魔王の事情3

文字数 4,502文字



 漆黒の瞳に殺気の炎を灯して魔王を睨みつけてくる。それが魔王の知るキースだった。この妙な暮らしを始めてからは、まったく違う顔ばかり見せることに苛立ちを感じたりもしたが、やはりキースはキースだった。

「もう――お前を、殺す」

 右腕を剣で刺して封じてやったというのに炎を呼びだして魔王にぶつけようとするキースの顔は、魔王が良く知る殺意のそれそのもので魔王は思わず笑ってしまった。

 ――キースはこうでなければ。


 ただ一人、魔王が認めた人間だからだ。魔王に恐れ慄き跪く人間達の中で、いつも牙を剥いてきた男だ。吠えるだけなら他の人間共と同じだが、キースは違った。魔王を倒す力を持っていた。本気で魔王を殺す気でかかってきた。

 ただ一人、名を覚えた存在だった。

「お前の言う通り私が愚かだった。お前を生かした私が」
「そうだ、貴様は俺を生かした、何故だ。俺を乞うたのは何故だ?」

 魔王を殺そうと本気で思っているはずの男が一瞬、怯んだのを見逃すはずがない。人間を殺してほしいと思っているのだろう、それを認めさせれば与させることができる。キースを手に入れれば、もう一度人間界を制圧することも容易い。

 しかし勇者はやはり勇者だった。

 両手でなければ扱い切れぬほどの炎を呼びだし魔王にぶつけようとした。本気で焼き殺すつもりかと、魔王は舌を打つ。キースの体と呼び出されかけた炎を洞窟から外に投げ出したが、キースの左腕は焼け爛れたあとだった。

 キースから密かに吸い取り集めた魔法力は、魔王を完全にするには到底足りない。しかもこの戦いで使いきってしまったので、まだキースに死なれては困る。

「馬鹿か。しばらく両手を使えまい」

 おそろしく肌触りの良かった肌が焼け爛れて見る影もない。触れてみるとキースが微かに悲鳴をあげた。

「貴様の肌は悪くなかったというのに」
「っ――離せ」

 キースの息は切れ切れで炎で焼かれた肌は熱い。死にかけているのではないかと思う程なのに、尚、睨んでくる黒い瞳の炎は消えていない。どこまで忌々しいのか。その瞳が、そっと閉じられる。

 ――もっと、見せろ。

 その静かな炎を。
 顔を寄せると、キースはそろりと目をあけた。こんなに側でこの目を覗いたことはない。初めて見た時から気にいらないと思った。これまでに打ちのめしてきた魔族とて、こんな目で魔王を見なかった。一片の恐れも持たぬその光を、魔王は 

 ――美しいなどと。

 自らを殺したその光に見惚れるなどと、認める訳にはいかないのだ。

 ――っ、違う、俺はキースの目など、知らん。魔法力を、そう、魔法力を吸わねば。

 すぐ近くに簡単に体内を探れる場所があるではないか。魔王はキースの口を、自らの口でこじ開けて、その場所を吸った。

「っ、ん……!」

 キースのくぐもった声が聞こえる。
 その場所は触れたことのない程に柔らかく快かった。それから、甘い。

「ん、ぅっ――」

 キースからこぼれる声に、ぞくりと体が震える。今なら簡単に引き裂けそうな感覚に捕らわれて、苦々しく口を離すと、キースの濡れた唇が見えた。またぞくりと背中が震える。

「なんだ、これは」

 魔王はそうこぼしながら、無意識にまたキースの口を吸った。
 魔法力を吸えている感覚はない。指先を撫でた時ですらそれを感じられたというのに、今はそれを感じることができない。

 咥内に舌を滑らせキースの舌をとらえると、酷く甘く熱い。

 ――なんだこれは。

 魔法力を吸うにはその流れを繊細に追わねばならぬというのに、それよりもキースのくぐもった声や舌の甘さにばかり気が向いてしまう。

「ぅ、ん、ま、ぉぅ」

 僅かに口の離れた瞬間にキースが弱々しく魔王を呼んだ時には、体を駆け抜ける熱に呻いた。
 これは、情欲だ。

 ――キースに、だと?

 人間の女を試しに抱いた時は、すぐに壊れてつまらないと思った。それからは人間を抱こうなどとは思わなかったし、魔王の欲を煽るのはやはり魔族だけだった。それも人間界を手に入れる日々の中ではどうでもいいことの一つだった。
 それを、今、確かにキースに感じたのだ。

「何だ、これは」

 口を吸っただけだ。キースは口に何か欲を煽る薬でも仕込んでいるのか。

「貴様、説明しろ」

 目を閉じてしまったキースを揺らすが、全く動く気配がない。どうやら気を失ったのだろう。

「俺の前でこんな不様な姿を晒すとは」

 舌を打ちながら、キースを寝床に運び込む。このまま死なれでもしたら、自分も死んでしまうのだろう。そんなことは許さない。

 怪我をした人間をどう扱えばよいかなど、知らない。魔族よりも簡単に傷つき死んでしまうくせに、人間は傷を治す技術に疎い。魔界では薬師を訪ねれば三日とたたず怪我など治るというのに。
 魔界に通じる道は閉ざされたとキースを言っていたし、そもそも魔力が無ければ足を踏み入れることもできない。だとすれば、人間界のものでキースを癒さねばならない。

「確か、薬草を持っていたな」

 海岸の岩で足を切ったとキースがいつだったか薬草を塗って布を巻いていたことを思い出す。
 魔王は見よう見真似でキースの腕を布で巻いた。
 同じように焼け爛れた左手に薬草を塗ってみたが、キースが痛いと泣き叫ぶので、それ以上はやめておいた。火傷と刺し傷では薬が違うのかもしれない。

