魔法使い襲来

文字数 5,228文字

 輝く金色の髪が日の光を浴びて目がくらむ。膝の裏まである、流れるような長い髪には相変わらず目を奪われずにはいられない。細かな刺繍がこれでもかと煌めくドレスは王宮の姫かと言いたい程に豪華で、おそろしいことにこれは魔法使いにとって特別な装いではなく普段着だということだ。無駄極まりないと思うが、そんなことを言えばどんな目にあわされるか分からない。

 大きな目に長い睫毛、大きめの口が彼女の華やかさを彩っているのだろうと思う。丁寧に化粧が施された顔からは、魔法使いがキースよりも随分随分年上なのだと知らせるものは欠片もない。
 キースは極上の敬意をもって、魔法使いを呼んだ。

「マリー、どうして、ここに」

 両親を魔王に殺されたあと、キースはこの魔法使いを頼った。父親の言う世界最高の魔法使いは、キースの厳しき師匠だ。共に魔王を討った仲間でもある。
 マリーが睫毛をばさばさと瞬かせて、それから叫んだ。

「キース! 何だ、その腕は!」

 思わずあとずさる程の怒声に、キースは慌てて笑みを作って見せた。マリーでなければこの腕は治せないと思っていたが、マリーにだけは見せたくなかったのだが。

「あー、少し、気を抜いてしまって」

 マリーがドレスの裾を翻しキースの腕を掴む。キースと同じ程の身長だが、マリーの方が手が大きい。長い指の先、マリーの爪は薄紅色で、小さな貝殻がついていた。

「なんですか、その爪」
「可愛いだろう、弟子がやった」
「爪に貝殻……どうかしているとしか」
「お前には情緒がない。爪先まで美しくいたい女心を理解できないから、こんな所に一人でいられるんだ」

 爪に貝殻を乗せる情緒など知る必要もないだろうと思ったが、これ以上は怖いので黙っておく。マリーはキースの左腕をまじまじと見つめて、鋭く睨んできた。

「お前、何をやっている? これは火山の炎だろう。こんな無人島に一人暮らしをして、それ程の炎を呼びだす必要が、何故ある」

 マリーの大きな薄茶色の瞳で見つめられると、厳しく躾けられた修業時代の癖で身が引き締まるのは、きっともう一生ものだろう。誤魔化しなどきくはずがないと分かってはいたが、本当のことを言うこともできない。

「一人だと暇なので、色々と試すものです」
「腕を焼く実験をか? 阿呆か。しかもその後しばらく放っておいただろう」

 マリーはキースの左手に両手をかざすと、回復の呪文を唱え始める。ふわりとした温かさに包まれて、キースは思わず息を吐いた。焼いた時から続いている痛みが和らいでくる。すぐに指先を動かせるようになった。

「マリー、すみません」
「まだ使うなよ。しばらくは私の元に来い。ちょうど弟子が余っているからお前が面倒を見ろ」

 否と言わさぬ強い口調に逆らうのは危険だ。けれど、今、マリーの元に行くことはできない。それをどう言い訳しようかと頭をひねるが、何をどう言っても、無駄な気がする。取りあえず今は時間を稼ぎたい。

「ところで、貴方はどうしたんですか、急にこんな所まで。しかも一人でしょう。弟子はどうしたんですか?」
「こんなお前の結界が強すぎる場所に来られるのは私くらいだ」
「弟子の彼も貴方の元が長いでしょう、甘やかしすぎじゃないですか?」
「良く喋るな、キース」
「元からですよ」

 キースの左腕はもう嘘のように爛れた肌が滑らかなそれに戻っていた。随分、楽になった。それでも完治ではないらしい。

「ありがとうございます」

 マリーは回復魔法を止めると、肩より長い前髪をかきあげる。見目は美しいのに、こういう仕草が大柄なので、違和感が凄い。

「キース」

 静かに呼ぶ声の底に重いものを感じて、びくりと肩が跳ねた。全てを暴くような大きな目を見ていられなくなる。こうも追い詰められた気分になるのは、世界でマリーに対してだけだ。

「何です」
「私がここに来たのは、お前が呼んだからだ」
「私は何も?」
「お前の魔法力の乱れが酷い。それで来てみればその火傷だ。話せ、残らず全てだ」

 話す……自分がしてしまった愚かな行為と、それに準ずる感情の全てを話す、そんなことはできない。いくらマリーが相手でも、そんなことはできない。いや、マリーだからこそできない。

