第7話:猛暑の中、信州、大町へ

文字数 1,724文字

 最初に行って岡の上から諏訪湖や八ヶ岳の景色を眺め広場にあるカフェで、一休みした。子供たちは遊具で遊び、11時過ぎに出発して宿泊する諏訪湖畔の宿にチェックインした。ホテルで昼食を食べて、天然温泉に入ってから諏訪湖畔を散歩して疲れたので、部屋で仮眠したり一休みした。

 16時前に父、が観光パンフレットを見て、高島城見学に行かないかと言い出かけた。車を駐車場に置いて、お濠にかかった橋を渡り城門をくぐり、高島城内へ、天守閣まであると奥さんが、あー、富士山だと指を指した。まさか、父が言いながら南を見るとまさしく富士山である。

 もちろん何枚も写真を撮った。しかし高島城は、城としては、比較的小さな天守閣だけで他に見学すると所は、お濠、位だった。すると地元の人らしい一団が、ここは、桜の季節が、一番良いと教えてくれた。17時半頃、車でホテルに戻り、夕食の会場へ行き、バイキング形式の夕食を食べた。

 翌日、朝食後、ホテルをチェックアウトして8時半に出発して、9時半過ぎ大町山岳博物館に到着。早速、3階の北アルプス「飛騨山脈」、中央アルプス「木曽山脈」、南アルプス「赤石山脈」とともに国内を代表する山岳地帯であり、そのジオラマ「模型」を見た。

 その後、窓の前に広がる北アルプス、後立山連峰の雄大なパノラマ風景を望遠鏡で楽しんだ。大町市内には、黒部ダムや立山黒部アルペンルートをはじめ、高瀬渓谷や仁科三湖、スキー場やキャンプ場、文化財や博物館があり、豊富な温泉にも恵まれて、四季を通じて、いろんな楽しみがある。

 北アルプスは長野・新潟・富山・岐阜の四県にまたがり、奥穂高岳「3190メートル」を筆頭に標高2500メートルを超える高山を従える代表的な日本の屋根。ここでは、北アルプス北部の後立山連峰を中心に、大町市内に位置する標高2400メートル以上の山岳38座。

 そのうち30座の高山について詳細を説明している。さらに黒い山肌と白い山岳とかかわりのある雪によって形作られる残雪模様の雪形とそれに関連する地元、安曇野北部から大町市地方に伝わる民話について解説してあった。

 2階には、日本列島が、太平洋プレートやユーラシアプレートなどのプレート同士の衝突や離散の過程で激しい地殻変動を繰り返しながら今のような姿に成長してきたのではないかと紹介されていた。

 また、日本列島の成り立ちと糸魚川~静岡構造線と柏崎~千葉構造線に挟まれたフォッサマグナ、北アルプスの成り立ちについて解説してあった。1階には、大町は、山のまちの解説が書いてあった。

 日本の近代登山黎明期の明治末~昭和初期、この時代の近代登山の歴史を振り返り忘れてはならないのが、北アルプスの近代登山の隆盛を舞台裏で支えた地元地域の人の活躍。ここ1階の常設フロアーでは、「山のまち」大町の周辺で、山岳文化を育んみ活躍してきた各分野の人達を紹介していた。

 この地に住む、独特の生き物を展示してあった。多くの高山に住む動物「オコジョ」「ホシガラス」「」ヤマセミ」「ニホンザル「トキ」「ブッポウソウ」の剥製を直接見て身近に感じられた。なお、ブッポウソウは、里山などに住む美しい鳥で、日本はその世界分布の北端近くに位置する。

 日本が世界分布の最も北に位置するため、生息数はもともと少ない。それに加え、最近の森林の荒廃で、 餌となる比較的大型の昆虫が、多く生息する広葉樹林が、減少している。また、繁殖可能な比較的大きい樹洞のある木やキツツキ類のあけた穴のある木製電柱が、なくなった。

 そしてコンクリート製や鋼管製の柱に換わり近年急激に木製電柱が減少した。そして絶滅の恐れのある野生動植物の1つとして環境省の指定するレッドリスト・絶滅危惧IB類「EN」に指定されている貴重な鳥。その後、大町山岳博物館を後にして碌山博物館のある安曇野市穂高に向かった。

 萩原碌山、本名、守衛は、日本近代彫刻の創始者で1879年「明治12年」安曇野の農家に誕生。高等小学校を卒業した守衛は、家業の農業を手伝いをした。その後、新宿中村屋の創業者の相馬愛蔵と研成義塾を開いた井口喜源治を指導者とする東穂高禁酒会に入りキリスト教や芸術、文学を学んだ。
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