行も特別公的管理に移行した。

 さらに大蔵省と日銀の現役職員が接待などの見返りに、検査情報を漏らすなどした一連の汚職事件が相次ぎ表面化した。逮捕者は計5人にのぼり、蔵相、大蔵事務次官、日銀総裁、副総裁が辞任に追い込まれ、金融行政への信頼は失墜した。

 つまり、最悪の経済状態で、経済、金融界を取り締まるべき大蔵省役人、日銀の現役職員が接待で癒着した。その結果、金融システム再生に向け、借り手を保護しながら破たん銀行を処理する金融再生法と公的資金による資本注入で経営基盤を強化する早期健全化法が成立。

 両法の成立により、金融安定化のための公的資金枠はそれまでの30兆円から60兆円に達した。こんな、政治家、官僚、財界、企業の尻ぬぐいに国税を使ったのである。まさに、真面目に仕事をしてる国民を愚弄していたのだ。

 失敗しても誰も責任を取らないという無責任社会が、世界で通用しないが、日本では、立派に通用していたのである。真面目に働く国民が、馬鹿を見る、社会構造が、この頃、できあがったと言っても過言ではない。ここから、しらけ時代と呼ばれるようになったのかもしれない。

 やがて1999年となり1月1日、欧州統合の「深化」の切り札とされる欧州経済・通貨統合「EMU」の下で、単一通貨ユーロが誕生した。欧州連合「EU」各国による財政の健全化など長年にわたる周到な準備が実った。

 これにより国際通貨システムは米ドルとユーロの2大通貨体制の確立に向けスタートを切った。1999年には、4月には、長男の如月勝男が、地元の小学校に入学し、友達と一緒に通い始めた。それを羨ましそうに妹の薫子が、眺めていた。

 そして2000年を迎えた。初詣に行き安産のお礼と家内安全を祈願してきた。そして薫子も同じ小学校に登校し始めた。今年は過去に例を見ない厳しい雇用情勢が続いた。総務庁の労働力調査では、6、7月の完全失業率が史上最悪の4.9%を記録。

そのため300万人を超える人が失業の憂き目にあった。90年代を通じて不良債権に苦しみ続けた邦銀が、金融ビッグバン時代での生き残りをかけ共同持ち株会社設立や合併による再編戦略を相次いで打ち出した。1999年8月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が経営統合を発表。

 10月には、住友銀行とさくら銀行の旧財閥系2行も合併で合意した。また、自動車業界の国境を越えた再編の荒波は、98年11月の独ベンツと米クライスラーの「世紀の大合併」に続き99年3月、経営不振の日産自動車と日産ディーゼル工業は自力再建を断念、

 事実上、仏ルノーの傘下に入った。この頃から、今まで急上昇したインターネット関連株が、急降下を始めた。その代表が、光通信株であった。2000年3月30日、光通信の株価が78800円であったが、翌31日、ストップ安1日目、値つかず、73800円。

 それが連続し4月13日、ストップ安10日目、値つかず36800円と続いた。しかし、それでは終わらず4月19日、ストップ安14日目、値つかず25800円。4月27日、ストップ安14日目、値つかず、13800円。そして、取引15日目にして、15800円の株価がついた。

 その後、光通信株は、14日連続ストップ安の新記録。2000年3月30日の株価78800円が、4月27日の株価が13800円となった。とても信じられないような出来事が、実際に起こったのである。

 これを見た多くの投資家は、震えあがった。値下がり率は、-82.5%と言う信じられない記録を作った。この情報を知った、如月達夫は、この頃、ヤフー株を買いたいと思っていたが、光通信の状況を見て震え上がり株投資をやめようかと考えた。
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