「何もない」
「お前が話さないなら、無理にでも暴くしかないが」

 左手の感覚は戻っている。マリーを力づくで追い出すことができる程に回復しているのか疑問だが、やってみるしかない。

「私に剣を向けるとどういうことになるか、そんなことも分からない程おかしくなったか」
「やってみないと、分からない」
「自分の状況も分かっていないのにか。やはりお前を一人にするんじゃなかったな。孤毒を侮り過ぎだ」

 剣に手をかけたキースの前にマリーが手をかざす。

「マリー、今は、少し、放っておいて貰えませんか」
「できない。隠しているものを全て晒せ」

 マリーのかざした手に風が集まっていく。マリーの一番得意な魔法は風を操るそれだ。マリーは本気なのだ。本気のマリーに魔法では敵わない。剣の柄に手をやって、抜く瞬間をはかる。

 その時だった。
 何の気まぐれなのか、洞窟から魔王が出てきたのだ。

 反射的なのかマリーが手の風を魔王に放ち、避けきれなかった魔王はそのまま洞窟の壁に叩きつけられる。

「魔王!」

 咄嗟に駆け寄るキースの背中に、おそろしく低い声が聞こえた。

「キース、それは何だ」

 振り返るには、覚悟を決めなければならない。マリーがこの状況を見過ごすはずがない。魔王を殺すだろう。

 ――私は。

「キース、答えろ、それは何だ!」

 マリーの怒号は凄まじかった。ここまで怒鳴りつけられたことはない。身を走る恐怖はマリーを恐れてのものか、それともこの後起きるであろうことを恐れてのものなのか、もうキースには分からなくなった。

 振り返ることができず、そのままで叫ぶ。

「これは、私の造った偽物ですよ」
「それのどこが偽物だ! お前、封印を解いたのか!」
「封印は失敗だった、だからこれは偽物だ」
「失敗のはずがないだろう、私も確かめた。お前の封印は完璧だった」
「それでも、これは偽物なんです! 灰は核に沈着しなかった、これは私の魔法力で死んだ核を灰で覆っただけのものだ」
「何を言っている、もういい、それを殺す」

 キースの肩を掴んでマリーはキースをどかそうとするが、動くつもりはなかった。魔王が壁に打ち付けられた衝撃からようやく動きを取り戻す。忌々しげに睨みつけてくる視線はキースを素通りして、魔法使いに向けられた。

「貴様が呼んだのか、キース」
「違いますよ」

 背中から冷たい殺気を感じてマリーの本気を知る。

「キース、どけ。それを殺す」
「偽物です」
「まだ言うか。それの核は生きているだろうが? それとも気付かない振りをしているのか」

 マリーは正しい。

 キースとて、心のどこかで気付いていた。
 魔王が偽物ではないかもしれないということを。

「俺が偽物? なる程、貴様はそう思っていたのか」

 魔王が声をあげて笑いながら、キースの肩を掴んで投げ飛ばす。それと同時にマリーから炎が放たれ、魔王がひらりとそれを避けた。

「魔力が無い魔王など私の弟子にも劣る」

 鼻で笑ったマリーに魔王も同じように鼻で笑って返した。

「魔法使いか。キースの次に面倒だったな、やはり殺しておくべきだった」
「その力すらなくキースに斃された魔王が何を言う」
「キースの邪魔がなければキサマなど敵ではない」
「試してみるか」

 マリーが魔法の風を編みあげる。魔王はキースの腰から剣を抜いたが、魔力も無しにマリーに勝てるはずがない。キースは魔王の手を掴んだ。

「何だ」
「死にますよ」
「貴様の魔法力をよこせ」

 魔王は短くそう言うと、キースの手を握る。マリーの視線だけが怖い。

「何をしている! キース!」

 マリーから風が放たれる。キースと魔王は弾かれたように左右に避け、剣を翻した魔王がマリーへ飛んだ。マリーはそれを炎で撃ち落とす。炎に包まれた魔王が咆哮し、炎は散った。

