魔王と料理
文字数 2,292文字
山ほどの魚を干したので、キースの食卓はしばらく魚だらけだった。元々、それ程食事に執着がない方だと思っているので、少しの魚と少しの木の実、少しの芋があって空腹を感じなければ、キースにとって十分な食事だ。調理方法は火で炙る一択だが、問題はない。水は川の水があるし、最悪魔法で呼び出せるので不自由しないし、食生活に困ることはない、と思っていたのだが、魔王は不満そうだった。
「酒はないのか」
「また魚か」
「肉が少ない」
「量が少ない」
自分はいつから料理人になったのだと思う程に、寡黙なはずの魔王は食事にだけうるさくなった。最初の何も食べなかった頃が嘘のような我が儘を何度も言われる。その我儘を面白いと思ってしまう自分も大概だが、さすがにその全てに応えることはできない。
「あのね、そんなに言うなら貴方が作ってくれます?」
剣先を突き付けてにっこり笑うと、魔王は静かになった。我慢するのかと思ったが、その日はまた山ほど魚を取ってきたので、自分でなんとかするつもりらしい。どうするのだろうと見守っていると、魔王はキースの料理用小刀で器用に魚を捌いた。もしかしてキースより上手いかもしれない。
「へえ、貴方、器用ですね」
「貴様、人間のくせにこんなこともできんのか」
「料理人ではないので」
「人間共は貴様を何でもできる存在だと言っていたが」
「私にできるのは戦うことだけですよ」
「使えんな」
酷い言い草だと思ったが、目の前で美しい魚の切り身ができていく過程を見ていると、言い返すこともできなくなった。
「っていうか、何で貴方、こんな事できるんです?」
「魔王だからだ」
「答えになってないですよ」
「俺は人間界の全てを俺のものにする」
魔王は魚の切り身を斧の上に乗せると、それを焚き火にかざす。キースの持ち込んだ料理器具が小さな鍋くらいなのも、魔王は気に食わないらしい。また文句を言われた。
「貴様は使えん」
「悪かったですね」
「貴様も一人では生きられん脆弱な人間の一人だということか」
「私は食事にこだわらないだけです。貴方こそ魔王のくせに細かいことにこだわりすぎじゃないです? 魔族の食事なんて腹が膨れればいいのかと思ってましたけど」
「そういうやつもいるだろうが、俺はそれでは満たされん」
魔王が焚き火にかけていた斧を引き寄せ、皿代わりにしている竹の上に魚を乗せた。魚といえば棒に刺して丸焼きか干魚を炙ったものだったので、こういう魚は久しぶりだ。わざわざ皿に乗せる魔王の律儀さが面白い。
「塩しかないのか」
「すみません」
「せめて香辛料くらい揃えろ」
謝りながら、キースは吹きだすのを必死で抑えた。
――魔王の料理。
工作も得意で漁もできれば料理もできる。
――人間界の全てを自分のものにする、ってこういうこと?
これではまるで他国の文化が大好きすぎて、その全部を何でも自分でやりたいという留学生のようではないか。確かに魔王を倒したあと、そういう民が城にいたし、それを思い出して益々面白くなる。
「いやあ、貴方って凄いですよ」
こんなに愛らしいなら、偽物魔王で良かったな、と時々思う。何より、便利だ。
けれど、魔王は焼いた魚をキースに渡すことはなく、一人で全て食べてしまった。
「私の分はないんですか」
「知らん」
思ったより便利じゃなかった。
「美味しいです?」
「悪くはない」
木の実の殻に溜めた水を渡すと、魔王は眉を顰めてキースを見つめた。
「貴様はこれに満足なのか」
「十分ですけど」
「俺はこれが最も許せん。これで水の味がわかるのか?」
「はあ」
「硝子の杯は持ち込まなかったのか」
「ああ、硝子は割れますからねえ」
水なんて何で飲もうが同じで、キースからすれば手で掬って飲んだっていいと思っているのだが。魔王は硝子がお気に入りらしい。
「硝子は人間界で最大の発明だ」
「魔界にはないんです?」
「無い」
魔王は忌々しげに舌を打ちながら、木の実の殻を投げ捨てた。
「キース、硝子を作れ」
「無理ですよ」
「だったら取ってこい」
「お金ないんですって。買い物もできないんですよねえ」
「取ってこいと言った」
「泥棒なんてしませんよ」
「使えんやつだ」
もう金などいらないと思っていたのだが、それはちょっと見直しが必要かなと最近思っていて、この調子ではいよいよ必要らしい。硝子の器はいらないが、とキースは魔王を見つめる。輝く銀の長い髪に魂を吸われそうな銀の瞳、見たくてたまらなくて封印まで解いた薄青い肌。と、それにまとわりつく薄汚れた布。
――服、いりますよねえ。
自分の衣類はいくらかあるのでそれを洗い替えて使っていたが、魔王には丈が小さいので似合わない。魔王のまとっていた装備は上衣と下衣が一つに繋がった長いコートのような服で、腰周りを銀のベルトで止めていた。黒い生地に銀の刺繍が施された服は魔王の肌によく映えて美しかったが、それを洗濯に出している間は首からかぶって紐で腰をとめる、そっけないキースの服を着ているので、申し訳ないような気分になる。それでも十分に美しいとは思う。
食事にこんなにこだわるくせに、魔王は服には無頓着で、何なら着なくてもいいなどと言いだすので、キースはそろそろ限界を感じていた。