 キースの炎で魔王自身にも火傷がある。魔界で薬師が使っていた草に似ている木の葉を見つけて火傷に貼ってみたら良い感じだったので、キースにも貼り付けてやった。

 ――何故俺がこんなことをせねばならんのだ。

 妙に疲れてキースを見下ろすと、苦しげに眉を顰めて荒い息を吐いている。意識はない。さっき泣いたのも無意識に違いない。意識があれば、きっとキースはそこまでの醜態を晒さないだろう。
 まだ頬を濡らしている涙に触れると、キースの顔が安らいだ。

 それを見ていられなくなって、魔王は寝室を出た。
 殺したいと願っているはずなのに、安らいだ顔に安堵すら覚える。引き裂きたいと思っている肌が焼け爛れているのは、惜しいと思う。それから、また、あの唇に触れたいと、思ってしまう。

 魔法力を吸い取る為なのだ、何も躊躇することなどない。
 そう何度言い聞かせても、眠るキースに触れる度、体中を襲い来るのはただひたすらに情欲だった。組み敷いて抱くことは容易い。けれど、そんなことをするつもりはない。キースに欲情するなど、ありえないことだからだ。自分を殺した相手に抱くのは殺意の他にあってはならないだろう。

「キース、早く目を覚ませ」

 そしてこの状況を説明しろ。これはきっとキースの罠なのだから。



 どれくらいかの夜と朝を迎えた頃、キースはようやく元の調子を取り戻した。

「あの、色々、すみません、ありがとうございます」

 食事をする机の前でキースがそっと頭を下げた。魔王が刺した右腕は、もう微かに痛みを感じるだけで動くらしいが、火傷の左手はやはり動かないらしい。試しに果実を左手の前に置いてみたが、キースは右手でそれを取り口に含んだ。

 キースがもう少し弱っている時は、水と食料を口まで運んでやったことを思い出すと我ながら何をやっていたのかと思う。思い出したのか、キースが小さく笑った。

「私、鳥の雛みたいでしたね」
「ひねり潰せそうだったが」
「貴方、人間の看病までできるんですね、さすが人間界趣味」

 減らず口も戻ってきた。苛々はするが、それでも死にそうなキースよりは断然こちらがいい。いつ死なれるか分からなかったから、しばらくは洞窟にこもりきりだったが、この調子ならキースは大丈夫だろう。久しぶりに外に出ると、何故かキースもついて来る。

「何だ」
「外の空気吸いたいじゃないですか。どれくらいぶりです?」
「知らん。だいたい貴様のせいだろう」
「ソウデスネ、すみません」

 ふん、と鼻を鳴らして歩を進めると、やはりキースがついて来る。

「おい」
「私もこっちに用事です。水汲みたくて」

 魔王の後ろをキースが歩く。様子を伺うが、前と変わった所はないように感じる。

「貴方はどこに向かっているんです?」
「川だ」
「一緒じゃないですか」

 背中からキースの笑う声が聞こえる。また奇妙な生活が始まるのかと思うと辟易したが、不思議と嫌悪はなかった。
 川まで出ると、少し視界が開ける。一つ向こう側の山が見えるのだが、魔王は思わずキースを振り返った。

「おい、色が違う」

 山の色が以前と変わっているのだ。木々が生い茂っているから、この辺りと同じ緑だったはずが、今、目の前にあるのは所々黄色や赤に変わっている。

「ああ、この辺りは気候の変化があるらしいので、木の色が変わるんです」
「そんなことは知らん」
「貴方のいた大陸は気候の変化がなかったですからね。私もあの大陸育ちなので、詳しくはないんですが、寒くなると木の色が変わるとかそんな感じだったと思います」

「色が変わる、気候が変わる、悪くないな」

 やはり、人間界は面白い。

「必ず手に入れる」
「そんな事させるはずがない」

 後ろにいるとばかり思っていたキースがいつの間にか隣にいて、魔王の襟首を掴んでいる。あんなに弱っていたことが嘘のような殺気を含んだ目で睨まれて、ぞくりと背中が震えた。

 ――またか。

 キースの罠だと分かっているのに、湧き出てくる情欲に耐えきれず、顔を寄せて口を吸った。相変わらず、どの果実よりも甘い。

「――んっ」

 魔王の襟首を掴んだままだったキースの手を振り払って、お返しにその首を掴んでやる。うなじに爪を立てると、キースの体がびくりと跳ねた。魚のように跳ねる姿にまた情欲が走る。もっと見たくて、何度もうなじに爪を立てると、その度にキースは跳ねた。

「っ、ぁ」 

 声を聞くとますます煽られる。吸っていた口を解放して、そのまま喉に噛みついてやる。

「何っ、――やめ」

 柔らかく薄い肌に歯を立て、軽く噛む。やはりキースの肌は悪くない。

「やっ」

 情欲がおさまらない。このまま血でもすすれば満ち足りるのだろうか。まったく厄介だと魔王はキースを睨む。

「貴様、体に媚薬でも仕込んでいるのか」

 キースの体を突き放して魔王はそっと息をはいた。このままでは抱き潰したくなる。
 キースは魔王を睨んだままで、肩で息をしていた。

「そんな訳ないでしょう」
「そうでなければ何なのだ」

 以前は何でもなかったというのに、何故、今はこうもキースに欲情するというのか。キースの仕業でない訳がない。

「そんなの、私が教えて欲しいくらいだ」

 キースが小さく呟く声にすら煽られる。

 どうしてこうなるのかと忌々しく思いながら、魔王はもう一度キースの口を吸い上げた。
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