三人暮らし

文字数 4,282文字

 生活は一変した。

 ワグはとにかくよく働く。朝一番に起きて二人分の食事を支度して、洗濯も済ます。キースが起きた頃には温かいスープができているので、寝起きが良くなった。

「キース様、今日は芋のスープにしてみたんすけど」

 木の器を渡されてぼんやり受け取るとそれだけでワグは嬉しそうに笑う。マリーの元で、よく躾けられているなあというのが本音だった。

「美味い。いつもありがとうございます」

 その頃には魔王がのそりと起きだしてくる。ワグは基本的に魔王には関わらないようにしているようだった。キースも放っておいていいと伝えているし、やはり魔族と暮らすなど、普通の人間には考えもつかないことだ。

 魔王は相変わらず自分の好きなように食事の用意をして自分の好きなように過ごす。

「貴方もどうですか? ワグのスープは美味いですよ」

 差し出した器にちらと視線だけをよこして、鼻を鳴らした。

「いらん」
「美味いのに」
「キース様っ、オレはそいつに食って貰わなくていいんで」

 ワグは魔王をぎろりと睨んでから、キースに満面の笑みを向けた。ワグにとって魔族は自分の親や友を奪った憎い存在だ。こうやって一緒に過ごすだけでもどれだけの我慢を強いているかと思うと心苦しかった。

「それに牛の乳を入れて煮たなら食ってやる」
「牛なんていないだろうが!」
「だからいらんと言ったのだ」
「キース様、なんでこんなのと暮らしてるんですか。おとなしい方だといっても、こいつだって魔族なんですよね? キース様は優しすぎっすよ」

 ワグには魔王のことを魔界に帰り損ねて大怪我をしていた魔族で、おとなしい方だし、死ぬまで監視していると伝えている。こんな苦しい言い訳を、けれどワグは信じた。キースに心酔しているのだと思うと、益々心苦しくなる。早くマリーの元に返してやりたいと、キースは毎日思っているのだが、キースに剣術を習っている時のワグは実に嬉しそうだったので、あまり強くそれも望めない。

 しばらくはこのしんどい日々を続けねばならなさそうだ。

「キース様、今日はどうします?」
「ああ、今日はワグのベッドを作りましょうか」
「修行はいいんすか?」
「これも修行ですよ。君、初日に布団一式オーガに取られたから眠るの大変でしょう?」

 ワグが苦々しく魔王を睨む。
 ワグが持ち込んだ荷物は有効に使って欲しいとのことだったが、魔王がいち早くワグの布団を奪ったので、ワグはそれまで魔王が使っていた寝袋布団を土の上に敷いて眠っている。

「なんで俺の布団をそいつが……」
「すみません、オーガは寝具と食器にうるさくて」
「そんな魔族っているんすか? あんな野蛮なんだから土で寝ればいいんだ」

 魔王はワグの言葉に耳を貸さず、昨日取ってきた渡り鳥の卵を焼いている。香ばしい香りにワグがひくりと眉を吊り上げた。

「魔族はなんでも生で食うんだと思ってたのに」
「オーガが細かすぎるんです、きっと」
「キースは無頓着すぎる」

 魔王の言葉にワグは何か言い返そうとしたが、言葉を飲んだのはそこにだけは同調するという意識の表れだろう。食生活においてはワグにまで初日から無頓着すぎると驚かれた。そのせいで、今はキースの食事はワグが準備するようになったのだ。

「そんなに酷くないと思いますけど」
「いや、キース様は酷いです」
「ワグ……君までそんな」
「だってキース様、ほっといたら芋だって生で食うでしょ!」
「そこまではさすがに」
「生で食っていたな、そういえば」

 魔王まで会話に加わって、なんだかキースが責められている。賑やかだなあと頬が緩むと、笑いごとじゃないですとワグに叱られた。

「キース様はオレのすっげえ尊敬する人なんだから、生の芋食うとか知りたくなかった……」
「なんか、すみません」
「あと、それ。その丁寧語でオレなんかに喋るのも、駄目です。そこの魔族にも丁寧語だし、意味わかんねえ」
「あー、これは昔からの癖なので直らないんですよ。気にしないでくださいね」
「気になりますって」
「それから、オレなんか、っていう言い方は感心しませんよ。君は大事な存在なので」
「キース様っ、ありがとうございます!」

 魔王と二人でいた時は、最低限の会話しかなかった。それでなんら不自由はなかったのだが、ワグ一人加わったことでこんなに賑やかだと、やっぱり楽しい。自覚はなかったが、全くの一人でいた時、自分はマリーがいうように孤独に苛まれていたのかもしれない。

 朝食を終えて洞窟を出ると、珍しく魔王もついてくる。普段は寝ているかどこかへいくのだが。

「どうしました?」
「それの寝床を作るんだろう」
「ああ、木を切ってくれるんですか、ありがとうございます」

 キースは相変わらず斧を使うのが苦手で、すぐに疲れてしまうので、木を使う時はいつも魔王にお願いしていたのだが、今回もやってくれるらしい。ワグのことなのでやってくれないかと思っていただけに、嬉しい。

 ワグが目を大きく見開いて、魔王を見ている。魔族との生活など、驚くことしかないのだろう。

「木を切るまでで大丈夫です。ワグは大工なので、木材があればきっとベッドは作れると思うので」
「大工? それがか」
「そうですよ。ワグ、できそうですか?」
「え? あ、はい。道具持ってきてるんで、他になんか欲しいものあったら作りますよ」

