封印失敗?
文字数 3,489文字
そもそも、魔族は全ての体力と魔力を失うと灰となる。キースの施した封印は、魔王が崩れ落ちる刹那、灰から分離した「核」を魔法力で包み、キースの魔法力で織り上げた呪文の書内で保管するというものだ。「核」とは人間でいう所の魂のようなものだろうか。魔王の灰も同じように保管してあり、それを再び合わせることで封印は解かれる。
とはいえ、魔力がなければ魔族は存在を保つことすら難しい。キースは魔力の代わりに魔法力をもって魔王の封印を仮解除するつもりだった。それでどのくらいの形を保てるのか、文献だけでは分からない。
「ほんの少し青と銀が見られたらいいんだから」
自分が何をしているのか、頭の奥では「勇者」のキースが憤怒にかられ叫んでいる気がする。これは人間への背徳であり、共に闘い傷ついた仲間達への裏切りだ。「勇者」ではありえない行為だ。
それでも、魔法陣の上に灰をまく手は止まらない。何故、こうも魔王を乞うているのか自分でもよく分からないのだ。
――孤独には耐えられるつもりだったんですが。
自嘲する思いで、最後の呪文を口にする。
核が解放され、灰へと落ちる全てを、キースは瞬きもせずに見つめていた。
黒い核に灰がまとわりつき、うぞうぞと不気味に動く。これが見惚れる程の姿に変わるかと思うと不思議な気分にもなる。
――魔王は何というだろうか。
侮蔑をもって名を呼ばれたい、などと黒い感情が心を走ったが妙な昂揚感はすぐになえた。灰をまとっていた核の動きが一向にない。魔法力は十分に注いでいるはずで、問題なければ、もう魔王は解放されるはずなのである。
「これは、まさか」
確かに魔王を封印したのはあとにも先にも一度きりで。試したことすらもないのだけれど。
「封印、失敗?」
灰は核にまとわりついている。戻りたがっている。解除の失敗というよりは、核そのものに問題があると考えた方がよさそうだった。
「……私もまだまだ力不足なんだな」
後生大事に抱えていた書に、魔王はいなかったのだ。
ぞっとする喪失感が頭の先から足の先までを貫いていく。キースは全力を尽くせる唯一の存在を失ってしまったのだ。最早ありのままの自分でいられる瞬間などは訪れないのだろう。
「貴方だけが本当の私を分かってくれていたのですよ?」
動かない核を見つめながら、意味もなく魔法力を注ぐ。やはり魔力の無い世界で魔王が生きるなどということは無理なのだろう。
キースの魔法力を帯びた灰が核を包み少しずつ形作られていくが、これはキースの魔法力が作り出した砂人形のようなもので「偽物」だ。
――それでも、いいか。
元々姿が見たいだけだと呟いたのだ。
自分自身の作りだした偽物でも、最早構わない。
灰はみるみる形を持ち、異形を作り上げる。見たかった薄青の肌が、光を跳ね返して艶めく銀髪が、ひるがえる。それから。
髪と同じ銀の目が真っ直ぐにキースをとらえた。
どこか戸惑ったような視線にキースはもう一度絶望する。
――ああ、やはり偽物だ。
魔王はこんな目をしない。常に人間を見下す氷の視線で、それが揺れるのはキースと剣を交わす時だけだった。ここにいる「魔王」はキースの妄想が生んだ灰人形でしかない。戸惑いの目はキースの戸惑いそのものを映したのだろう。
「あー……その、何と呼びましょうか」
額に手を当て思考するキースに、魔王が答える。
「キース」
「いや、それは私の名です。貴方の名を聞いてるんですけど」
答えられるはずもないと知りつつも、つい、会話の真似ごとをしてしまう。キースの作りだしたものが、キースの知り得ないことを知るはずもない。
「知らん」
案の定、魔王はそう答えた。
「では、今まで通り魔王と呼びましょうか」
自分は何をしているのだろうと思う。
それでも。
――やはり、美しいな。
その姿に見惚れながら、キースはそっと息を吐いた。
◇
草のベッドで目を覚ますと、離れた場所で洞窟の壁を背に、美しい異形が目を閉じている。状況を把握するのに呆けたのは一瞬で、キースはすぐに思い出した。
