師匠代理
文字数 2,765文字
マリーの行動は早かった。
次の日早々に弟子を一人、島に送り込んできた。ちょうど洞窟前の畑で土をいじっていたキースの前に現れたその人の姿を見て、キースは遠くマリーに毒づきたくなった。
――嫌な人選だ。
金色の短髪で釣りあがった細い目。歳の頃は十七、八だが、鍛えられた体はキースと同じくらいの身長にまで伸びていた。最後に会ったのは、三年前だったろうか。
金髪がキースを見て、朗らかに笑う。
「キース様!」
こんな風に笑うことができるようになったのかと思うと、感慨深い。それだけに、この笑顔を奪うことなど、キースにはできない。
「ワグ、君、マリーの所にいたんですか」
「はい、オレ、どうしてもキース様に剣術習いたかったから」
真っ直ぐな目で慕われたら、キースは絶対にワグを裏切れない。ワグの前でキースは「勇者」であらねばならないのだ。マリーの計算だろう。キースの「正気」を取り戻すにはキースが勇者を取り戻せばよいと、それは真実でもあるので本当に的確で嫌な人選だと思った。
――そんなことにワグを使うのも、どうかと思うんですがね。
少しばかりマリーに怒りを感じたが、今は目の前のことを片付けねばなるまい。幸い、魔王は未だ洞窟の寝床にいる。
「ワグ、マリーからどう聞いて来たんですか?」
大きめの麻袋を抱えたワグはキースの前まで駆けよってまた笑った。近くで見ると視線の高さが同じで、ますます成長を感じる。三年前は、まだキースが見下ろしていた。
「マリー様はキース様に修行つけて貰えって言ったっす」
「他には」
「あー。なんか変な魔族拾ってるから、気をつけろって」
変な魔族という所には少し吹き出したが、マリーは魔王がいるとは言っていないらしい。それが確認できれば十分だった。
「私よりもマリーの元にいた方が修行になるでしょうに」
「俺はキース様に会いたくてマリー様の弟子になったんで。こんな機会絶対に逃さないっす」
あまりの眩しさにくらくらしながら、キースは笑みを作って見せた。
「君はいつまでいるんですか?」
「マリー様が迎えにくるまでっす」
これからワグと魔王と三人暮らしをすることは避けられそうにない。だったら、少しでも平和に過ごして少しでも早くマリーに迎えに来て貰わねば。
「ではワグ、まずは島を見て来てください。これからしばらく君が過ごす場所です」
「分かりました!」
荷物を置いて、ワグはすぐに駆けだした。姿が見えなくなった頃、魔王が出てくる。
「何だアレは」
「マリーが言っていた弟子ですよ」
「なんとかしろ」
「無理ですって。私だってマリーには逆らえないんです」
魔王が顔をしかめて舌を打った。昨日あんなことがあったのに、魔王は平常通りだ。思わずこぼしてしまったキースの告白をどう思っているのかと気にした自分が滑稽に思える。魔王にとっては、どうでもいいことなのだろう。そんなことで胸を痛めていること自体、どうかしているのだ。
気を取り直して、キースは口を開く。
「あの子は昔ちょっと知り合った子なんです。魔王に潰された村の孤児で。そんな子は沢山いましたから、そのリーダーがワグでした。でも、その子達も皆死んでしまって、彼は自分の力なさに自暴自棄になっていて。そんな時に知り合ったんです」
放っておくと死んでしまいそうだったから、道案内という形で雇って、しばらく旅路を共にしたのだ。知り合いに預けてから別れる時、魔王を倒したら剣術を教えに来ると約束をしていた。
こんな形で会うとは思わなかった。
「それで何だ、俺は知らん」
「ああ、それで、あの子の前で貴方を魔王と呼びたくないんです。マリーはあの子に貴方のことをただの魔族として話しているようなので」
「俺は構わん」
「私が構うんです」
魔王はふんと鼻を鳴らして腕を組む。
「アレに魔法使いの息がかかってなければくびり殺してやる所だが」
「くびり殺……貴方でも彼女が怖いんですか」
少し面白く思ったが、鋭く睨まれ、それから思いもしない言葉が聞こえる。
「魔法使いは貴様の腕を治しただろう。借りがある」
そんなことを気にしているのかと面白くもあるが、それよりも意外で驚く。知らず、頬が緩んだ。そんな風に気にしてくれているなど嘘のようだ。
「キース、魔法使いは男だろうが。あの酔狂な格好は何だ?」
