ワグの事情
文字数 6,480文字
☆
昨日、オレは魔族のオーガに切りかかった。
この島にきて一カ月目、マリー様に言われていたのは「隙があれば魔族を殺せ」ということだ。実際来てみれば、魔族はおそろしいし怖いし、オレは剣が上達しないし、暗殺なんて高度なことは難しすぎた。キース様にはそんな黒いオレを知られたくなかったし、そもそもキース様はオレについていてくれたから、魔族と二人になる機会も少なかった。
昨日はキース様が海にいくというのでオレは腹が痛いからと洞窟に残った。魔族はオレが教えた方法で棚を作っていた。一度教えただけなのに、器用に作っていくのは驚いた。
変なヤツだと思う。魔族って、もっと別世界のとんでもないおそろしい異形だと思っていたのに、オーガの野郎は肌が青いことと耳がとがっていることくらいしか変わった所がないんだ。
料理はマメだし食器棚欲しいとか細かいし、そういう所はキース様の方が無頓着だ。一緒にいると段々分かってきたんだけど、キース様は色々なことに執着がないんだと思う。だから城からも出たんだろう。
魔王が倒れて平和になったって聞いて、オレはキース様を探した。やっとキース様がいるっていう城にいった時には、キース様は城を出たあとで、もう死んだという噂も聞いた。どうしても信じられなくて、キース様の仲間だった人達を訪ねたけど、誰もキース様の消息を知らなかった。
やっとマリー様にたどりついた時は嬉しかったな。マリー様は「キースは死んでいない」ってはっきり言ってくれたし、いずれ会わせてやるって約束もくれた。その約束もこうやって果たされている。
魔王を倒して世界を救った英雄なのに、なんでこんな島で魔族と暮らしているのか、心底分からなかったし、今でも分からない。分かるのは、キース様はこれを望んでいるということくらいだ。
変な人だなと思う。こんなに不自由な生活なのに、なんでかキース様は楽しそうだし、魔族と話をしながら嬉しそうにしていたりもする。この魔族を隔離するという目的でこの島にいるのに、魔族を迷惑と思ってないみたいで、まるで普通の人間を相手にするみたいにふるまう。
それがキース様の優しさなのかと思うと、益々偉大で尊敬するんだけど、オレは時々分からなくなる。
――魔族って、本当に悪いヤツだったのか?
魔王のせいでオレの村もなくなったし、仲間も死んだ。許せないと思ったし、殺してやるって何度も思った。魔族なんて全部悪いヤツだと思った。
けど、オーガみたいなのもいるって知ったら、分からなくなる。キース様が殺していないってことは、殺さなくてもいいようなヤツだってことだ。だから益々分からなくなる。それをキース様に相談してみたいけど、なんとなく怖かった。
だから、その疑問が深くなり過ぎる前にもう、殺してしまおうと思ったんだ。
棚作りに集中しているオーガの側にそっと寄って、剣を振り上げてその背中に突き立てた。
つもりだった。
オーガはオレが剣を振り下ろすのに合わせて振り向くと、オレの手首を掴んでそれを止めた。握りつぶされるんじゃないかと思うくらいの力で、やっぱりこれは魔族なのだと思い出す。
「この程度で俺を殺せると思っているのか」
オーガは笑っていた。オレなんか相手にならないって分かっていたけど、笑われると悔しい。もう一度剣を振り上げたら今度は手を弾かれて、剣は洞窟の壁にぶつかり金属音をたてて地に落ちる。
その時、狙っていたように、キース様が戻ってきた。
「キース、これが俺を狙ってきたぞ」
黙っててくれたらいいのにと一瞬でも思ったオレの想いが霧散していく。
まあ、どっちにしろ、いつかキース様にはバレてただろう。
腹をくくるしかない。オレはぎゅと手を握り締めて、キース様に頭を下げた。
「すみません」
「あー、いや、大丈夫ですか? 酷いことされてません?」