――ああ、魔王の灰人形を作ったんでしたっけ。
意思はあるように見える。キースの命令にばかり従う訳ではない。しかし、それもキースの知る魔王を再現しているのだとすれば納得だった。
――まあ。これで良かった。
本当に魔王の封印を解くということは、人間への裏切りだ。あの時は魔が差したか、どうかしていたとしか思えない。偽物で、よかったのだ。
キースが立ち上がると、魔王もそっと目を開く。銀色の眼に視線でとらえられて息を飲むのは、まだ慣れないからだ。偽物だと分かっていても、その眼に以前の強さを見てしまう。
「おはようございます」
なんでもない顔で声をかけると魔王は鼻をならして視線をそらした。
何故ここにいるのか、などは昨夜簡単に説明してある。灰人形とはいえ、意思を持っている魔王がここに留まることを選ばない可能性もあったので、封印はまだ完全に解いていないこと、魔力の無い世界で魔王が存在できているのは封印によってキースの魔法力を魔王に分け与えているからだということを説明してあった。
どうやらそれで納得したのか、魔王は取りあえずまだキースの側にいる。この偽物をどの範囲まで自分の支配下に置くことができるのかは、これからおいおい確認する必要があった。
「眠らなかったのですか?」
どれだけのコミュニケーションが取れるかも知る必要がある。昨夜はほとんど口をきかなかったが、その視線は常にキースへと向かっていた。簡単な挨拶程度の会話くらいはできるかと思ったが、今朝も魔王は黙ったままだった。
――これから、かな。
そんなことを思って、ふとおかしくなる。どうやら自分はこの偽物とこの場所で生きるつもりらしい。寂しかったから、というのは理由にならない気がした。
この隠匿生活――というのが正しいかは分からないが――をするにあたって、師匠である魔法使いには断られたが、キースを盲信する者は沢山いて、誘えば喜んでついて来る者はいただろうと思う。けれど、キースはそれを選ばなかった。側にいるのが誰でも良い訳ではなかったからだ。
――だったら。この男だったらよかったと?
未だ壁に背をもたせたままでキースから視線をそらした魔王を見つめる。
「朝食にしましょうか。と、いっても木の実くらいしかないんですけど」
魔王は動かない。魔王の食生活など知らないが、きっと自分の食べるものと同じで大丈夫だろうと思う。なにせこれは、キースの作りだした者なのだから。
「一応、寝室と食堂は分けてあるんですよ。でも、今日はここで食べましょうか」
木の実を取りにいくのに魔王の前を通りすぎるつもりだった、が。
急に伸びてきた太い手がキースの手首を掴む。少しひねられたら骨が砕けそうな力だ。
「何、ですか」
先ほどまでそらされていた視線は、至近距離で真っ直ぐにキースをとらえ離さない。吸い込まれそうになる銀の眼に、心底感嘆する。
――ああ、会いたかった、のか。
孤独をまぎらす相手が誰でもいいから欲しかった訳ではなく。
――私は、これが欲しいのだ。
何故こうも魔王に固執してしまうのかなど、深く思考してはいけないと危険を知らせる本能だけが震える。それは非常に危ういことだと。欲しかったのだということだけが事実として分かれば今はそれでいい。
魔王を見つめ返して微笑むと、銀の目がすうと細められ、その薄い唇が震える。
「キース」
「何ですか。ああ、顔色が悪いですね、やはり昨晩眠れなかったせいですか」
軽口を叩くと自分のペースに戻れる気がする。偽物相手にこの体たらくならば、ますます封印は失敗していて良かったのだろう。
「しばらく寝ます?」
まだキースの右手首を掴んだままの魔王の手にそっと左手を重ねると、初めて魔王が口を開いた。
「あんな草でなど、眠れん」
それがどこか拗ねた子供を思わせて、キースは一瞬目を丸めたあとに声をあげて笑った。笑われた魔王は益々憮然としていたが、その姿が更にキースを笑わせた。
――偽物でも案外イイかもしれないな。
ひとしきり笑い声をあげたあとでキースは微笑んだ。
「では、ベッド作りからしましょうか」