元魔王は愛が分からない・鶏の名は
文字数 3,316文字
キースがまた奇妙なことを言いだした。
「鶏の名前考えてくださいね」
黙り込むサラギに構わずキースは鶏を小屋から抱きあげて撫でている。相変わらず鶏はキースの腕ではおとなしい。世話をしろと言われたがサラギが抱きあげると途端に暴れるので、結局はキースが小屋への出入りをさせている。試しにもう一羽を抱きあげてみたが、やはり手を蹴られた。
「この俺を足蹴にするなど!」
「貴方が怖がっているからですよ」
「この俺が鶏を怖がっている? 馬鹿なことを」
「壊しそうだと思っているでしょう。案外、丈夫ですよ」
そうはいっても、こんな小さく脆弱なものを壊さぬように扱うのは難しい。キースのやり方を見て真似てみているというのに、鶏は違いに気付くらしい。
それはそうと、鶏の名だ。
「鶏に名など付けてどうなる」
「愛着がわくでしょう? 二羽いるんだから区別もできますし」
「どうせ名など覚えられん」
未だ人間ではキース以外の誰の名も覚えられない。耳に入ってくるには入ってくるのだが、残らないのだ。キースの口からよく出る魔法使いや弟子の名も聞けば認識できるのだが、口にしようとしても出てこない。そんなものなのに、鶏の名など覚えられる訳もないのだ。キースもそれは分かっているのか、苦笑がちに続けた。
「ものは試しじゃないですか。貴方も自分で付けた名なら覚えられるかもしれないでしょう?」
心底くだらないと思うのだが、キースに笑顔で押し切られると否と言いきれなくなるのはどういう訳だと思う。結局これも笑顔で押し切られるのだ。
「名の付け方など知らん」
抱いていた鶏を地面に下ろしてから、キースは嬉しそうにサラギの顔を覗き込んでくる。
「何でもいいんですよ、貴方の好きなものでもいいし、見た目の特徴でもいいし」
そんなことを言われても思いつかない。好きなものといってもキースくらいのものだし、見た目の特徴といっても、鶏は鶏だ。
腕を組みながらしばらく鶏を見つめていると、キースはおもむろに剣を取り出し、鶏小屋の隣でその剣を研ぎ出した。
キースの研ぎ石は小さい。そんなものでよく研げるものだと思うが、物にこだわらぬキースはこんなところまで無頓着だった。
――何より、剣にこだわらぬ剣士などいるか。
サラギとて自らの剣はこだわりぬいて自らで選んだ鍛冶師に打たせた。手入れはいつもその鍛冶師にやらせていたし、人間界まで連れてきた程だ。今はどこでどうしているか分からないが、できれば今も鍛冶師に手入れをさせたいくらいなのだが、仕方がないのでキースの研ぎ石を借りて渋々手入れをしている。
けれどキースにとってはなんら不満もない研ぎ石のようだった。
ちらとキースを見下ろして、眉を顰める。
「貴様の剣はよく変わるな」
サラギの足元に座り込んで剣を研いでいるキースは不満そうにサラギを見つめ、少し語気を強めながら言う。
「貴方の剣を受け止めていたらすぐ傷むんです」
「人間界にもましな鍛冶屋がいるだろう。それに打たせないからだ」
「名工の作は高いんですよ」
値段など何だというのだ、命を賭ける武器に対してこだわるべきはそこではないだろう。特に、人間などという脆弱な存在ならば、より強いものを選ぶのは当然の策だ。
「貴様……俺の剣を安物で受けていたのか」
「いや、さすがに魔王と戦うときはいい物を持てってマリーが選んだので、これとは全然違うものでしたよ?」
「それはどうした」
「あー、誰かにあげましたね。もう貴方と戦うこともないだろうと思って」
いくらなんでもこれには呆れる。魔王と勇者の最後の戦いは死力を尽くし、全てを賭けた闘いだった。その死線を耐え抜いた剣は、いわば戦友ともなるはずだ。サラギは今使っているものを初めて手にしてからどれくらいになるか分からないが、手放そうと思ったことなどない。
――それを、この男は。