「え、いやオレがオーガに切りかかって」
「ええ、まあ、オーガの命を狙っているんだから仕方ないでしょう。君は大丈夫ですか?」
キース様がオレの手を取って、眺める。
「怪我はないようですね。しかし、まだ君には早いですよ。暗殺というのは一番難しい殺し方です」
「殺気がまるで消せていない暗殺などあるか」
「ワグはまだ修行中なんです」
キース様とオーガが交わす会話をぼんやり聞いていたオレだったが、すぐに我に返った。
「待ってください、え、オレのこと、知っていたんですか」
オレがキース様が殺さずに監視している魔族を殺そうとしていることを。キース様を裏切っていることを。
キース様はそっと微笑んでから、面白そうに言う。
「マリーにそう言われてるんでしょう? 本当、彼女は可愛い子には無理をさせるんです。悪趣味すぎる」
「それが可愛いか?」
「可愛いですね。少なくとも、私はとても可愛いと思いますよ。貴方だって珍しく褒めてたでしょうに」
「俺は褒めてなどいない」
「はいはい。とにかくワグ、君にはもう少し修行が必要ですよ」
キース様の笑みに、鼻の奥が痛んだ。どうしてそんな風に笑えるのか、オレには分からない。こんな人だから、ついていきたいと思ったし、側で剣を習いたいと思った。いや、本当は剣なんて言い訳で、ただ側に置いてほしいと思ったんだ。
「キース様、オレ、すみません、もう、こんなことはしません」
嗚咽をこらえてなんとか言うと、キース様が思いもしないことを口にする。
「いいえ、オーガの暗殺は諦めなくていいですよ。その為に修行しましょう。もちろん、オーガが簡単に殺されるとも思いませんから、大変ですよ」
「貴様、俺の前でよくも堂々とそんなことを言える」
「貴方の方がこういうのは得意なんじゃないですか? 殺気の抑え方なんかも教えてあげてくださいね」
「知らん」
「ベッドも棚も作って貰ってるでしょう」
魔族はキース様の言葉に声を詰まらせて、オレを睨んできた。オレのせいじゃないんだからそんな怖い顔をしないでほしい。っていうか、キース様すげー。
「おい、他に何を作れる」
不意にオーガから話しかけられて身構えたが、キース様が困った顔で目配せしてきたから、これには答えろということだろう。
「えっと、まあ、道具と人手があれば、最大で小屋くらいなら」
「小屋? 家が作れるのか! 作れ」
オーガがずいと身を乗り出してきて、キース様に首ねっこを掴まれた。本当にこういとこ、魔族と思えない。
「家がなくても洞窟で十分でしょう?」
「貴様は無頓着すぎる! 家が作れるなら、その方がいいに決まっている。ここは暗すぎると何度も言っただろう」
「貴方が贅沢なんです」
「貴様が無神経なんだ」
……なんだろう。痴話喧嘩に見える。魔族と勇者って、こんな風に口喧嘩するものだろうか。肌さえ青くなければ、ほとんど俺達と変わらないのに。それでもオレはこいつを殺すんだろうか。
「ワグ、いうことを聞かなくていいですよ」
「寝室だけでいい。作れ」
二人の声が重なって、オレはおかしくて大声で笑ってしまった。
「簡単な小屋しか無理っすよ」
「ワグ……君は優しいですね」
「大丈夫っす。そいつ結構器用だし、力仕事やってくれたら助かるし」
「ではオーガは代わりに暗殺の方法をワグに教えてくださいね」
オーガは嫌そうに顔をしかめたが、何も言わないのは肯定らしい。暗殺をする相手から暗殺の方法を教わるなんて意味の分からない話だが、なんだかそういうことになってしまった。こうやって魔族だって押し切ってしまう所も、キース様ってかっこいいなあと思った。
それからは結構忙しくなった。