――やっぱり、替えはいりますっ。
これは買う以外に選択肢はない。
少なくとも、魔王の服と硝子の器代金が必要なのかと、キースはそっと溜息を吐いた。
「酒はないのか」
「また魚か」
「肉が少ない」
「量が少ない」
自分はいつから料理人になったのだと思う程に、寡黙なはずの魔王は食事にだけうるさくなった。最初の何も食べなかった頃が嘘のような我が儘を何度も言われる。その我儘を面白いと思ってしまう自分も大概だが、さすがにその全てに応えることはできない。
「あのね、そんなに言うなら貴方が作ってくれます?」
剣先を突き付けてにっこり笑うと、魔王は静かになった。我慢するのかと思ったが、その日はまた山ほど魚を取ってきたので、自分でなんとかするつもりらしい。どうするのだろうと見守っていると、魔王はキースの料理用小刀で器用に魚を捌いた。もしかしてキースより上手いかもしれない。
「へえ、貴方、器用ですね」
「貴様、人間のくせにこんなこともできんのか」
「料理人ではないので」
「人間共は貴様を何でもできる存在だと言っていたが」
「私にできるのは戦うことだけですよ」
「使えんな」
酷い言い草だと思ったが、目の前で美しい魚の切り身ができていく過程を見ていると、言い返すこともできなくなった。
「っていうか、何で貴方、こんな事できるんです?」
「魔王だからだ」
「答えになってないですよ」
「俺は人間界の全てを俺のものにする」
魔王は魚の切り身を斧の上に乗せると、それを焚き火にかざす。キースの持ち込んだ料理器具が小さな鍋くらいなのも、魔王は気に食わないらしい。また文句を言われた。
「貴様は使えん」
「悪かったですね」
「貴様も一人では生きられん脆弱な人間の一人だということか」
「私は食事にこだわらないだけです。貴方こそ魔王のくせに細かいことにこだわりすぎじゃないです? 魔族の食事なんて腹が膨れればいいのかと思ってましたけど」
「そういうやつもいるだろうが、俺はそれでは満たされん」
魔王が焚き火にかけていた斧を引き寄せ、皿代わりにしている竹の上に魚を乗せた。魚といえば棒に刺して丸焼きか干魚を炙ったものだったので、こういう魚は久しぶりだ。わざわざ皿に乗せる魔王の律儀さが面白い。
「塩しかないのか」
「すみません」
「せめて香辛料くらい揃えろ」
謝りながら、キースは吹きだすのを必死で抑えた。
――魔王の料理。
工作も得意で漁もできれば料理もできる。
――人間界の全てを自分のものにする、ってこういうこと?
これではまるで他国の文化が大好きすぎて、その全部を何でも自分でやりたいという留学生のようではないか。確かに魔王を倒したあと、そういう民が城にいたし、それを思い出して益々面白くなる。
「いやあ、貴方って凄いですよ」
こんなに愛らしいなら、偽物魔王で良かったな、と時々思う。何より、便利だ。
けれど、魔王は焼いた魚をキースに渡すことはなく、一人で全て食べてしまった。
「私の分はないんですか」
「知らん」
思ったより便利じゃなかった。
「美味しいです?」
「悪くはない」
木の実の殻に溜めた水を渡すと、魔王は眉を顰めてキースを見つめた。
「貴様はこれに満足なのか」
「十分ですけど」
「俺はこれが最も許せん。これで水の味がわかるのか?」
「はあ」
「硝子の杯は持ち込まなかったのか」
「ああ、硝子は割れますからねえ」
水なんて何で飲もうが同じで、キースからすれば手で掬って飲んだっていいと思っているのだが。魔王は硝子がお気に入りらしい。
「硝子は人間界で最大の発明だ」
「魔界にはないんです?」
「無い」
魔王は忌々しげに舌を打ちながら、木の実の殻を投げ捨てた。
「キース、硝子を作れ」
「無理ですよ」
「だったら取ってこい」
「お金ないんですって。買い物もできないんですよねえ」
「取ってこいと言った」
「泥棒なんてしませんよ」
「使えんやつだ」
もう金などいらないと思っていたのだが、それはちょっと見直しが必要かなと最近思っていて、この調子ではいよいよ必要らしい。硝子の器はいらないが、とキースは魔王を見つめる。輝く銀の長い髪に魂を吸われそうな銀の瞳、見たくてたまらなくて封印まで解いた薄青い肌。と、それにまとわりつく薄汚れた布。
――服、いりますよねえ。
自分の衣類はいくらかあるのでそれを洗い替えて使っていたが、魔王には丈が小さいので似合わない。魔王のまとっていた装備は上衣と下衣が一つに繋がった長いコートのような服で、腰周りを銀のベルトで止めていた。黒い生地に銀の刺繍が施された服は魔王の肌によく映えて美しかったが、それを洗濯に出している間は首からかぶって紐で腰をとめる、そっけないキースの服を着ているので、申し訳ないような気分になる。それでも十分に美しいとは思う。
食事にこんなにこだわるくせに、魔王は服には無頓着で、何なら着なくてもいいなどと言いだすので、キースはそろそろ限界を感じていた。
――やっぱり、替えはいりますっ。
これは買う以外に選択肢はない。
少なくとも、魔王の服と硝子の器代金が必要なのかと、キースはそっと溜息を吐いた。