 それは助かるなと頷いた時だった。魔王がおもむろにワグの襟首を掴んで引き寄せる。慌ててその間に入るが魔王はワグを放さない。

「オーガ、止めてください」
「こ、殺される!」

 ワグが半泣きの声をあげた。それに構わず魔王がずいと顔を寄せる。

「棚は作れるか」

「殺される、やっぱり魔族は魔族だ、くっそ、……は? 棚?」

 顔を覆っていた腕をどけてワグがまじまじと魔王を見つめた。

「硝子を入れておく棚がいる」
「食器棚? あんたが? 魔族が、食器棚……」
「オーガ、ワグに無理を言ってはいけません」
「木の実を割った器で満足している貴様は必要ないだろうが、俺は要る」
「食器棚、魔族が。――木の実割った器?」

 なんだか、嫌な予感がする。この会話は早めに終わらせようとキースは魔王をワグから引き剥がす。

「とにかく、まずはワグのベッドです」
「寝床も作れるのか?」

 魔王の興味は尽きないようだった。

 ――そうだ、魔王は人間界の職人が大好きなんだった。

 それでワグに危害を加えなくなるなら、それはそれでいいかもしれないが。受け止めるワグの方が大変だろう。ワグは尻もちをついたままで、魔王を珍しそうに見ている。ワグにとって魔族は憎むべき、おそろしい存在だ、それが人間のようなことを言いだしたので、混乱しているのだろう。それはキースにもよく分かった。

「ワグ、聞かなくていいですよ。今日は君のベッドを作りましょう」
「棚も作れ」
「しつこいですよ、オーガ」
「木は切ってやる」

 魔王は斧を片手に森へと姿を消すと、すぐに丸太を何本か持って戻ってきた。どれだけ張りきっているんだと思うとやっぱり面白い。

「あー、ありがとうございます」

 ようやく立ち上がったワグが道具を取りに洞窟へ戻るのを横目で見ながら、キースは魔王に囁いた。

「あまりワグに無理を言わないでください」
「俺が近くにいるのはアレにとっても都合がいいだろう」
「そんなわけないでしょう」
「アレは俺を殺そうとしているぞ。魔法使いにそう命令されているのではないか?」

 ワグが魔王を?
 その可能性を考えていなかったのは、ワグの腕では魔王に傷一つ付けられそうにないからだ。マリーの元で魔法を修行しているらしいが、剣は未熟だ。筋はいいのだから、これからだろうとキースは思っている。そんなワグにマリーが暗殺指令など出すだろうか。

「貴方、襲われたんですか?」
「いや、まだだ。まるで相手にはならんが、殺気だけは一人前だ」

 いつの間に。ワグの明るい笑顔を見ていると、殺気の欠片も感じないのだが、自分の知らない場所ではそんな顔をしているのかと少し寂しくなる。
 ワグはすぐ戻ってきて丸太を切り始めた。魔王は興味深そうにそれを見ている。この関係は何だろうとくらくらする。

「木を薄くする道具か」
「のこぎりっていうんだ」

 魔王の問いかけに律儀に答えながらワグはもう一つののこぎりを魔王に手渡す。

「あんたもやれよ、棚欲しいんだろ」

 魔王は一瞬眉を顰めたが、驚くほどおとなしくワグに従った。
 これは何だと、思う。ワグの隣で魔王がのこぎりを引いている。時折ワグに注意を受けながらだ。キースはそれを愕然と見ていた。

 そのうち木材加工が終わったのか、ワグが金槌と釘を取り出す。魔王はそれも興味深そうに見ている。

「それで木をつなぐのか」
「小さいものならこれでいい。あんたの棚もこれで作れる」
「使えるな」

 褒めた。
 魔王がワグを褒めた。言葉を失うキースをちらと見た魔王がとどめをさす。

「キースは使えん」
「あ、貴方ねえ、私だってできますよ!」
「てめえ、魔族のくせにキース様を侮辱すんな」
「本当のことだ」
「ちょっとのこぎり貸して貰えます?」
「キース様はそんな事しなくていいんです」

 断られた。使える所を見せたかったのに、と憮然とすると、魔王が微かに笑った。

 ――笑った。

 確かに笑ったのだ。時々する邪悪な笑みでなく、呆れの笑みでなく、自然に笑ったのは初めてではないだろうか。
 ワグの存在は魔王とキースにとって危険なものだと思っていたが、もしかしたら良い作用もあるのだろうか。そうなら、嬉しい。

 結局、ベッド作りはワグと魔王が全部やってしまい、キースは傍観者のままで終わった。ついでだからと魔王の棚も作ってやるあたり、本当にワグは可愛いと思う。
 出来栄えに魔王は満足そうだった。

「いい寝床ができた」
「ワグのですよ」
「俺のと替えてやる」
「これはキース様の分です」
「いえ、ワグのですよ」
「俺が貰う」

 まるで冗談のように何も進まないので、今回はキースが受け取って明日にまたワグの分を作ることになった。この調子では魔王の分を作るまでうるさいのだろうと予想はできたが。

 でも、こんな三人暮らしも悪くないんじゃないかと、キースは思った。
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