「よく分かりましたね。けど――それ、絶対マリーに言わないでくださいね」
見つめると自然に視線が絡む。魔王の手が顎にかかり、慌てて振り払った。
「と、とにかく、だから名前、教えて貰えませんか」
「魔族は同等とみなした時か従属時にしか名を言わん」
「そうなんですか、だったら無理ですね」
魔王が名を名乗らないのはそんな理由なのかと改めて知る。だとすればキースはこの先も魔王の名を知ることはないだろう。
「では私が勝手につけましょうか、貴方の名前」
とはいえ、なかなか思いつかない。頭をひねっているキースに、魔王がぼそりと呟いた。
「オーガ」
「はい?」
「魔王になる前名乗った偽名だ」
「では、そう呼びますね、オーガ」
「――嫌な時を思いだす。アレの前以外では呼ぶな」
そんな嫌な名をキースの為に呼ばせてくれるのかと思うと申し訳ない。
――私の為に。
マリーに逆らわないのはキースの腕を治したからだとか、嫌な名を呼ばせてくれるとか、一体魔王はどうしたのだろうと思うのに、勝手に笑みがこぼれてしかたがない。無自覚なのかと思うと、可愛い気さえしてくる。
――この魔王を。私は。
そっと見つめるとまた視線が絡み、抗う間もなく顎を掴まれた。そっと目を閉じると口を吸われる。もう抵抗感一つないことから目をそらすことはできない。
「っふ」
深く貪られ思わず魔王の腕にすがりつく。立っているのも苦しいほど膝ががくがくと震えた。こんな快楽は知らない。唇を解放した魔王の息が乱れているのを見るのも、快楽だった。
けれど、こんな顔を他の誰に見せる訳にはいかない。
「もう、こんな風にするのは、止めてください」
「なに?」
「ワグに見られたら困ります。これは人間界では、その、愛を交わす行為なので」
「俺はそのつもりはない」
「分かっています、私の魔法力を吸っているのでしょう?」
本来それも許す訳にはいかないのだけれど。
遠くからキースを呼ぶワグの声が聞こえる。
これまで通りという訳にはいかない。腕を掴んできた魔王の手を払ってキースははっきりと言った。
「私はあの子の師匠代理なので」
まったくもってマリーの思い通りなのだろうと思いながら。
次の日早々に弟子を一人、島に送り込んできた。ちょうど洞窟前の畑で土をいじっていたキースの前に現れたその人の姿を見て、キースは遠くマリーに毒づきたくなった。
――嫌な人選だ。
金色の短髪で釣りあがった細い目。歳の頃は十七、八だが、鍛えられた体はキースと同じくらいの身長にまで伸びていた。最後に会ったのは、三年前だったろうか。
金髪がキースを見て、朗らかに笑う。
「キース様!」
こんな風に笑うことができるようになったのかと思うと、感慨深い。それだけに、この笑顔を奪うことなど、キースにはできない。
「ワグ、君、マリーの所にいたんですか」
「はい、オレ、どうしてもキース様に剣術習いたかったから」
真っ直ぐな目で慕われたら、キースは絶対にワグを裏切れない。ワグの前でキースは「勇者」であらねばならないのだ。マリーの計算だろう。キースの「正気」を取り戻すにはキースが勇者を取り戻せばよいと、それは真実でもあるので本当に的確で嫌な人選だと思った。
――そんなことにワグを使うのも、どうかと思うんですがね。
少しばかりマリーに怒りを感じたが、今は目の前のことを片付けねばなるまい。幸い、魔王は未だ洞窟の寝床にいる。
「ワグ、マリーからどう聞いて来たんですか?」
大きめの麻袋を抱えたワグはキースの前まで駆けよってまた笑った。近くで見ると視線の高さが同じで、ますます成長を感じる。三年前は、まだキースが見下ろしていた。
「マリー様はキース様に修行つけて貰えって言ったっす」
「他には」
「あー。なんか変な魔族拾ってるから、気をつけろって」
変な魔族という所には少し吹き出したが、マリーは魔王がいるとは言っていないらしい。それが確認できれば十分だった。
「私よりもマリーの元にいた方が修行になるでしょうに」
「俺はキース様に会いたくてマリー様の弟子になったんで。こんな機会絶対に逃さないっす」
あまりの眩しさにくらくらしながら、キースは笑みを作って見せた。
「君はいつまでいるんですか?」
「マリー様が迎えにくるまでっす」