午前中はキース様に剣技を教えて貰い、午後からオーガご所望の小屋作りをする。それはキース様も手伝ってくれて、毎日少しずつ形になっていった。大変なのは、キース様との約束を律儀に守るオーガが暗殺のことを教えてくれることだ。教えてくれるといっても、キース様みたいに丁寧な説明がある訳じゃない。突然後ろから殴られて
「殺気を感じろ」
一言で終わったりする。しかもそれを何度も繰り返すから、オレは大工仕事をしながら常にオーガのことを気にしてなきゃいけない。
そんな毎日を繰り返しているうちに、オレはへとへとになった。キース様には情けない姿を見せたくないから気を張っていたけど、キース様が用事でどこかへ姿を消した瞬間に気が抜けて、作りかけの小屋に寝転んでしまったりする。
「ああ、つらい」
うつ伏せに転がると、作ったばかりの床は木の匂いがして落ち着く。まだ床と外枠の骨組みを組んだだけだけど、やっぱり部屋という形があるのは落ち着くもんだ。これはキース様よりオーガが正しい。
瞬間、背中に気配を感じて慌てて転がると、オーガが斧を振り上げている所だった。
「こ、怖い!」
「分かったか、これが殺気だ」
そういえば、嫌な気配を感じて勝手に体が避けたんだった。オーガはその為に斧を振り上げたのだろう。マメなヤツだ、本当に。
「はい、分かったので、休ませてください」
頭を下げると、オーガは黙ったままでオレの隣に腰を下ろす。こんな風に気を許してくれたのは、初めてかもしれない。ちょっと、嬉しい。
「魔族も家とかあんの?」
会話は続かないのが普通だが、今日は機嫌でもいいのかオーガの口が軽い。短く返してくれる。
「ある」
「こんな木の家でもいいのかよ?」
「洞窟よりましだ」
そういえばこの間もそんなことを言っていた。暗いのが嫌だとかなんとか。魔族って暗い所とか好きそうなのにっていうのは、オレの偏見だったんだな。
「まあ、洞窟は嫌だなオレも。家がなかった時でも、よそん家の小屋に忍び込んだりしてたし」
村がなくなってからは近くの街でごみを漁ったり強盗をして生きてきた。家はなかったから、廃墟を見つけて忍び込んで暮らした。でも洞窟は、さすがにない。
「あんた、洞窟で暮らしてたとか?」
オーガはオレをちらと見ただけで何も言わない。質問に黙っているのは肯定らしいから、これは正解なんだろう。それも、あまりいい思い出じゃないやつ。
「ちょっと分かるかも。オレも家がない時、絶対にいい家に住んでやるっていつも思ってたし。あんたもそんな感じ?」
「……魔界では力が無ければ這いあがれない。それまでは洞窟住まいだった」
「這いあがったんだ? って人間界に来たってことか。すげえ迷惑だ」
そのせいでオレは家をなくしたんだ。一瞬、オレ達は似てるかもとか思ったけど気のせいだわ。だってこいつは魔族だ。世界が違う。
でも、家は作ってやってもいいという気持ちにはなった。
「じゃ、キース様が戻ってくるまでに、もうちょっと進めるか」
腰をあげようとした時、オーガに手を掴まれる。凄い力で引き寄せられてオーガの足の上に転んでしまった。
「何だよ!」
睨んだオレを、オーガがじっと見つめて目を細めた。
「キサマにも魔法力はあるのか」
なんか。顔が近い気がするんだけど。銀の目が怖い。よく見たら、顔が整ってる美形なんだなと今更思う。いや、顔、近くない?
そう思った瞬間に、口を塞がれた。オーガの口で。
え、ええ、え。
なんだ、これは。
ぽかんと開いていた口をオーガが乱暴に吸うから痛かった。空気を吸い取られていると気付いて、苦しさにもがいたら、オーガはすぐにオレを放して首を傾げた。
「本当に魔法力があるのか?」
いや、なんか、他に言うこと、あるだろう。
「まるで違う……なんなんだ、あれは」
多分独り言を呟くオーガはオレのことなんて気にも止めないで立ち上がり、舌を打っている。
いや、オレ、さっきキスされたんじゃないのか?