「……魔力も無しに私の炎を散らすか。魔王、魔法力を取りこんでいるな」
「さあな、分からん」
「キース、これはいずれ魔法力を使いこなすぞ。今、殺す」

 魔法力を取りこまれていることは知っている。魔法力を使いこなすなど考えられないが、マリーがそう言うならやらない訳にはいかない。これは、魔王なのだ。

 ――殺す。

 そう決意したではないか。マリーが仲間として側にいる今なら、魔王を殺すのは容易いだろう。

「魔王を、殺す――」

 呟いて魔王を見つめる。銀の長い髪が風になびいてその下で輝く薄青の肌がやはり美しいと思った。

 この青が欲しかった。
 偽物だと信じたこれが実は本物だったとしても、魔王を欲する想いは消えやしない。本当はずっと、惹かれていた。

「マリー。これは偽物だ」
「まだ言うか! お前のように孤独を恐れないやつを独りにした私の間違いだったな。お前は孤独に飲まれたんだよ、だからこんなものでも求めるんだ」
「そうじゃない。誰でも良かった訳じゃない。私は」

 魔王に会いたかった。

 魔王と対峙する瞬間だけが生きていることを実感できたのだと叫ぶと、マリーが目を見開く。

 まだ子供の頃、自分は周りと違うのだと気付いた時から、力を押さえて生きてきた。本気で剣を振るったことなどない。際限なく蓄えられそうな魔法力を満たしたことはない。魔界の炎すら呼べそうな力を感じたことはマリーにも話したことはない。

 けれど、その全てを満たしたのが、魔王だった。

「この世界で私の全てを受け止めたのは魔王しかいない」

 こんなことをマリーに語るなど、思いもしなかった。けれど、長い間抱えていた裏切りをもう隠しきれそうにない。

「この先、魔王が力を持つことになれば、必ず私が殺す。それは必ずです。マリー、今は、引いて貰えませんか」

 マリーは怒りを込めてキースを睨んでいる。

「お前は自分が何を言っているか分かっているのか。どうかしている、ひとを裏切る気か!」
「そうじゃない。これは偽物だ、裏切ってもいない」
「――末期だ。これを愛しているとでも言うのか」
「そうじゃない、そんなじゃない」
「だったら、何だ?」

 このマリーの問いに対する答えをキースは持っていなかった。自分でも分からない。分かっているのは、まだ魔王を殺したくないと思ってしまうことだけだ。

「分からない、まだ、私は自分でも分からない」
「……お前の、そこまで必死な姿は初めてだな」

 マリーが殺気を消して掲げていた手を引く。隙を狙っていた魔王がそこに切り込み、そこに割り入ってキースはその剣先を掴んだ。

「っ、何をする!」
「魔王、今は、引いてくれませんか。このままでは死にます」

 魔法の氷で手を強化したとはいえ、魔王の力を全ては防ぎきれず、刺された手から血が噴いた。舌を打った魔王がその手を掴み、マリーに見せる。

「治せ」
「――キースの手は、いずれお前を殺す手だぞ」
「かまわん。治せ」

 マリーが黙ったままでキースの傷を癒し、魔王は剣を引いた。
 しばらく風の音が聞こえる程に静まり返り、時が流れる。
 沈黙を破ったのは、マリーだった。

「お前達は、何なんだ」

 キースも魔王も、その答えを持っていない。黙り込んでいると、マリーの深い溜息が響く。

「分かった。キースの我儘は初めてだからな、母代わりとしては聞いてやりたいのも確かだ。見ててやるから共にあってみればいい。ここには私が結界を張る。見張りの弟子を一人よこすから、キース、お前が師匠代理として責任を果たせ」

 ドレスの裾を翻しながらマリーが移動魔法を唱える。

「必ず破綻する。それは本物の魔王だからだ。キース、いつでも音をあげるがいい」

 そのままマリーは姿を消した。

 風の走る音だけがする。

 これでよかったのか、悪かったのか、キースには何も分からない。振り返ると魔王が静かにキースを見つめている。キースの想いを聞いた魔王が何を思ったのかなど、分からない。

「……本物だったんですね」
「何故、偽物だと思ったのかは知らんが、俺は魔王だ」

 脇をすり抜けようとした時、腕を掴まれ抱きすくめられた。冷たい肌のはずなのに、熱い。

「何ですか」
「さあな」

 本当に魔王にもこの行為の意味が分からないのだろう。

 ――愛してなど、いない。

 ゆっくりと心の中で繰り返して、キースはそっと魔王の背中に手をまわした。
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