これからワグと魔王と三人暮らしをすることは避けられそうにない。だったら、少しでも平和に過ごして少しでも早くマリーに迎えに来て貰わねば。
「ではワグ、まずは島を見て来てください。これからしばらく君が過ごす場所です」
「分かりました!」
荷物を置いて、ワグはすぐに駆けだした。姿が見えなくなった頃、魔王が出てくる。
「何だアレは」
「マリーが言っていた弟子ですよ」
「なんとかしろ」
「無理ですって。私だってマリーには逆らえないんです」
魔王が顔をしかめて舌を打った。昨日あんなことがあったのに、魔王は平常通りだ。思わずこぼしてしまったキースの告白をどう思っているのかと気にした自分が滑稽に思える。魔王にとっては、どうでもいいことなのだろう。そんなことで胸を痛めていること自体、どうかしているのだ。
気を取り直して、キースは口を開く。
「あの子は昔ちょっと知り合った子なんです。魔王に潰された村の孤児で。そんな子は沢山いましたから、そのリーダーがワグでした。でも、その子達も皆死んでしまって、彼は自分の力なさに自暴自棄になっていて。そんな時に知り合ったんです」
放っておくと死んでしまいそうだったから、道案内という形で雇って、しばらく旅路を共にしたのだ。知り合いに預けてから別れる時、魔王を倒したら剣術を教えに来ると約束をしていた。
こんな形で会うとは思わなかった。
「それで何だ、俺は知らん」
「ああ、それで、あの子の前で貴方を魔王と呼びたくないんです。マリーはあの子に貴方のことをただの魔族として話しているようなので」
「俺は構わん」
「私が構うんです」
魔王はふんと鼻を鳴らして腕を組む。
「アレに魔法使いの息がかかってなければくびり殺してやる所だが」
「くびり殺……貴方でも彼女が怖いんですか」
少し面白く思ったが、鋭く睨まれ、それから思いもしない言葉が聞こえる。
「魔法使いは貴様の腕を治しただろう。借りがある」
そんなことを気にしているのかと面白くもあるが、それよりも意外で驚く。知らず、頬が緩んだ。そんな風に気にしてくれているなど嘘のようだ。
「キース、魔法使いは男だろうが。あの酔狂な格好は何だ?」
「よく分かりましたね。けど――それ、絶対マリーに言わないでくださいね」
見つめると自然に視線が絡む。魔王の手が顎にかかり、慌てて振り払った。
「と、とにかく、だから名前、教えて貰えませんか」
「魔族は同等とみなした時か従属時にしか名を言わん」
「そうなんですか、だったら無理ですね」
魔王が名を名乗らないのはそんな理由なのかと改めて知る。だとすればキースはこの先も魔王の名を知ることはないだろう。
「では私が勝手につけましょうか、貴方の名前」
とはいえ、なかなか思いつかない。頭をひねっているキースに、魔王がぼそりと呟いた。
「オーガ」
「はい?」
「魔王になる前名乗った偽名だ」
「では、そう呼びますね、オーガ」
「――嫌な時を思いだす。アレの前以外では呼ぶな」
そんな嫌な名をキースの為に呼ばせてくれるのかと思うと申し訳ない。
――私の為に。
マリーに逆らわないのはキースの腕を治したからだとか、嫌な名を呼ばせてくれるとか、一体魔王はどうしたのだろうと思うのに、勝手に笑みがこぼれてしかたがない。無自覚なのかと思うと、可愛い気さえしてくる。
――この魔王を。私は。
そっと見つめるとまた視線が絡み、抗う間もなく顎を掴まれた。そっと目を閉じると口を吸われる。もう抵抗感一つないことから目をそらすことはできない。
「っふ」
深く貪られ思わず魔王の腕にすがりつく。立っているのも苦しいほど膝ががくがくと震えた。こんな快楽は知らない。唇を解放した魔王の息が乱れているのを見るのも、快楽だった。
けれど、こんな顔を他の誰に見せる訳にはいかない。
「もう、こんな風にするのは、止めてください」
「なに?」
「ワグに見られたら困ります。これは人間界では、その、愛を交わす行為なので」
「俺はそのつもりはない」
「分かっています、私の魔法力を吸っているのでしょう?」
本来それも許す訳にはいかないのだけれど。
遠くからキースを呼ぶワグの声が聞こえる。
これまで通りという訳にはいかない。腕を掴んできた魔王の手を払ってキースははっきりと言った。
「私はあの子の師匠代理なので」
まったくもってマリーの思い通りなのだろうと思いながら。