魔族に?
「ちょっと待て、あんた」
文句を言いかけてオレは言葉を飲む。いつの間に帰ってきていたのか、作りかけの小屋の外に、キース様が立ち尽くしていた。いつもと同じように穏やかに笑っているけど、なんか、こう、気配が、怖い。
「オーガ。貴方、何やっているんですか」
声だって穏やかだし、いつも通りだけど。オーガは気付かないのか、普通に会話なんてしてる。
「これには本当に魔法力があるのか?」
「マリーのところで修行しているんですから、並の魔法使いよりは高いですよ」
「そうは思えん。貴様と違いすぎる」
「――知りませんよ、そんなこと」
吐き捨てるように呟いたキース様は、そのまま背を向けてどこかへいってしまった。空気が凍りついたように、痛い。オーガの言う殺気ってやつはこれかもしれないと思う。
キース様は、怒っていた。初めて見た。怒った所。なのに、怒らせた魔族は追いかける様子もない。オレを見下ろして、眉を顰めている。
「あの。キース様怒ってるけど」
「何故だ」
「そりゃ、その、あんたがオレにちょっかい出したからじゃないか?」
一応、オレってキース様の仮弟子だし。
でも、こいつは何のつもりだったんだろう。オレのこと好きなのか?
「そんな訳、ねえよな。なあ、さっきの何だよ」
「さっきの? ああ、魔法力を吸い取ってやろうと思っただけだ」
それが魔族にとってのキスなのか。超、タチが悪い!
……魔法力? 魔族って魔力を使うんじゃないのか?
混乱が酷くて、オレはもう考えるのをやめた。とにかくこの魔族にはひとこと言っておかないと駄目だ。
「魔族はいいかもしれないけど、オレ達にとっては、こう、その、好きなヤツとするもんだから、あんた二度とあんなことすんなよな」
「口を吸うことか。――ああ、そんなことを言っていたな」
知ってるんじゃねえか。余計タチが悪い。とにかくキース様の誤解は解いておきたい。
今日は大工仕事を終わらせて、オレ達はキース様を追った。
洞窟前の畑で収穫をしていたキース様はオレを見ていつも通り笑ってくれたから、ほっとする。
「お疲れ様です。今日はもうおしまいですか?」
「あ、はい。あのキース様、さっきのはあいつが無理矢理――」
「分かってますよ。困った魔族です。嫌な思いをしたでしょう、すみません。よく言っておきます」
「キース様が謝ることないです、ほら、あんたもなんとか言えよ」
オーガは眉を顰めてキース様を見ていたけど、キース様は全然オーガを見なかった。あれ、これって、凄い怒ってるんじゃないだろうか。
その予感は当たっていたと思う。
その後、キース様は全くオーガを見なかったし、いつもは空気を和らげる為に沢山喋ってくれるのに、全然喋らなかったからだ。静まり返る洞窟の中はやけに暗く感じた。
次の日もキース様の機嫌は直らなかった。オレには普通だけど、オーガのことは完璧に無視。オーガもそれを気にしていないみたいだから、俺だけがその空気を怖がっている。すげえ、辛い。
我慢できなくなって、オーガにこっそり耳打ちをする。
「あんた、なんとかしろよ、この空気」
「知らん」
「あんたのせいでキース様が怒ってるんだよ、謝れ」
「俺がキースに何を謝るのだ」
「だから、オレから魔法力盗もうとしたことだろ」
「それが気にいらんのか?」
今気付いたのかよ、となんだか脱力だ。やっぱり魔族は魔族なんだ。繊細な人間の心が分かる訳がない。
キース様が川へいくと出ていったのを絶好の機会とばかりにオレはオーガの背中を押した。
「早くいけよ。ちゃんと謝れ」
オーガは心底面倒そうな顔をしていたけど、それでも重い腰をあげて出ていった。はあ、と息をついてオレは大きく伸びをする。何でオレばっかこんなに気をつかっているんだろう。
不公平じゃねえか?