誰かにあげたなどと。いくらなんでも、理解できない。この執着のなさは何だろうか。薄ら寒さすら感じながら、サラギはキースを睨んだ。
「剣士だろうが、貴様は」
「元勇者ですよ」
「だが、武器は剣だ。それを剣士というだろう?」
「そうなんですかね? まあ、でも今は違いますし。貴方と手合わせするときか草を刈るときくらいしか使わないですから、安物でいいんです」
酷く、不愉快だった。キースにとって執着を持たないものというのは、こうも安易に手放せるものなのだ。
「それより、名前、決めました?」
そのくせこんなことにはこだわる。苛々するのだが、自分が何に苛立っているのか、サラギには分からない。キースの手から剣を奪い取ってまじまじと見てみるが、打ちが荒くとても良いものとは思えなかった。
「あの、返して貰えます?」
「……こんなもので俺の剣を受け止められると思われるのは、許せん」
「――実際、貴方はこの剣にだって勝てないでしょうに」
「何だと?」
「真の剣士は剣にこだわらないとも言いますよ?」
不敵な笑みを浮かべながらキースがサラギの手から剣を取り返し、そのまま眼前に突きつけた。キースはそう言うが、魔法力を取り込みつつある体でキースに力で打ち負けるとは思っていない。
久しぶりに向けられる殺気を込めた炎が揺れる黒い瞳に見惚れながら、サラギは鼻を鳴らした。
「やってもいいが」
一歩引きながら愛剣を抜き、切っ先をキースに突きつける。苛立ちが止まらず体中に殺気が立ち込めた。それを察したのか鶏が騒ぎ出し、キースの目から炎が消える。そのままキースは剣を引いた。
「やめておきます。鶏が怖がっているので」
「そんなことは知らん」
「ほら、早く名前付けてくださいよ」
一瞬前の激しい戦意など嘘のようにキースは笑った。それを見ても、サラギの苛立ちは無くなりもしないが、キースにやる気がなければどうしようもない。油断したキースの手から剣を奪って力任せに洞窟の岩に叩きつけると、剣の切っ先が欠けた。
「あー! ちょっと何してるんですか!」
キースの顔色が青くなり、それを見ると少しだけ留飲が下ったので、戦ってやろうという気は失せた。
が、駆け寄ってきたキースはそうはいかないらしい。人間の感情を読むことが得意ではなくても、これは分かる。キースは怒っている。
「貴方ねえ!」
「怒ったか」
「当たり前でしょう!」
「この程度で折れる剣なら、俺の剣を受けたらどのみち折れる」
だからもう少しましなものを買えばいい。
そう続けたが、キースは聞いているのかいないのか、体中から怒気がみなぎっているようだった。
少し、やりすぎたかと思う。
「サラギ」
発されたキースの声は聞いたことがない程に低い。何を言われるかと身構えたサラギに、キースは目の奥がまったく笑っていない笑顔を向けると、言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「私、剣を買いにいきますから、貴方は鶏の名前を付けておいてくださいね」
否と言わせぬ迫力を込めたキースの言葉に、サラギは黙って応えることしかできない。
キースの行動は早かった。いつものように結晶を作ってサラギに渡すと、何も言わずに移動魔法を唱えて姿を消した。
一人残され、サラギはやっと息をつく。あれ程の怒りを晴らす為、戻ってきたら剣を打ちこまれるかもしれないと覚悟だけはしておく。
「それと、これの名か」
畑の隅で地面をつついている鶏を見つめて途方に暮れているとき、だった。
覚えのある気配と魔法力の冷たさを感じて身を構えた。
目の前に、魔法使いが現れる。
「よう、元気か」
相変わらず殺意を含んだ目でサラギを見つめる魔法使いに、サラギは好都合と手を打ちたくなった。人間である魔法使いなら名を考えることなど容易いだろう。鶏の名を考えさせられる。
「いいところに来た」
「はあ? お前が私を待っていたとでも?」
嫌そうに眉を寄せる魔法使いに、サラギは口の端を持ち上げて笑って見せた。